アードラー 2
「パイロットスーツはどうするんですか」
「着ていたら時間ないですから。これで行きます」
クララは真上を見上げる。黄色の巨体がすぐ隣にある。
「正直オレは反対ですけど。お気をつけて」
アードラーの足が縦に開いた。クララはクンペルに頷いてからアードラーの足へ一歩踏み出した。アードラーの中は柔らかそうな黒い椅子がポツンとある。
これが操縦席か。
クララは迷うことなく、椅子に腰を下ろした。その瞬間、ビビッと低い音が鳴りアードラーの足の縦に開いたドアが閉じる。一瞬の暗闇と静寂。かと思えば今度はビビッと高い音が鳴り、両肩と両腰にあるアンカーから四点式ズィッヒャーベルトが下り自動的にお腹周辺にあるバックルにカチリと収まった。
椅子は暗闇の中、ゆっくりと上昇していく。
二十秒程経ったくらいだろうか。椅子が上昇を止め、視界に光が差す。その明るさにクララは何度か瞬きをした。しばらくすると明るさに慣れてヴルムの中が少しずつ見えてくる。
目の前はガラス張りになっていた。アラートハンガーの天井が間近に見える。ガラスの周囲にはモニターが七つ設置されている。下のモニターにはヴルムの足元が映り、クンペルや周りの人が忙しなく動き回っている様子が見える。上の二つのモニターには上空と足元の後ろの映像。左二つ、右二つのモニターには上モニターと同じく左右それぞれの映像が映っていた。
椅子は肘掛けの間にちょうど設置されるように出来ており、肘掛けには操縦桿がある。その操縦桿付き肘掛けを囲んで左右にボタン板がある。
えーと確か。
クララは左のボタン板に目を向ける。その中で他より大きめの赤いボタンがある。
クララはフーと息を吐き出した。
「よしっ」
クララはグッと拳をつくってから赤のボタンを押す。と、ボボボボとエンジン音が辺りに響き上からヘッドフォンが下りてきた。
クララはヘッドフォンを装着する。一気にエンジン音が聞こえなくなった。
断音機能か……。
車でヴルムの攻撃から逃げ回っていたことを思い出す。
あの時は爆発音で耳がやられそうだったから、断音機能は凄く助かる。
「クララさん。こっちはいつでも大丈夫です」
ヘッドフォンからクンペルの声が聞こえてくる。ヘッドフォンには通信機能もついている。
クララは試しにヘッドフォンから伸びている小型マイクに「了解」と呟いてみる。
「それじゃ、アラートハンガーの天井を開けますね」とクンペルの返答がきた。
足元のモニターを見てみるとクンペルが周りに慌ただしく指示しているのが見える。
しばらくするとゴゴゴゴと天井がスライドしていく。
えっと。ここからは。
クララは前に見た説明書を思い出しながら左ボタン板の上矢印を押しながら操縦桿を握る。そして思いきり下に引いた。と、ヴルムが猛スピードで浮かび上がる。
「!!!!!」
体に重い負荷が上がりクララは悲鳴を上げようとするも上手く出ない。
その間もヴルムはずっと上昇している。
「クララさん!!! 聞こえますか。操縦桿から手を離して下さい。クララさんっ!!!」
「っ」
クララは両手を真上に上げた。ヴルムの上昇がゆっくりになる。
「っ。はぁ」
一度ゆっくりと息を吐いてから板の下矢印を軽く押した。ヴルムは上昇するのを止め、空に停滞する。
クララはやっと落ち着きを取り戻し、下の画面を注視する。
画面には瓦礫と海が半々に広がっている。
とりあえず今はトイアーちゃんを探さないと。
クララは下矢印を押して瓦礫にゆっくりと近づいていく。とはいえ、先程より遅くなっただけでそこそこ早い。
クララは下のモニターを凝視しながら、地下通路の入り口を探す。
子供の足だから。そんなに遠くには行っていないと思うけれど。
地面はほとんど瓦礫で埋もれているが、ところどころに人がよろよろと避難しているのが見えた。だがその中に小さな女の子は見つからない。
嫌な予感がじわじわとクララを蝕む。
早く、早く、早く、早く。トイアーちゃんを見つけないと。
クララは操縦桿を持ち、ほんの少し速度を上げる。
すると視界の隅に見慣れたものを見つけた。ランプだ。長い紐がついているランプだ。割れてしまっているけれどカレーを食べた店のものだとすぐに分かった。
そしてその近くにトイアーがうずくまっている。
「!」
すぐさまクララはヴルムを急反転させ、トイアーから数メートル離れた場所にヴルムを下ろす。
モニターをトイアーに合わせる。微かに胸が上下しているのが見えた。
よかった。生きてる――。
それどころか怪我一つ見当たらない。
というよりも。もしかして……寝ている?
トイアーは走り疲れ、家を確認した途端寝たようだ。トイアーの母の姿は瓦礫が積み重なり見えない。
クララはホッと肩を落とした。
とりあえずはトイアーちゃんを引き上げないと。
そう思ってズィッヒャーベルトを外そうとバックルに手を伸ばした。その時「クララさん!!!」とクンペルの切羽詰まった声がヘッドフォンを通して聞こえる。
「上です!!!」
「!?」
クララは咄嗟に操縦桿を下に引き、ヴルムを後方に下がらせる。真上から白のヴルムが急下降し、砂埃を立てながら地面に降り立った。
「!」
敵!
