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書籍化作品

【電子書籍化】引退聖女のモーニングカフェ


 カフェ エスペランサ

 聖都の隅に一年前に開店したそのカフェは一風変わった営業形態だった。

 営業時間は午前のみ、客席はカウンターの七席だけ。

 メニューはただ一つ、その名はズバリ『モーニングセット』。

 

 けれどこのモーニングセットはーー注文する人によって内容が変わる。

 トースト、クロワッサン、ロールパン。

 バターの量やジャムの種類。

 ソーセージやベーコンの枚数。

 卵料理はスクランブルエッグ、オムレツ、目玉焼き、ゆで卵の四種類から。半熟、固め、ほとんど生。火の通り加減も選べます。

 サラダはとれたての新鮮な生野菜を。

 飲み物はコーヒー、紅茶、オレンジジュースに聖都自慢の林檎ジュース。

 

 そしてこのカフェの一番の特徴は、一年前まで聖都の大神殿で聖女をやっていた人物が接客をしている点だろう。

 今日も朝早くからカフェの煙突には煙が立ち上り、パンが焼ける香ばしい匂いが一体に漂っていた。



「んーっ、今日もいい感じね! ねっ、ユアン?」


「そうですね、アリサ様」


 ミトンを両手にはめ、かまどを覗き込んでいるアリサがカウンターの方で作業をしているユアンに声をかける。

 

「あっ、ユアン。また私のことを様付けで呼んだわね。もう引退してるんだから敬称は無しって言ってるじゃない」


「申し訳ありません、癖で……」


「もうっ」


 振り返ったアリサはミトンをはめた両手を腰に当て、ちょっと怒って頬を膨らませた。

 銀髪は綺麗にまとめられ、ブラウンと赤のチェックの三角巾を頭に巻いている。ワンピースの上には揃いのエプロンも締められていて、見た目は完全に一介のカフェの従業員だ。

 しかしユアンからすればアリサはただの従業員ではなく、元聖女であり自分が守るべき存在だ。ずっと護衛を任されていたのでどうしたって敬称が抜けないらしい。一年共に暮らしていてもそんな感じなので、いい加減アリサとしてもどうにかならないかなと思っている。


 アリサとユアンの付き合いは長い。

 アリサが五歳で聖女になった時、ユアンは護衛に抜擢された。ユアンはアリサの六歳年上なのでこの時まだ十一歳だ。神殿でも位が高い聖女の護衛に十一歳の少年が抜擢されるというのはなかなかに無いことで、まあ数いる護衛の中でも話し相手のような位置付けだった。

 以来ユアンはずっとアリサの側で彼女のことを守り続け、引退した後もこうして護衛として共に居続けている。神殿から出たことがない彼女を一人市井に放置するのはあまりにも心配すぎた。変な詐欺に引っかかったり、変な男に引っかかったり、逆に変な人々にまつりあげられたりしないか気が気でない。

 

「今日はどんなお客様がいらっしゃるかしらね」


「さあ……ですがあまり無理難題をおっしゃる方が来ないといいのですが」


 ユアンは海のように深い青い瞳を歪め、コーヒー豆をミルでキュコキュコと挽きながら答える。この一年間の営業でユアンの心労は神殿にいる時よりも募っている。アリサの方は生き生きとしているけども。


「あら、どんな難解な問題だろうと、解決するのが私の役目というものじゃない?」 


「それは聖女の役目であって、カフェの従業員の役目では無いと思いますよ」


「そうだったわね……でもそうしたら、カフェの店員ってどんな役回りがあるのかしら」


「普通に考えたら料理を作って出すだけだと思いますが」


「そう言われればそうね!」


 焼きたてパンをかまどから出したアリサは、ハッとしたように目を見開いて答える。確かにそんな普通の店員じみたことをしたことなど一度もないから、意外に思うのも当然だろう。それもどうかと思うけれど……。


 そうこうしているうちに開店時間だ。ユアンが店の外に出て扉にかかっている看板をくるりとひっくり返して「営業中」にした。

 さあ今日はどんなお客がやってくるか。できれば平穏無事に営業を終わらせたい。 

 そう、変な悩み相談などされず、普通に料理を食べて帰っていくようなお客様に来て欲しい。


「あのー……」


 ユアンの腰のあたりから小さな声が聞こえて来た。


「ん?」


「あの、元聖女アリサ様のいらっしゃるカフェはこちらであっておりますか……?」


 非常に自信なさげな声の持ち主はまだ子供だ。一見しただけでわかる上質な白いローブのフードを頭からすっぽりと被り、上目遣いでユアンのことを見つめてくる。その顔を見たユアンは衝撃のあまり卒倒しそうになった。

