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歯車の街のねじまき  作者: 奇村兆子
◆十一 歯車の街
33/47

◆十一 歯車の街 ①

 気が付くと、僕は地下を歩いていた。

 といっても、よく見知っている地下とは何か雰囲気が違う。

 人の気配がする。

 僕はとあるドアの前に辿り着いた。

 向こうにだれかいる。

 ノックをしてみる。

「お入り」

 そんな声が聞こえて、僕はドアを開ける。

 小さな部屋だった。

 けれども、モニタが壁一面に所狭しと並んでいる。

 そこには、ねじまきやスピンカ、キュボー、そして僕の姿も映っている。

 机の上はごちゃごちゃしている。積み重ねられた書物。散らかった原稿用紙。灰皿には吸い殻の山。

 部屋全体が煙たくて、少しもやがかかっている。

「やあ」

 背もたれの大きいリクライニングチュアが回転する。

 現れたのは、煙草をくわえた老人。

 いつだったか、街なかで自爆テロを起こした老人のメカ・サピエンスだ。

「前もどこかで会ったことがあるかな」

 煙草を口から離し、白い煙を吐きながら老人は微笑んだ。

「……そうだ。いつだったか、街中の広場で騒ぎを起こしてみたことがあった。そのときに一瞬だが君と目が合った」

「……」

「たまには、作品に作者自身を登場させてみるのも悪くないことだね。なかなかに面白い体験だった」

「作品? 作者? 何の話を……」

「私は物書きだ。いま、この世界の物語を描いている」

 再び煙草をくわえ、吸う。

 そして灰皿で押し潰す。

 鼻の穴から白い煙が吐き出される。

「――君は歯車のひとつだね」

 その言葉に、なぜか僕はどきりとした。

「歯車?」

「その半身を失ったまま回り続けている、役立たずの歯車……。この街はひとつの大掛かりな機械だ。いや――劇を演じる自動機械といったほうがいいかな。ひとつひとつの歯車が噛み合って回ることによって稼働している。君たちはその歯車だ」

「あなたはそうではないと?」

「そうだね。少なくとも私と君とは違う次元の存在だ。私はこの劇の台本を書いているわけだから」

「神か何かのつもり?」

「神……昔はそう思い上がったこともあった。自分だけは特別で、この世界を上から立って見ていられる。物語の生みの親として……だがね、気付いたのだよ。私もしょせん、この世界の一部でしかない。作者も観客も劇の一部なのさ。作者がいないと劇はつくれないし、観客のいない劇には何の意味もないだろう?」

「……」

 散らかった原稿用紙を手繰り寄せ、その上に虚ろな目を泳がせながら、老人は語り始める。

「私は若い頃、愛する人を亡くした。互いにこころを許し合える、唯一無二の尊い存在、我が半身ともいえる人だった。だがその命はほんの一瞬、ほんの些細なことで失われた。積み重ねてきた時間が夢であったかのように、手のひらで溶ける雪のように儚かった……」

 壁一面のモニタのひとつひとつに、スピンカの顔が映し出される。

 悪戯っぽく笑うスピンカ。

 何かに夢中になっているスピンカ。

 華奢な指で涙を拭うスピンカ。

 すました表情のスピンカ。

 安らかに眠るスピンカ――。

「何もかもがむなしく、悲しい。その失った半身を埋めるために、私は物語を描き始めたのだ……」

 老人はくしゃくしゃになった小箱を手に取り、新たな煙草を取り出す。

「吸うかね」

「いや……」

「そうか」

 そのままライターで火を点け、咥える。

「私とあの人とで繋いでいけるはずだった未来。もしもあのときこうだったらという架空の過去、人生のたくさんの可能性。SF、ファンタジー、サスペンス、ホラー、ハードボイルド、ミステリー、ノンフィクション……物語のなかでなら、私はいつでも、いつまでもあの人に会える――はずだった」

 ふと、何かにむせたように咳き込む。

 それでも煙草は手放さない。

「だがしかし、どんな物語を描いても、途中で行き詰まってしまう。悔しくもあの人は必ず亡くなってしまうのだ。そして何ものかが私の物語に入ってきて、それはとても魅力的なのに、私はそれをじゅうぶんに活かせないまま、歯車が止まってしまう。思い通りにならない、滅茶苦茶だ。そうして何度も何度も描き直しては、その度に同じところで行き詰まり、そいつは現れる。あの、奇妙な巻き鍵を持った――」

