【短編】美しい姉と、ヤンデレ義弟の苦悩 ~僕は姉さんの為なら何だって出来るよ。そう、何だって。ねえ、姉さん、え、ちょ、姉さん? いやそれはちょっ、え、姉さん!?~
僕は姉さんのことを愛してる。
それが許されない想いだということは知っていた。
けれど、愛さずにはいられなかったのだ。
ああ、姉さん。
どうか僕だけを見て、僕だけを感じ、僕だけの為に生きて欲しい。
それが叶わないなら僕は、僕は────。
屋敷の廊下。
家人の寝室があるフロアだけれど父さんと義母さんの寝室は反対側にあるため、この角を曲がった場所にあるのは僕と姉さんの部屋だけだ。
いつものように家族揃っての食事を終え寝る前の挨拶をした僕たちは、隣同士の部屋へ入るためにそれぞれが自身の部屋のドアノブに手を掛けた。
そのタイミングで僕は彼女へと呼びかける。
「姉さん」
「なあに、アル」
簡単な作りのドレスの上に羽織を掛けただけでしかないはずの彼女は、だというのに窓から差す月明かりが照らす廊下で妖精のように輝いて見えた。
アル、と。名を呼ばれただけ。
それだけでドキリとしてしまう。
僕がゴクリと喉を鳴らし言葉を切ったのを見て、彼女は蠱惑的にも見える笑みをその美しいかんばせに乗せ「あら。怖いお顔」と悪戯に微笑んだ。
十六となり誰もが見惚れるほど美しく成長した彼女は、時々年齢よりも大人びた表情を見せることがある。
自らが他者を惑わすだけの魅力を持つと自覚がありやっているのか、それとも天性のものなのか。
魔性とも呼べるほどの破壊力を持つ彼女の微笑みに、ますます目が離せなくなった。
抜けるような白い肌。シルバーの髪と淡く青みがかった瞳。
淡い色彩の中で先ほどまで暖炉に当たっていたためか頬と唇だけが薄っすらと色付いている。
朱に染まるそれらだけが、彼女が人を堕とすために遣わされた魔性の者などではなく精気ある人間なのだと分からせる。
窓越しにヒヤリとした冷気が足元へと侵食してきていた。
夜の冷たさは彼女とよく似合いだ。
彼女の容姿に”熱”は似合わない、と内心思う。
時が止まったような冷たい色彩と作り物のように整った容姿をした彼女。
けれど、彼女が冷たいだけの人形ではないのだと僕は知っている。
心の温かな人なのだと僕は知っている。
「姉さん」
世界で唯一、僕だけが許された呼び名。
それが嬉しく、そして憎らしい。
「なあに、アル」
再びの呼びかけにも変わらず微笑む彼女は、それでも少し困った子を見るように目元を和らげた。
彼女にとって僕は小さな子どもと同じ。
義弟。
それだけが彼女にとっての僕であり全てだ。
「姉さん」
三度の呼びかけに、ついに彼女は細いため息を吐いて苦笑した。
「はいはい、どうぞいらっしゃいな」
「ありがとう」
彼女の細い指によってドアノブが回され、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
室内を照らすランプの灯りが開かれた扉から漏れ、彼女の部屋の中が見える。
両親にも使用人にも内緒の、夜のひととき。
眠る前の少しの時間を、僕は度々彼女にせがんでは共に過ごしてもらっている。
幼い頃は、血の繋がった母の死を受け入れられず新しい家族との生活に馴染めずにいた寂しさを埋めてもらうため。
そして十五になった今は、屋敷中が寝静まる彼女の部屋で二人───。
「良い? 健全な魂は健康な肉体に宿るのよ」
溌溂とした言葉の内容とは裏腹に、細く白い彼女の喉から発される声はどこまでも耳に心地良く優しい。
「姉さん、それはもう何度も聞いたよ。それよりも姉さん、ちょっとこっちのベッドで一緒に……」
「本当に分かっているのかしら? アルも寝付きが悪いのだから一緒にやれば良いのに」
「……その格好を?」
「ええ、この格好を」
苦笑する僕に、姉さんは気付かず変なポーズを取り続けている。