 その少女は潤んだ紫色の瞳でユアンを見上げ、切羽詰まった声でこう言った。 


「お願いいたします、アリサ様に会わせていただけないでしょうか!? 私、どうしても、アリサ様に相談したいことがあって……!」


 ユアンのつけているエプロン(アリサのものとは違いシンプルなブラウンのもの)を掴みながら、必死な表情でぐいぐいと迫ってくる少女の顔にユアンは見覚えがありすぎた。


「おっ、落ち着いてください! ここは人目がつきますからひとまず中へ!」


 扉を開け、少女の背中に手を回して中へと促した。店内は焼きたてパンと、先ほど自分が挽いたコーヒーの香りでいっぱいだ。少女は一瞬足を止め、何をしに来たのか忘れたように「わあ……!」と言って胸いっぱいに芳しい香りを吸い込む。

 そこにアリサの元気な声が響いた。


「いらっしゃいませ! ……あら?」


「あ! アリサ様!」


 少女はぱあっと顔を輝かせカウンター内にいるアリサの元へと駆け寄った。


「ルーナ様じゃない、どうしたの?」


「実は、アリサ様に折り入ってお願いがあって参りました」


「一体どんなお願いかしら」


「はい、実は私、今夜浄化の儀式へと赴くことになりまして……初めての浄化儀式で……全然まだ、自信がなくて……アリサ様、あの、そこに同行していただけないでしょうか!?」 


 目にいっぱい涙をためてそう叫ぶ少女に、アリサは困ったように頬に手を当て、首をかしげた。

 

「ひとまず、モーニングセットでも召し上がって落ち着いてはいかがでしょうか? 『現聖女』ルーナ様」


+++


 本日一人目のお客様は都の最重要人物だった。ユアンは開店五分で店の看板を即座に「閉店中」へとひっくり返し、窓に張り付いて外に不審な人物がいないか視線を巡らす。腰に下げた剣をいつでも抜けるように構え完全に臨戦態勢だ。

 一方カウンターを挟んで会話をするアリサとルーナは平和そのものだ。


「パンは何にしますか?」


「あ……クロワッサンで」


「じゃあ、ジャムやバターは必要ないわね。ソーセージやベーコンは?」


「ソーセージを一本ください」


「卵料理はどうする?」


「半熟のオムレツを……」


「オッケーよ。最後の質問、飲み物は? オレンジか聖都特製林檎ジュース」


「林檎ジュースでお願いします」


「わかったわ、ちょっと待ってて」


 にこりと笑ったアリサは注文の品を手早く用意し始める。ユアンとしては気が気ではなかった。壁際に張り付いたままにルーナに質問を投げかける。


「ルーナ様、ここに来ることを誰かに伝えてありますか?」


「いいえ、言えば反対されると思ったから……」


「護衛の方々はどうされました?」


「撒いて来たわ」


「一体どのようにして神殿から脱出されたのです?」


「昔アリサ様に秘密の抜け道を教えていただいたんです」


「ああ、あの道は便利よねぇ」


 ルーナの言葉を受けたアリサがソーセージを焼きながらのんびりと答える。


「なんでも、歴代の聖女が息抜きしたい時に使う道らしくて、私も先代に教えてもらったのよ」


「そんな道があるなんて……もしかして、時々いなくなっては『神にお会いに行ってまいりました』と言っていたのってそれで?」


「そうよ」


「やめて下さい、何かあったらどうするおつもりなんですか!」


「何もなかったのだからいいじゃないの」


 ソーセージを皿に盛り付けたアリサが片手で卵を割りながらのんびりと言う。アリサはだいぶん肝が座った性格をしているが、もしや歴代聖女は皆このような性格なのだろうか。


「さあ、特製モーニングセットできたわよ」


「はぁあ……!」


 ワンプレートに綺麗に盛られたモーニングセットと、隣には林檎ジュース。それを見たルーナは歓喜の声をあげた。早速パンから手にとって口にすると、感動で震えた。


「あったかくて柔らかい……! それに甘くてとても美味しいです!」


「そうでしょうそうでしょう」


「ソーセージもパリッとしていて、噛むと肉汁が溢れます!」


「私特製のソーセージよ」


「オムレツ、フワッフワで中がトロトロ……! 上にかかっているケチャップも美味しいです!」


 聖女の食事は通常、毒味がされてから提供される。調理場から運ばれ、毒味を経るのでどうしたって冷めてしまう。温かいというだけでご馳走だろうし、それを差し引いてもアリサがこだわり抜いたモーニングセットは美味しい。きっとアリサ自身も美味しい食事を食べたいという欲求が強かったのだろう。

