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裏恋

作者: 林 広正

   裏恋


 なにがあっても変わらない。

 俺の想いは消えていかない。


 俺の恋はもうとっくに終わっている。

 今更思い出すこともないだろうと思っていた。


 あいつが彼女を家に連れてきたのは、既に結婚の約束をした後だった。

 あいつはなにも気がついていない。

 それでいいんだと思っている。

 俺とあいつには共通の場所に思い出がある。親父が見つけ出してくれた山を背にした海辺の街がそれだ。

 初めて行った時は俺が小学四年生で、あいつはまだ保育園児だった。

 料理が上手いその民宿の側には水路が流れていて、サワガニで溢れかえっていた。

 俺とあいつは水路に降りてはバケツいっぱいに捕まえて楽しんでいた。

 俺達が捕まえなくてもサワガニは道路を歩いている。そして車に踏み潰されることもあった。

 気持ちが悪いって感情が俺にはなかった。単純に邪魔だなくらいにしか感じない。

 あいつは可哀想だと言っては素手で拾い上げて道路の端に置いていく。

 気持ち悪いわねって言ったのは、母親だ。母親は虫や小動物を極端に嫌う。けれど犬と猫だけは可愛がるのが不思議だった。

 あの子もまた、死体を見て可哀想と言った。

 けれど自分の手では片付けられず、あいつの背中をじっと見つめていた。

 あいつは優しい。しかも無意識だから罪深い。

 俺はずっと見ていた。

 あの子は俺よりも二つ下で、あいつよりも二つ年上だ。

 あの子は俺ではなく、あいつに憧れていた。

 あの子は隣の民宿で暮らしていた。夏休みの期間だけなのは、その家の子ではないからだ。親戚の子で、お手伝い込みで毎年遊びにやって来る。八つ上のお兄さんがいて、そのついでについて来ているっていうのが真実だった。

 俺はそのお兄さんとも何度か話をしている。面白い人で、今でも連絡は取り合っているんだ。俺達が通っていた民宿は、あの子のおじさんの家だ。隣はおじさんの実家であり、あの子は叔父さんの妹の娘にあたる。

 おじさんがまだ民宿を続けていることは知っていた。彼から連絡があったからだ。彼は隣の跡を継いだと言う。三年前に聞いた話だ。いずれはおじさんの民宿も彼が受け継ぐようだ。彼には双子の男の子が生まれたそうで、これでしばらくは跡取り問題は浮上しないと嬉しそうに語っていた。

 遊びに来いよと言われたけれど、今はまだそんな気分にはなれない。あれからもう十年以上だ。忘れなくちゃならないとは思っても、忘れることなんてできないし、したくもない。

 俺には単純に、あの場所に戻る勇気が足りていない。

 俺はあの日も二人の様子を見守っていた。あの子がいることに気がつくのが遅かったことは、今でも後悔している。

 それにしても不思議だったよ。あいつはどういった認識でそれまでの数年間を過ごしていたのだろうか? 出会いの時から七年間だ。あの子の存在に気がついていなかったなんて阿呆でしかない。朝早く起きて森の中でカブトムシやクワガタを捕まえに行った時も、海へと繋がる大きな川で子持ちのワタリガニを捕まえた時も、浜辺のコンサートの時にもあの子は側にいたんだ。

 そしてあの日、海亀を見つけた日にあいつはあの子を認識したようだった。そしてしばらくの間、恋に落ちている様子だった。

 けれどそれは一時的なものだったと俺は感じていた。

 あいつは中学時代から彼女が途絶えたことがない。その殆どが相手からの申し込みだったのが俺としては不思議だった。あいつがモテる理由が分からない。

 だから本当に驚いたよ。あいつの結婚相手にはあの子の面影があったんだ。

 あいつはずっと、あの子のことを想っていたってことを知った。

 それは俺も同じだ。

 俺の方が長くあの子に恋している。

 あいつが行かなくなってからも、俺は毎年民宿に行っていた。友達と一緒にアルバイトをしたこともある。あの子との仲は良くなり、二人で出かけたこともある。

 あいつは知らないだろうが、あの子は俺達と同じ街で暮らしていた。俺は何度か会っている。お兄さんとの方が回数は多いけれどな。

 俺だってバカじゃないんだ。あの子があいつを想っていることは知っていた上での恋だった。直接想いを伝えたことは実質ないけれど、きっと溢れ出ていたようだ。あの子はいつも困り顔を見せていた。

