面倒くさいものは面倒くさい! 文法編!
日本語の文法は『自由』ではなく『柔軟』だと個人的には思っています!
書き手になって、日本語が面倒くさいと思うことがたまにあります。
日本語は表現に豊かさがあって、情緒あふれる言語です。
主語や述語、目的語の消滅が頻繁におこります――柔軟な文法。
言葉の使い手と受け取り手の関係に左右される――敬語の存在。
日本で特に進化をとげたふわふわとした効果音――オノマトペ。
このあたりが日本の表現をより豊かなものにしているのではないでしょうか。
その中からここでは文法について取り上げたいと思います。
日本語は文法の曖昧な言語という話を見聞きします。
厳密に言うと、文法というものは曖昧ではありません。
文法的な正解というものは、いつも限られています。
しかし、文法的な正解が自然な表現とは限りません。
一番卑近な例であれば、文章における主語を考察するとわかりよいのかもしれません。
「朝ごはんは食べた?」
「行ってきます!」
これらを聞いて、文章の意味を混乱する日本人はあまり多くないと思います。
これらは朝の会話なのかな? 家族の会話かな? ぐらいには思うかもしれません。
世界的な共用語として扱われる英語でももちろん省略は起こります。
ですが、日本語ほど極端ではないです。
「Did you have breakfast?」
「I'm off」
他の表現もありますが、先ほどの例を英語に当てはめるとこのあたりが一般的でしょう。
これらを日本語のように省略すると「have breakfast?」「off」ということになります。
状況次第では「have breakfast?」は通じるかもしれませんが「off」は「???」ですね。
それらは口語表現だろ、と思う方もいらっしゃると思います。
その通りです。これらは口語表現です。
そして、一人称とは基本的に口語表現です。登場人物の主観の世界なのですから。
同様のことが三人称一元視点の地の文でも頻繁に起こっています。少なくとも小説投稿サイトでにおける小説においては。
地の文の主語、述語、目的語の欠落が頻繁に起きていることは、書き手となり、他の小説投稿サイトのランキングに載る作品を参考にしていたときに気がつきました。読んでいるときはほとんど意識してなかったことです。
何が言いたいかと言うと、文法ってそこまで大切じゃないんですよね。
小説の作法にしたってそう。
三点リーダーは必ず偶数で使う。記号文字の後は全角スペースをあける。文章の頭は全角スペースで段落を作る、などなど小説にも色々な作法があります。
じゃあ、守らないと読んでもらえないの? というとそういうわけではありません。
ランキング上位、つまりたくさんの読み手に愛されている作品であっても、文法や作法の観点では拙い作品は多いです。
タイトル≧あらすじ≧露出≧物語>文法や作法。
小説投稿サイトに限って言えば、作品が読まれるかは上記と言っても過言ではない気がします。
文法や作法うんぬんは、まず作品を読んでもらわないことには意味がないからです。
先ほど引き合いに出したランキング上位の作品たちは、文法や作法を補ってなお余りある魅力に満ちているということです。物語の一書き手として純粋に尊敬します。
ここで日本語の文法を英語を引き合いに出して考えたいと思います。
時々日本人の英語話者の、
「日本語の文法に決まりはなく、言葉を自由に置くことができる」
そういう旨の発言を見聞きします。
確かにその通りかもしれません。
特に口語では言葉の順番は自由でいいかもしれません。
でも、いいだけなんです。その『いい』は『Good』なんです。『Best』ではないです。
この文章を例にとって考えてみましょう。
「私はりんごを食べた」
他に以下の表現をすることもできます。
「私は食べたりんごを」
「りんごを私は食べた」
「りんごを食べた私は」
「食べたりんごを私は」
「食べた私はりんごを」
おおよその日本人はすべて意味が理解できるでしょう。
最後二つの表現を日常的に使う方はそう多くないでしょうが。
日本語の文法を意識する日本人はそう多くはないと思います。
意識する人というのは、言語学者や他言語を学ばれている人、いずれにせよ言葉を扱う人たち。
そして書き手は、その言葉を扱う人たちの一人ではないでしょうか。
それが例え、今はブックマークがなく、評価を頂けていない作品の書き手であっても。
――神は細部に宿る。
近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエという方の言葉とされています。
『細部へのこだわりこそがひいてはその作品の本質を決める』ということです。
これから何かを作りだす人には響く言葉です。
ただ、得てして細部へのこだわりを再現するということは面倒くさいです。
物語の細部というのは、内容もそうですが、それを効果的に伝える文法や作法ということも、『細部』に該当するのだと私は思います。だからこその物語りなのですから!
だからこそ、私は文法や作法にはできる限りの最善を尽くして、物語を紡いでいきたいです。
私は情緒豊かな日本語で文字を書くのが好きです。
それでも、面倒くさいものはいつになっても面倒くさいです!
芸能人の方でトークの要所でビシッと決めてくれる人がいますよね。
それが意識的か無意識的かはさておき、効果的な意思疎通とはそういうことなんだろうな、と思う次第です。私も日々精進です!