 店を始めるにあたってのアリサの食へのこだわりは物凄かった。オムレツも練習で千個は作ったに違いない。それを全部を食べるアリサもすごかった。食べ物を粗末にしないを地でいくスタンスだ。さすがは聖女。ユアンもちょっとびっくりなくらいのこだわり具合だった。


 綺麗に食事を平らげたルーナは食後に感謝の祈りを捧げる。さすが現聖女だけあって、そうした所は外出中であってもちゃんとしている。


「それで、さっきの浄化の儀式に同行してほしいという話なんだけれど?」


「あ、はい」


 ルーナは満足して緩みきった表情から一転、姿勢を正して相談をする格好へとなる。


「アリサ様ならよくご存知かと思うんですが、聖都近くの墓陵(ぼりょう)群に出没するアンデットの浄化に行く必要がありまして。それに今回、いよいよ私が行くことになったんです」


「なるほどね」


「これまで、浄化の儀式に臨んだことがないので不安で……実際のアンデットを見たら気絶しない自信がないと言いますか……アリサ様がお側で見ていてくださったら、きっと、すごく励みになると思うんです。だから……」


 ルーナは大きな紫の瞳をうるうると潤ませてアリサを必死な形相で見つめてくる。アリサは手をカウンターの上で組み、ちょっと考える仕草を見せた。


「私が聖女に抜擢されたのは五歳の時、そして初めて浄化の儀式に挑んだのは六歳の時。あの時の私も確かに緊張で震え、前の晩からよく眠れなかったことを覚えているわ」


「……! アリサ様でも……?」


「ええ。何せアンデットは夜中に出没するもの。わずかな護衛とともに日がくれた墓陵に赴き、たった一人祈りを捧げてアンデットの浄化をする……それに恐怖を覚えない人間がいると思う? 今とは違って自分の神通力にも自信がなかったし」


 肩をすくめてそう言うアリサ。ユアンとしては嫌な予感しかしなかった。


「後ろからついていくだけでルーナ様の助けになるなら、喜んでお供するわ。人助けは私の喜び、きっとこれも神のお導きでしょう」


「わあ、ありがとうございます、アリサ様!」


「アリサ様、またそのように気軽に引き受けて……!」


 慌てたユアンはアリサを止めにかかった。迷子の猫を探すとか、日々の仕事の愚痴を聞くとか、そうした些細な依頼ならばともかく今回のこれはちょっと度が過ぎる。今代聖女の聖務に同行するなんて、いちカフェ店員がやることでは絶対にない。

 しかしアリサは全くなんとも思っていないらしくごく気軽な調子で答えた。


「あらユアン。困った時はお互い様よ」


「しかしですね、この依頼は重要性が違いすぎます」


「悩みというのは人それぞれ。そこに大小はないと思うわ。頼まれたことを全力で解決するのがこのカフェ エスペランサの務めです」


 そんなカフェはどこにも存在しない。絶対に違うだろうという反論は、アリサの決意に満ち満ちた顔を前に引っ込めざるを得なかった。


+++


 この聖都には近郊に小高い丘があり、そこには代々王家や都に住まう民を埋葬する墓陵群が存在している。この墓陵群には毎年、月の満ち欠けと魔力の関係でこの時期になるとアンデッドが出没するのでそれを浄化する必要があった。

 アンデッドはーー墓に眠る都の民の死体に悪しき魂が宿った存在だ。焼き払ったり、斬り裂いたりするのは死者に対する冒涜にあたる。よって聖女の祈りで中に巣食った悪しき魂、要するに霊体系の魔物だけを討伐している。長年聖女をしていたアリサにとっては非常に手慣れた儀式であり、とても簡単なお仕事だが新人聖女のルーナにとってそうではあるまい。何せボロボロに朽ち果てた死体が動いて迫ってくるのだ、その様子はさぞ恐ろしく感じるだろう。

 

 六人の騎士に守られたルーナが先を歩き、数歩遅れてアリサとユアンがついていく。

 時刻はもう月が真上に昇るような夜であり、墓場はシーンと静まりかえっていた。わずかに風に揺られて木の葉が擦れる音や虫の鳴く声が聞こえるだけで、後は九人の足音が静かな墓場に響いている。


 緊張感のある行軍の中、一人アリサだけがのほほんとしていた。

 

「一年来なかっただけなのに随分と久しぶりに感じるものね。相変わらずお墓は綺麗に掃除がされていて、舗装も完璧。死者を敬う、敬虔な聖都の方々と墓守の一族のおかげだわ。私ももっと頻繁に訪ねないと」


