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歯車の街のねじまき  作者: 奇村兆子
◆二 オウムアムアの物語
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◆二 オウムアムアの物語

「――あ、ほら見てメウ、流れ星!」

 それまでベランダで静かに夜空を眺めていたスピンカが、興奮した声で僕を呼んだ。

 けれど僕がベランダに出てスピンカの指さすほうを向いたとき、もう流れ星は消えていた。

「あーあ……遅かったね」

 スピンカは少し残念そうに笑いながら、ゆっくりと指を下ろす。

 それからしばらく、僕はスピンカの隣で夜空を眺めていた。

 スピンカがベランダに出るのは夜空が澄んでいるときだ。

 暗くとも雲が浮かんでいる様がくっきりしている。星もよく見えて、たまに流れ星なんかが現れたりもする。

 そんな夜空をぼーっと眺めたり、望遠鏡を覗いてみたり、そうやってストレスを解消しているらしい。

 僕はというと、そんなスピンカの隣にいるのがただ心地よかった。

 子どものときから変わらない小柄で華奢な身体つき。

 たまに吹きつける風に長く伸ばした髪が踊り出すのを鬱陶しそうに押さえる仕草。

 隣にいると安らかな気持ちになる。

「オウムアムア……」

 ふと、スピンカが耳慣れない言葉を口にした。

「遠い昔、人類は太陽の付近で奇妙な動きをする不思議な物体を発見した。全長およそ400メートル、秒速26キロメートルで移動する巨大な岩石。葉巻のような細長い形をしたそれはどこからやってきたのか、太陽に接近するとぐるりと方向を変え、猛スピードで加速、この星をかすめて外宇宙へと旅立っていった……」

 物語を読んで聞かせるような口調で、スピンカは語る。

「人類にとって天体観測史上初の恒星間天体だった。恒星ってのはつまり太陽のこと。ひとつの場所で動かず常に輝いている星でね、宇宙は恒星を中心にして成り立っている。だからその天体は、太陽系とは違う別の宇宙からやってきたってこと。それまでもそういう天体があるだろうという予測はあったものの、実在が確認されたのはそれが初めて。旅人のようにどこからかやってきて、去っていったその不思議な天体は多くの研究者の注目を集めた。宇宙人の送り込んだ探査機なんじゃないかって説も大真面目に考えられてね――」

 スピンカは普段そんなに喋らないのに、好きなことになるととたんに饒舌になる。

 また始まったか、と僕は困ったような笑みを浮かべるけれども、実際のところその興奮を抑えたような声も、どこか詩的な言葉も好きだった。

 スピンカのゆったりとした解説を聞きながら遠い宇宙の物語を思い浮かべると、よく眠れる。

「その天体にはオウムアムア――〝遠い過去からの使者〟という名前が与えられた」

 緩やかな夜風に撫でられ、スピンカの可愛らしいにおいが流れてくる。

 洗剤の類は全部同じものを使っているはずなのに、自分とは全く違うように感じるのは不思議だ。

「メウはどう思う? オウムアムアって本当は何だったと思う?」

 いつのまにか、スピンカは夜空ではなく僕を向いていた。

 膝小僧をぎゅっと抱いて、その両足の先を扇のようにくっつけたり離したりしている。

 僕はしばらく、その答えを考えてみた。

 ――いつだったか、昔似たようなことを訊かれたな。

「スピンカはどう思う?」

「えー、真面目に考えてよ」

「じゃあ、岩石に擬態した宇宙生物とか」

「映画の見過ぎ」

 口を尖らせて、スピンカは僕の答案を却下する。

「そう言われてもなあ。それより、スピンカの答えが聞きたい」

「もう……そうだなあ」

 それでまた夜空に向いて、しばらく考える。

 きっとそのずっと向こうに思いを馳せながら。

「未来……かな。オウムアムアは、未来だと思う」

「未来? また抽象的だな」

「だって極端な話、たとえばそれがもし宇宙人の送り込んだ探査機だったとして……この星は宇宙人に滅ぼされるかもしれないし、あるいは救いをもたらしてくれるかもしれない。たとえただの岩石だったとしても外宇宙から来た事実はいろんな研究の役に立つし、それで第二第三のオウムアムアが来たときには、何かとんでもないことがわかるかもしれない……そういうふうにいろいろ未来を想像できる」

「オウムアムア自体がどうこうじゃないのか」

「オウムアムアの正体なんてね、本当はどうでもいいと思う。大事なのはオウムアムアが現れたこと。この宇宙には外があって、自分たちにはまだまだ辿り着けない未知の領域がたくさんある――そう多くの人が確信できたことだと思う」

「うん……」

「そうするとさ、いろいろがんじがらめになったこの世界で生きることが――少しだけ、楽になる」

 そしてスピンカは抱いた膝小僧のあいだに口を埋めた。

 きゅーっと、細く、小さく、頼りなく背を丸める。

「きっとそういうのを希望というんだよ」

 その横顔は、どこか切なげに見えた。

「――ねえ、メウ」

「何?」

「待っててくれる?」

 珍しく不安げなその声に、複雑な感情が込められているだろうことを汲み取りつつ――。

「当たり前だろ」

 僕はそう答えた。

 それで少し安心したのか、スピンカは微かに頬を緩める。

「帰ったら、話したいことがあるから」

「わかった」

「――じゃあ、行ってくるね」

 スピンカはそう言って、寂しげに笑ってみせた。

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