姉さんお得意の”よが”のポーズだ。
姉さんはこういうどこで覚えてきたのか分からないような健康法が好きだ。
毎夜フーとかヒーとか不可思議な呼吸法を試しながら、体を伸ばしているのか人体の限界に挑戦しているのか分からないようなポーズを取っている。
そんな姉さんも好きだよ……。
僕が姉さんを異性として意識し始めて十年。
僕はもう姉さんのどんなところだって愛せる境地に達している。
美しい姉さん。
血の繋がらない僕を慈しんでくれる心優しい姉さん。
いつだって僕を優先し心を傾けてくれる姉さん。
僕のわがままを断らない姉さん。
毎夜人前では見せられないような格好で体を捻る姉さん。
早朝のジョギングとコップ一杯のレモン水(レモン8:水2)を欠かさない姉さん。
何でそんなに強いの? ってちょっと引いちゃうぐらい護身術に心得のある姉さん。
僕が十歳の時、街で絡んできた酔っ払いの大男五人を素手で叩き伏せた姉さん。
僕が十二歳の時、若気の至りでベッドに引っぱり込もうとした僕を秒で”腕ひしぎ十字固め(姉さん談)”にした姉さん。
僕が十四歳の時、毎日のティータイムに少しずつ盛っていた媚薬がこれっぽっちも効いた様子が無いから偽薬なんじゃないのかと疑ってちょっと舐めてみたら滅茶苦茶効いて三日三晩悶える羽目になったんだけどどういうことなの姉さん。
おととい、僕の部屋でクローゼットに二重蓋で隠していたはずのお宝(意味深)といざという時の為の手錠や猿ぐつわが全部綺麗に整頓されてカテゴリー分けされてしまい直されていたのは姉さんなの? 姉さんだよね?? 義母さんじゃないよね??
ああ姉さん、好きだよ姉さん。
姉さん、愛してる……。
僕の気持ちに気付きもしない姉さんが、愛しくて愛しくて、憎らしい。
いつか姉さんが僕から離れていこうとしたその時は僕は何をするか分からないよ。
姉さんのことを無理やり、無理、無理やり……、ちょっと罠とか仕掛けたりして捕まえ、られるかなあ……、えっと、薬とか盛って眠らせ……眠るよね? さすがに姉さん眠るよね? 熊用? 熊用がいる? 麻酔銃はさすがに……。
とにかく、僕は何をするか分からないよ姉さん。
「さあ、明日も朝早いのだからもう寝なさい」
「その前に姉さんこっちを見て、あ、ちょ、え、力つよ」
「ほらいつまでもベッドに座っていては駄目よ。自分の部屋へ戻りなさい」
「待って、ちょ、ぐいぐい来るじゃん。ちょ、持ち上げないで! 自分で歩くってば!」
「待てませんよ。まあ! アルってばこんなに軽い! って、あら? 顔が赤くなくて? 熱があるの?」
「姉さん降ろして! 僕はもう十五なんだよ! そ、それに当たって……ッ!」
「あら元気じゃない。寝る前に興奮しちゃ駄目よ」
「姉さん!」
ポイッと僕の部屋へ放り込まれ、バタンと扉が閉まる。
そ、そうだ焦っちゃいけない。
姉さんをどうにかするのは最終手段なのだから。
せっかく二人きりになれる夜だって、僕は姉さんの為なら『待て』ができるよ。
姉さんが一歳違いでしかない男の僕を片手で持ち上げ運べる腕力ゴリラでも僕は大丈夫。
白く簡単に手折れそうなその細腕は本当に信じられない力を秘めているね。
大丈夫、愛しているよ。
とにかく自分の部屋へ一人戻ることになってしまった僕は、雑念を振り払うため部屋に敷きっぱなしの特別製のラグの上に移動した。
仰向けに寝転がると、両手を頭に添えて上体を起こす。
そして捻りを加え息を吐くと、ゆっくりと背を床に付け体を横たえた。
勢いをつけないよう、腹筋へかかる負荷を意識しながら再び状態を起こすことを繰り返す。
姉さん、待っててね、僕が、姉さんより、強くなった暁には、僕は、何をするか、分からないよ……ッ!
腹筋が悲鳴を上げるけれど、僕はそれを知らないふりをして虐め抜く。
この一回が、将来姉さんをどうこうする、力になる……ッ!