 騎士が持つ明かり以外に一切の街灯がないこの場所でそんなことを品評できるのはアリサだけだろう。のんびりした感想そのままに、前を歩くルーナに声をかける。


「去年はルーナ様はお一人で浄化を?」


「いえ、去年は聖女になりたてだったので大教皇様が一緒に来てくださいました」


「ああ、そういえば私の時もそうだった気がするわ。バシレイオス様はお元気?」


「それはもう、元気すぎるほどです」


「それは良かった。毎日のように顔を合わせていたのに、引退した途端にお会いする機会がなくなって残念」


「大教皇様もアリサ様に会いたがっておりましたよ」


「ぜひエスペランサへお越しくださいとおっしゃっておいて」


「はい」


 アリサとの会話で緊張感がほぐれたのか、ルーナの声がだんだん柔らかくなってくる。しかし周囲にいる騎士は前聖女の同行に戸惑いを隠せていないようで、チラチラとユアン達の方を窺い見ていた。

 まあ確かに無理もないだろう。ユアンとてこの同行に驚いているし……というかこんなことをしていいのだろうか……まあ、もし今代聖女がアンデットを浄化できなかったとなると大問題だから、アリサが付いてくることで自信を持てるというのなら良いか。良いのか……?


 生真面目なユアンが一人、煩悶としているのにも気がつかず一行は墓の奥へと進んでいく。アンデットがこの広大な墓のどこにでてくるかはわからないが、彼らは本能から生者に反応して襲いかかってくるので墓の真ん中で待機していれば自ずと近寄ってくる。

 寄って来たところを一網打尽にするのが儀式の定石だった。


 墓石に囲まれた墓場のど真ん中、一人の少女と一人の成人女性、そして七人の騎士が固唾を飲んで立ち尽くす。

 ルーナの顔は緊張にこわばり、アリサは吹いてくる夜風を気持ち良さそうに肌で感じている。

 そこに佇んでいた時間は五分か十分か。いずれにせよそんなに長い時間ではない。

 やがてアリサがユアンの隣でポツリと呟いた。


「……ルーナ様、来るわ」


 その言葉をきっかけにしたかのように闇の中からザッザッ、と音がした。騎士が光を向けたその先にゆらりゆらりと体を左右に揺らしながら歩いて来る、亡者の大群が。

 

「……ひっ!」


 朽ち果てた体にボロボロの服をまとったその軍勢に、まだ十歳のルーナは思わず息を飲んだ。虚ろな瞳は光を宿しておらず、体は変色して骨が見えている部分さえある。にもかかわらず悪しき魂を宿したその体は動くことを強要され、生きている者の生命力を嗅ぎ取り、それを蹂躙しようとこちらへと向かって来た。


 ここに自分たちがいるからこそ、街に被害が出ないのだ。手近な人間から襲うその単調な思考回路ゆえに、ゾンビを引きつけてとどめておくことができる。


「ルーナ様、浄化を。神に祈りを捧げるのです」


 慌てふためくルーナにアリサは極めて冷静な助言をした。ルーナは慌ててその場に膝をつき、祈りの言葉を口にした。

 

「てっ……天に召します我らが神よ、願わくばあなたの忠実なるしもべ、ルーナリウス・デュポアにその力の一端を……っひい!」


 アンデットの発する怨嗟の声に反応しルーナの祈りの言葉が途切れる。一旦集中力が途切れてしまうとダメだった。ルーナは十歳という年相応の少女よろしく、目の前に迫り来る死者の大群に恐怖の声をあげ、その場に尻餅をついて目に涙をためる。


「こ、怖い……ゾンビが、ゾンビがいっぱいいるぅ……!」


 アンデットを普通に怖がるルーナを見ていると可哀想になって来る。周囲の護衛騎士がルーナを励ました。


「大丈夫です、ルーナ様!」

「御身は我々が守りますので、祈りに集中を!」

「ルーナ様の神通力があれば、アンデット如き一網打尽にできましょう!」

「さあ、お早く!」


 とは言いつつ、規定によって亡骸に傷をつけることはできないため騎士に出来ることといえばせいぜい肉壁になることぐらいだった。噂とは違ってアンデットに噛まれてもゾンビ化したりはしないけど、されて気持ちのいいものではない。できればさっさと浄化してもらいたいというのが騎士達の本音だ。

