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歯車の街のねじまき  作者: 奇村兆子
◆十二 再興七五周年記念式典
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◆十二 再興七五周年記念式典 ②

 そして――僕は、いるはずのないものを見た。

「――モグラだ」

 キュボーが呟く。同時に、作業着がコンバットモードに変形する。

「盾!」

「展開した」

 僕はモグラを見ないようにして、すぐさま盾に隠れる。

「通せんぼのつもりか……ねじまき!」

「あっ……はいっ」

 ねじまきは呆気にとられたような顔をして突っ立っていたが、振り切るように盾に隠れる。

 僕も人のことは言えないが、ねじまきの様子がいつもと何か違う。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です。わかってます」

 こんな状況なのに、ねじまきは頬を赤く染めながら縮こまっている。

 その様子を見るに羞恥心のようなものが刺激されているのか。

 モグラに卑猥なものか、あるいは恋人の姿でも映っていたのだろうか。

 恋人――。

『メウ……』

 ふと、僕の耳に聞き覚えのある声が入ってきた。

 隣からではない。

 どこか遠くから。

 でもそんなに離れてはいない。

「モグラか……」

 自分に言い聞かせるように、そう呟く。

 これはモグラが発している特殊な音だ。

 おそらく何らかの作用によって僕の耳にはスピンカの声に聞こえている。

 ただそれだけ、幻聴だ。

 だいたい聞こえるはずがないのだ。

 スピンカはもう、死んだのだから――。

『メウ、どこにいるの? 会いたい……メウに会いたい……』

 けれども、たとえば。

 僕とスピンカは何らかの理由で引き離されていて、スピンカが死んだという情報が僕の記憶に植え付けられているだけだとしたら。

 スピンカはいまもどこかにいて、僕を探しているとしたら。

 いや、馬鹿馬鹿しい。

 そもそもそんな面倒なことをするくらいなら、僕とあいつの記憶から互いの存在を消せばいい。

 だいたい、スピンカなんて本当はいなかったかもしれないじゃないか。

「メウさん……?」

 ふと、心配そうなねじまきの声が聞こえた。

「あ、いや……僕も大丈夫だ。何ともない」

 そう、いまはすぐそばにいる仲間たちを大事にしなければ。

 幻聴など気にしている場合ではない。

 僕たちはモグラと戦っているのだから。

『メウ……そこにいるの?』

 僕はキュボーの盾からそっと顔を出し、モグラを窺う。

「キュボー……」

「珍しいが、人型のモグラだ」

「人型?」

「トインの顔、タリランの胴体、カンチュロとデムの腕、オピードの足……配管工を殺して奪った部品で組み上がっている。継ぎ接ぎだらけの醜い野郎だ」

「死んだ人間に見えるのは間違っていないということか……」

『メウ、だまされないで。冷静になって』

 そもそも、モグラとは何なのだ?

 なぜ奴らはこの謎の施設を徘徊している?

 いつからここにいる?

 ふいに現れて襲ってくるのは?

 わざわざ僕たちに幻覚やトラウマ記憶を見せつけてくるのは?

 僕をこんな気持ちにさせるのは、なぜなんだ。

 いつかねじまきが口にしたのと同じ疑問――いや、憤りが胸中を駆け巡る。

 僕はモグラを撃破するため、銃を取り出す。

 いま見えているのはただの幻覚。

 これから倒すのはただのモグラだと何度も念じながら。

『――メウ。あたしがわからないの……?』

 うるさい。

 スピンカはそういうことを言う奴じゃない。「あたし」なんて一人称は絶対に使わない。

 なのに――手が震えて、うまく銃を掴めない。

 僕の身体が思い通りにならない。

 そのあいだにもモグラはゆっくりとこちらに近付いてくる。

 呼吸の音がうるさい。

 心臓が激しく脈打っている。

 視界がチカチカする。

 喉が熱い。

 ねじまきの声が遠くに聞こえる。

「メウさん、しっかり! あれが何に見えますか!?」

「あれは……」

 長い髪を垂らした、小さく細く頼りない人影。

 懐かしさを覚えるおぼこい顔――。

 たぶん、こういう形では絶対に見たくなかった存在。

 けれども、会いたくて会いたくて仕方がない存在。

「スピンカ……」

「えっ……」

 ねじまきは驚いた顔になってモグラに振り向き、それからまた僕のほうに向き直る。

 ねじまきには、あのモグラがどう見えているんだろう。

 僕にとってのスピンカと同じように、君にとって大切な存在だろうか。

「キュボーさん!」

 ねじまきがキュボーに呼びかける。

「さっき言った通り、配管工の部品を使っているだけの、ただのモグラだ。レベル2。大したことはないが、いままでのモグラとは装甲の質が違う」

「撃破できます?」

 すっかり慣れた手つきで銃を取り出し、弾倉を開くねじまき。

「……有効なのはグレープ弾だ」

「グレープ弾?」

 聞いた通り、ねじまきはグレープ弾を探そうとする。

 しかし――そんなものは配管工には渡されていない。

 ねじまきはグレープ弾がどういうものなのか、知らないのだ。

 僕もキュボーも教えていない。

「対人用の弾だ」

 キュボーが告げる。

「対人用って……そんなの持ってない」

「俺が持ってる」

 ロック解除の音が鳴る。

 キュボーはサブアームを展開し、ねじまきの前まで伸ばす。

 そこに一発の弾薬――。

「造反に対する抑止力というやつだ」

 ねじまきはその意味を察したのか一瞬固まった後、無言でキュボーから弾薬を受け取り、装填する。

 僕を置いて、二人のやり取りが進んでいく。

『こっちに来て、メウ……』

『だめ、耳を貸さないで』

『そこにいるのは偽物だよ』

『偽物なんかじゃない』

『寂しい……寂しいよメウ、はやくこっちに来て』

 スピンカの声がたくさん聞こえる。

 あいつが口にしなさそうな言葉で。

 頭のなかがぐるぐるする。

 正常な判断が――できない。

 まとまらない。

 霧散する。

 翻弄される……。

 だめだ、僕は使い物にならない。

「作業着の自動運行を使う……」

「よせ、メウ!」

 僕は作業着の首の窪みにあるスイッチを押し込む。

 ほどなく作業着のモーターで僕の身体が動かされる。

 これでようやくまともになった。

 そうほっとしたのも束の間。

「なんだ――?」

 モグラと戦うべきプログラムを実行するはずの自動運行モード。

 けれども僕の身体は立ち上がると、キュボーの展開した盾を出て行く。

 そのうえ武器も持たずに、モグラの前にのこのこ生身を曝け出す。

 モグラを相手にするうえで絶対にやってはいけないことだ。

 ――なぜだ? どうしてこうなる?

 僕の身体はそれから、モグラに向かってぎこちなく歩き出した。

 なぜかモグラも攻撃してこない。

 ――ああ、そうか。

 僕は気付いた。

 ――あれは、本当にスピンカだ。

 モグラではない。

 だからこうして馬鹿な真似ができる。

 ――なんだ、宇宙に行かずに地下にいたのか。危ないから来るなとあんなに言ったのに。まったく仕方のない奴だ。いままでどこをほっつき歩いていたのか。

 身体が動くままに委ね、僕はようやく何か解放されたような、まどろみのなかの安心のような、とろけるような多幸感を覚えていた。

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