クララは操縦桿を強く握る。今のクララはすぐ真後ろにトイアーを庇っている状態だった。
私が……。私がやらなくちゃ。他でもない私が――。
アードラーに乗ると決めた時からこうなると分かってはいたが、いざそうなるとまた右手が震え始めてしまう。
敵の白いヴルムは背に構えている銃を取り出す。
「!」
もし。ここで私が避けたらトイアーちゃんに当たるっ。
クララは右のボタン板を操作して盾を出す。と同時に相手はこちらに向かって撃ってきた。
「っ」
反射的にクララは盾を前に突き出す。弾は偶然なのか盾に当たり、アードラーがわずかに揺れるだけで収まった。かのように思えたが……。よくよく盾を見ると弾が当たった個所が鮮やかな橙に変色し、溶けだしてしまっている。
「……え!?」
思わず目を丸くしてしまう。
たしか。シュティル大佐の乗っていたティーガーは盾で砲撃を受け止めていたはずだ。けれど溶けてなんていなかった。もしかしてこの機体、本当のアードラーじゃないとか。
「クララ嬢!!!」
ちょうどヘッドフォンからシュティルの声が聞こえてくる。辺りには黒のヴルム、ティーガーの姿はない。遠隔通信のようだ。
「君は一体何をやっているんだ!!! すぐに元の場所に戻れ!!!」
かなり……。怒っている……。
クララは目の前の白いヴルムに目を向ける。
「それが。無理なんです!」
「は!?」
「今、相手のヴルムと睨み合いの状態なんです。それにトイアーちゃんがっ。トイアーちゃんが外に出ちゃって。後ろに庇っている状態で」
「…………」
シュティルがわずかに黙る。その間も白いヴルムとの睨み合いは続いていた。
このままじゃいずれまた攻撃を受ける。その時にこの機体はおそらく。長くは戦えない――。
「クララ嬢。よく聞け」
シュティルの声が再び聞こえてきた。
「アードラーは最速の機体だ。それゆえに軽さを重視して防衛面はどの機体より手薄だ。一発でもアードラーに当たればパイロットは無事でいられないぞ」
「!」
なるほど。盾が溶けたのはそういう理由か。
「だが君なら相手の攻撃をもろともせず逃げられる」
「だからトイアーちゃんが」
「置いていけ」
「は!?」
今度はクララが声を上げる番だった。
そんなの。そんなの。
「出来るわけないじゃないですか!!! 大佐はこっちに来られないんですか」
「こちらも今戦闘中だ。すぐには無理だ。だから」
「嫌です!!!」
トイアーちゃんを置いてはいけない。
「ならこれは命令だ! 置いていけ」
「私はまだ軍人じゃないっ!!!」
クララは右のパネル板にある通信機能をぶつ切りにする。クララは息を震わせながら操縦桿をグッと握った。
やっぱり。分かってはいたけれど。私が――やらなきゃ。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
クララは勢いのまま銃を相手に乱射する。相手は盾で塞いできた。相手の盾はアードラーのように溶けていない。
クララは相手が動き出す前に距離を詰める。
アードラーは一発でも当たったら終わりだ。その前に。やつを……。やつを倒さないと。トイアーちゃんも。私も。――死ぬ。
相手は盾で弾を弾きながら空へと上がってしまう。
「!」
上から狙い撃ちするつもりだ!
クララは素早く左ボタン板へ手を伸ばし、アードラーを飛行させる。
「っ」
アードラーは猛スピードで空に舞い上がり、易々と白のヴルムとの距離を詰めた。
やっぱり速い。でも。先程アラートハンガーから飛んだからか、少し目が慣れてきている。
クララは白のヴルムを少し追い越した後、今度は下矢印を押す。
クララの目はばっちりと白のヴルムを捉えていた。対する白のヴルムは三テンポほど遅れてアードラーを振り返る。
撃て、撃て、撃て、撃て。
ヴルムの顔に銃の標準を合わせる。
撃て、撃て、撃て、撃て。
なんでもいい。引き金を引くための怒りを思い出せ。
クララはフッと勢いよく息を吐いてから、グッと操縦桿を握り引き金を引いた。
――クララ嬢、君とも婚約破棄させてもらう。
――私はこのリーベ嬢と結婚する。
引き金を引いた時、頭にあったのは何故かフルヒトとの婚約破棄だった。
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今回は四点式ズィッヒャーベルトの解説です。まずズィッヒャーベルトはシートベルトのことです。
私達に馴染みのある自動車は三点式シートベルトといって、左右どちらかの肩と左右両方の腰を固定します。
ヴルムの四点式シートベルトは三点式と違って左右両方の肩と左右両方の腰を固定します。レーサーがしているシートベルトを想像すると分かりやすいかも。もちろん四点式の方がしっかり体をホールドしてくれます。
本当は股にもベルトがある五点式の方がエッチでいいなと思っていたのですが、この時代はパイロットは男性の方が多いという設定だったので。どこがとは言いませんが痛いかなーと思って。止めました笑