 だんだんと迫り来るアンデット。放っておけば増える一方のその数はすでに数百に及び、輪を描いて包囲して来る彼らを前にさしものアリサも大声を張り上げた。


「ルーナ様、周囲に惑わされずに祈りに集中すればいいのよ!」


「でも、怖い……アリサお姉様、助けてください……!」


 泣きじゃくるルーナはすでに心が折れている様子で、祈りを捧げるどころではなかった。

 もうすでに打てる手はあまりない。ルーナが奮い立つ前にこちらがアンデットに飲み込まれてしまう。ユアンがアリサをちらりと見ると、アリサは覚悟を決めたように一つ頷く。

 履いていた靴をぽいと脱ぎ捨てると、その場に跪き、両手を組んで天高くに突き上げる。そして朗々と祈りの言葉を口にした。

 

「天に召します我らが神よ、願わくばあなたの忠実なるしもべ、アリアローサ・ドゥ・シヴィニヨンにその力の一端を貸し与えたまえ!」



 ーー聖なる祈り(セイント・ジャッジ)!!



 ドンっと音がして極太の光が天から降り注ぐ。

 まばゆい浄化の光によって視界が白く染まり、何も見えなくなった。

 逃げる時間も場所も与えないアリサの聖なる祈りの力は、アンデッドの体を貫き、その体に宿る悪しき魂のみにダメージを与えた。

 人間には何ら悪影響を及ぼさないその光は墓陵全体に広がり、アンデットを浄化し尽くし、そしてやがては収束した。

 

 再び暗くなった墓場に残ったのは、魂が抜き取られ元に戻った死骸だけだった。


 凄すぎるアリサの神通力を目の当たりにしたルーナとお供の六人の騎士はあっけにとられ、口を開いて立ち尽くしている。

 ユアンとしても久々に見たその威力に、やっぱりアリサ様の聖女としての力はまだ衰えていないな、などとのんきに思っていた。


「ーーさて」


 そんな一同の思いなどどこ吹く風なアリサは立ち上がると膝についた泥をはらい、そしてニッコリと笑った。その笑みは慈愛に満ちていた。


「終わったわね。ご遺体を埋葬し直しましょうか」


 そんなことを言いながら。


 魂が抜けた遺体はその場にくずおれて物言わぬ骨と肉の塊となってしまうため、それらを埋葬し直し必要がある。当然、たった九人でできるような仕事ではないため、浄化が終わったら墓守の一族や聖職者を呼び寄せる算段となっていた。

 本来ならばここで帰ってもいいのだが、アリサはこの埋葬作業までも丁寧に付き合っている。埋め直し、祈りを捧げるその様は完全に聖女そのもので、すでに引退しているとはいえ多くの者達が心を打たれている。


 やがて朝日が昇る時間になりやっと埋葬作業が終わる。口々にお礼を言いながら去っていく人々を見送り、そこには来た時同様ルーナと護衛騎士、そしてアリサとユアンのみになった。

 

「ありがとうございます、アリサ様」


「いいえ、お安い御用よ」


「……私、全然駄目でしたね。押し寄せるアンデットに怖気付いて祈りの言葉が続かなくって……聖女失格です」


 俯き涙声で言うルーナの手をそっと取り、アリサは極めて優しい声を出す。


「そんなこと無いわ。皆、初めは自信がなかったり失敗したりするもの。私もそうだったもの。大切なのは努力を怠らず、日々研鑽を積むことよ。祈りを捧げ、聖書を読み解き、務めを果たしていればルーナ様も立派な聖女になれるわよ」


 真摯な言葉に胸を打たれたルーナは感極まった声で「アリサお姉様……!」と言った。

 アリサはニコリと微笑むと、言葉を続ける。


「何か困ったことがあれば、いつでもカフェ エスペランサへ来てね。いつでも私は待っているわ」


「はい……!」


 コクコク頷くルーナは感謝の言葉を述べ続けながら、馬車に乗って神殿へと帰って行った。送ると言われたので聖都までその言葉に甘え、城壁内に入ったところで降りてアリサとユアンは徒歩で店兼自宅へと帰って行く。


「とりあえずお風呂で、そのあとは開店作業ね」


「まさか、徹夜後にも店を開ける気ですか? 少し休んでください」


「あら、何を言っているの。お客様がいらっしゃるんだからいつでもお店は開けておかないと」


 ぐっと両手に握りこぶしを作るアリサは完徹の疲れを微塵も感じさせない。頼もしいことこの上なかった。


「さっ、帰って汚れを落としましょ!」


 朝日に照らされ、良い笑顔を浮かべるアリサにユアンはついていく。

 本日もカフェ エスペランサは営業するだろう。新たに来るお客様を待ちわびながら。


お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編なのにエピソードの完結までが爽快ですね。長編にするにも過去編と現代編に脇役さんの話しも作れそう。 [気になる点] 何もないです。 [一言] エピソードの話しが好みです。説明文章が長く書…
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