そうして百回繰り返したところで大きく息を吐いて大の字になると、特別製のラグは僕がかいた汗をしっかり吸い込んでくれる。
さすがは父さんが愛用しているラグだ。
ある日何かを察した父さんが『お前も頑張れよ。負けるな』と言って渡してくれたこのラグは、筋トレ時に使えば体が痛くならず滑り止めの役割もこなし、洗濯もしやすい優れものだ。
僕はつい先日見てしまった良い笑顔の義母さんにお姫様抱っこされ運ばれる父さんの姿を思い出しそうになって慌てて頭を振るとうつ伏せ姿勢に切り替えプランク*の形を取る。
*プランク……効率的に体幹の筋肉に負荷をかける筋トレ姿勢。
イチ、ニ、と頭の中を経過秒数を数えることでいっぱいにして思考を散らす。
幼い頃に聞いた気がする冗談みたいな義母さんの武勇伝は覚え間違いに違いないのだから。
姉さんそっくりで雰囲気の柔らかな儚げ美人の義母さんが実は隣国で伝説になっている戦闘派女傑一族の末裔で、単騎で一個大隊と張り合ったことがあるとかそんなことある訳ない。
続けて腕立ての姿勢を取ると肩幅よりも大きく広げて手を付き、腕立て伏せで二の腕の内側の筋肉を虐める。
ふふふ、僕の体がどうなろうとも、姉さんの、ううつらい、姉さんをこの腕に、閉じ込めるためなら……。
ぐっ、ぐっ、とゆっくりと腕を畳み、何度も何度も床すれすれまで額を下げる。
学園へ通うようになった僕は成績は学年でトップ。
剣技などの実技でも負け知らずで家柄も大家で将来有望、かなりのエリートと言ってしまっていいだろう。
女子生徒から言い寄られることも多いが、僕には姉さんさえ居ればあとは塵芥だ。
「姉さん、姉さん」
何故だろう、スクワットしながらちょっと涙が出てきた。
もうちょっとこう、僕主導で色々展開していけるアレだと思ってた。
今でも思ってる。
もっと、こう、何かあるんじゃないかなって。
僕こんなになりふり構ってないのに、なんでこんなにビクともしないのかなって。
たとえ刃物出したところで何? って感じじゃん。
出さないけど、刃物。
姉さんが手に入らないなら目の前で死んでやろうかくらいの気概はあるよ?
でも、たぶん秒じゃん?
秒で制圧されるじゃん?
最後に一度ハァと大きく息を吐き、今日のトレーニングを終える。
寝る前に汗をかいた僕は、いつものように軽くシャワーを浴び直してからベッドへと潜り込んだのだった。
その日、夢を見た。
叫ぶ僕と涙する姉さん。
僕は裂けるように歪に笑い続け、それを見てハラハラと泣き崩れる姉さんは可哀想で愛おしい。
『僕無しではいられなくしてあげる』
『アル……っ!』
言いながら僕は泣く姉さんの愛らしい口を猿ぐつわで塞ぎ、その華奢な腕に手錠をかけ、自由を奪う。
『これで姉さんはずっと僕の、僕だけのもの』
恍惚と笑んで、そこで。
目が覚めた。
「ま、無いよね。多分、手錠引き千切れるしなあ姉さん……」
上り始めた太陽の光がカーテンの隙間から差している。
筋トレを始めてから寝付きが悪かったはずの僕の入眠は非常にスムーズだ。
朝もこうして小鳥のさえずりと共にパッチリと目が開く。
けれど、頭痛もしないのに頭が痛い。
何か僕は失ってはいけないものを失っている気がする。
アイデンティティとか、そういう何か。
コンコン
ドアを叩く控え目な音に「はい」と返事をすれば、ノックの主は姉さんで。
「おはよう。アル」
「おはよう、姉さん。今起きたところなんだ。着替えるから先に行っていて」
「分かったわ」
ドアを開けばそこには運動がしやすい服装に既に着替え終えた大好きな人。
今日も僕が彼女の日課のジョギングに同行することを察して、姉さんは朗らかに笑った。
ああ、この笑顔が好きだなあ。
「アル! 待ってるわ」
「うん、姉さんすぐ行く」
僕の中で長年くすぶり続ける黒く淀んだ靄は消えず、今も腹のうちで蠢いている。
これを向けられる相手はどうしようもなく哀れだ。
けれど、姉さんは僕のそれを寄せ付けない。
そんな姉さんに、やっぱり僕は救われ続けている。
着替えを済ませ明るい日の下、外に出れば朝の澄んだ空気が肺に満ちる。
夜と同じだけの温度を孕んだ冷気のはずなのに、姉さんが駆ける朝の景色のなんて爽やかなことだろう。
陰が似合いの僕の本性は、けれども彼女に惹き付けられ続ける。
彼女に続いて一歩駆け出せば、それだけで体の中がいっぺんに綺麗に入れ替わるような心地がした。
僕は今日も彼女を愛する。
暗く淀んだ泥を毎日体に蓄積して、それを彼女が簡単に跳ね退け取り去って。
大好きな姉さん。
僕が太刀打ちできない、たった一人の大切な人。
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