 壁一面のモニタに、今度はねじまきが映し出される。

「そう、君にとっての彼女だ」

 ねじまきが笑う。

 泣く。

 怯える。

 ムッとする。

 頬を赤らめる。

「君は私を神のつもりかと問うたが、しかし私のように物語を生み出す側の人間ならだれもが考えるさ。私もまただれかが描いた物語、その登場人物に過ぎないのではないかと……」

「だれかって……」

 老人は煙草を咥え、少し間を置いてポッと輪型の煙を吐いた。

 しかし宙に浮いたその円環は瞬く間に崩れ、白濁した空気のなかに溶けていく。

「あの奇妙な巻き鍵はどこから来たのか……あんな登場人物、私の物語にはいなかった。勝手に動き回って、どう向き合えばいいのかわからない。腹立たしいことに私でさえ手に負えない――あれは何だ!」

 煙草を吸い殻に押し付けるや否や声を荒げ、机を叩きつける。

 吸い殻の山は崩れ、灰皿から零れ落ちた。

 肩を怒らせながら原稿用紙をくしゃくしゃに丸め、モニタに映るねじまきに向けて放り投げる。

「……だが本当に腹立たしいのは、あの巻き鍵を活かせない私自身。己の描くものが物語たり得ぬことを突き付けられる、不甲斐ない私自身だ……」

 やがて老人はふーっとため息を吐いて肩を落とし、チュアの背もたれに身を預ける。

 そこにいるのは小さくて頼りない、弱り切った老人だ。

「思うに、あれは我々の物語を描いている奴からの贈り物なのさ」

「僕らを外から見ている、だれかの?」

「そう」

「何のために?」

「さあ。知る由もない。だが……そう思うことでひとつ気付いたことがある。つまり、あれこそが私自身の欲望なのだと」

「欲望?」

「私はあの人との、あの関係を壊したくはなかった。唯一無二の友人のままでいたかった。しかし、その一方でたしかにあの人を欲望する私も存在していた。そして、それはあの人もそうだった。互いにより深い関係を密かに望んでいた、望んでいながらやはりあのままの関係でいたかったことにも、互いに気付いていた。しかしそれを認めるのは、どちらにとっても苦しいことだった……その先の物語など存在しない。私たちの関係に、未来などはじめからなかったのだ」

 どうしてだろう。

 老人のその話を聞いていると、締め付けられるように胸が痛い。

「君もそうだろう?」

 老人が僕に視線を流してくる。毀れた刃のような目だ。

「君は彼女を抱き締めたくてたまらないはずだ。愛する人にそっくりな彼女を。愛する人にはできなかったことを、したくてたまらない。なぜなら彼女は君の欲望であり、願望だからだ」

 モニタにねじまきとスピンカの顔が映される。

 それらは互いに近寄せられ――重なる。

「――違う!」

 思わず僕は反駁(はんばく)していた。

 その僕の様子を嘲るかのように、老人が鼻で笑う。

「違わないさ。君が愛する人に望んだがままに、彼女は現れたのだ」

「望んでなんか……」

「だが君は彼女を抱けない。なぜなら、抱いた時点で彼女は愛する人ではなくなるからだ。君にあるのは偽りの記憶かもしれないが、君自身は偽ることのできない性分だ。君の愛は永遠に彼女に向かない」

「うるさい、黙れ!」

 気が付くと僕は老人に詰め寄ってその胸倉を掴んでいた。

 自分でも不思議なくらい、激情に突き動かされている。

 胸の奥が熱い。

 ドロドロのマグマのような黒い感情が、噴出しそうなくらいにこんもりと盛り上がり、灼熱の亀裂が走る。

 ――なんだこれは。どうして僕はこんな与太話にここまで憤りを覚えているんだ。

「はは、残念だな! 私を締め上げようと、この物語は、もう動かないのだ。だから……もうあきらめることにした」

「あきらめるって、何を――」

「破局を迎えるというのなら、もはやそれに従うまで。この街はここでおしまいだ。君の物語に続きはない」

「ちょっと待て、ふざけるな!」

 掴んだ胸倉を揺する。

 しかし老人は不敵な笑みを浮かべる。

「おや、未練があるのか! 愛する人を失った記憶に苛まれ、自分の生きている意味すら疑問だった君が! なら、ひとつアドバイスだ」

 目やにだらけの濁った老人の瞳が、僕の顔を反射する。

「もしも君が何かを変えたいと強く願うのなら、彼女を抱きたまえ」

 

 ――そのとき、甲高い音が響いた。

 空間が途切れ、見慣れた天井が現れる。

 やかましく騒ぐ目覚まし時計を叩いてから、ようやく自分の部屋にいることに気が付いた。

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