 あなたと一緒にいるととても楽しいよ。けど・・・・

 忘れかけていたあの子の想い。その表情を久し振りに思い出してしまった。

 けれど、あの日だけは違っていた。

 俺はあの日の表情を胸に生きてきたんだ。

 あの子が見せた初めての表情は、俺の心を癒してくれたと同時に、全てを止めてしまった。

 翌年の就職が決まっていた俺は、最後の日にあの子へ想いを告げるつもりでいた。

 そして実際、言葉にはしている。

 お前のこと、あの日からずっと好きだったんだ。

 庭の掃除をしている時、あの子が水路から這い上がるサワガニを見つけて近づきしゃがみ込んだ。

 俺も近づいたけれど、しゃがみ込みはしなかった。

 あの子はそのサワガニを指で突いては遊んでいた。サワガニは抵抗をしてあの子の指を爪で挟もうと必死になっている。静かに流れるいつものひとときだった。

 けれど少し、様子がいつもと違っていた。それは、俺が告白にタイミングを伺っていたからではなかった。その時点で気がつけていなかった自分を恨んでいる。

 サワガニに元気がなかった。というか、集中力のないおかしなサワガニだったんだ。人間から逃げるのに必死になっていなかった。横歩きでどこかに逃げるという風でもなく、サワガニ目線で左側を気にしていたようだった。

 あの子は敏感だ。

 咄嗟に視線を動かし、事態を確認する。

 俺は鈍感だ。

 なにも考えず、告白の言葉を溢す。しかも呟き気味に。

 俺の言葉の後には一切の間がなく、あの子は立ち上がって走り出す。

 普段は車通りの少ない道路に彼女は向かい、そこを歩く一匹のサワガニを捕まえた。子持ちのサワガニ。俺に向かってなのかサワガニに向かってなのかは分からないけれど、あの子は子持ちのサワガニを持ち上げて突き出した。

 そして物凄くクシャクシャの笑顔を見せていた。

 初めて見るとびきりの笑顔だ。

 俺の頭の中では、ずっとその笑顔がこびりついていた。

 その瞬間だった。

 ドンッ!

 あの子が吹き飛んだ。

 その勢いであの子の手から飛ばされた子持ちのサワガニが、俺の手の平に収まった。

 俺はほんの少し視線をサワガニに落としていたためその瞬間は見ていない。

 身体はすぐに反応する。俺は真っ直ぐあの子に向かい、抱き寄せた。

 即死だったことは分かっていても、何度も大声で呼びかけた。普段は声に出せなかったあの子の名前を叫んでいた。

 それしかできなかったんだ。

 騒ぎを嗅ぎつけたおじさんや近所の人が集まってきてその中の誰かが救急車と警察を呼んだ。

 俺の恋はそこで終了した。流石に死人に恋はできない。その想いは消えることがないけれど・・・・

 俺は意地悪なのか? その後もお兄さんとは連絡はとっているし、墓参りにも行っている。葬式にも参列した。

 けれどあいつには教えていない。

 あいつが連れてきた婚約者は、あの子の未来かも知れない。そう思うと、あいつもあの子に恋をしていたってことになる。

 そして、あの子もあいつに恋をしていた。つまりは二人の恋が実ったってことなのか?


 素直に祝福できない俺がいる。

 それは仕方がないことだ。

 けれど一つ確かに言えることがある。

 俺の恋は二度と始まらない。

 終わってしまった恋は、なにが起きてもそのままってことだ。俺の気持ちも含めてな。


 なにがあっても変わらない

 俺の想いは消えていかない

 このままでいい

 このままがいい

 あの子の笑顔を忘れたくない


 叶わない恋があってもいい

 俺の心は宙ぶらりん

 悪いのは俺 分かっている

 俺はあの子を思い続ける


 どうしようもないこの気持ち

 そのまま抱え込めばいい

 我慢なんて意味がない

 俺は俺のままでいい


 だからきっといつの日か

 俺はあいつの前に立つ

 意味なんてなくてもいい

 世界なんて変わらなくていい

 愛はきっと終わらない

 愛はいつでもぷかぷかぷか


 なにがあっても変わらない

 俺の想いは変えられない

 このままでいい

 このままがいい

 あの子の笑顔は変わらない

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