◆十 ねじまきの過去2
ねじまきと仕事をするようになって二ヶ月ちょっとが経過した。
街の再興七五周年記念式典まであと三週間だ。
基幹部の配管はモグラが多発していることもあってなかなか予定通りに補修が進んでいない。休みの日でも配管工たちはだれかしら地下にいる。作業に穴を空けるわけにはいかないので、配管工の休日は班ごとに別々に割り当てられている。相変わらず死人は出て、その代わりの新人がどこからか補充されてくる。
そんななかでも僕とキュボー、そしてねじまきは何とか仕事をこなし、モグラとも渡り合えている。
ねじまき自身も何体かモグラを倒した。
オッポスとの戦いで受けたダメージは薄れてきたらしい。未だに僕と離れることは難しいけれども、レベル3までのモグラを相手にすることはできるようになった。
無理をしているところもあるのだろうけど、無理ができるだけ回復したということでもあるだろう。
僕は僕でねじまきに言われたこともあって、怪我には気を付けるようにしている。
キュボーとの気まずい関係は解消したようで、当初からねじまきを警戒していたキュボーも最近はわりと彼女に馴染んでいるように見える。というより何週か前の休日明けから、急に打ち解けた感じだ。
何かあったのだろうか。
ある休日の朝、玄関のベルが鳴った。
ドアを開けると、すっかり見慣れた顔がそこにいた。
「メウさん、デートしましょう」
以前ねじまきを僕の家に上げてからというものの、すっかりこういうことが日常のうちになった。
メールなり何なり事前に相談する方法はいくらでもあるだろうに、ねじまきはこちらの都合も考えずに突然わざわざ僕の家を訪れ、しかもデートの誘いをかける。
断るのは簡単だし、実際断ったことも何度かある。そういうときは「じゃ、また今度でー」と何でもない様子で去っていく。
後日仕事で会っても特に気まずい様子はなく、それどころかどこどこに行ったらこういう面白いことがあったと聞いてもいないのに話し始める。
気まぐれな猫のような奴に見えるが、しかし本当のところはどうなのだろうと思う。
人より鈍感で、些細な気持ちに気付きにくい僕は、後になっていちいち「あれでよかったんだろうか」とか思う。考えても無駄なことはわかっているのだが。
とにかく、ねじまきは要するにマイペースなのだ。
こういうところは本当にスピンカに似ている。
あいつと双子だとか、あいつをモデルにしたメカ・サピエンスだとか言われたら信じてしまいそうだ。
あるいは子役だったときの仕事柄、無意識にそう思わせぶりに振舞っているのだろうか。
「……デート、するか」
「やったっ」
ねじまきの言う「デート」は少々大げさな表現で、男女交際的というよりはどこかその真似事、おままごとのような感じがあるように思う。僕もそのほうが気が楽でいいのだが。
ねじまきは少々甘えっ子なところがある。スピンカも甘えっ子だったが、ねじまきとは甘え方が違う。
スピンカは何か頼みごとがあるときなどに「まあまあ」とか言いながらやたらその華奢な指を僕の手に絡ませてきたり、僕の肩を優しく撫でるように叩いたりしてきた。その行為だけを切り取るといやらしいが、不思議とスピンカにはそういうものを感じなかった。なんだか、とてもぴったりと来るのだ。それでついつい僕もいい気になって「仕方ないなあ」となってしまう。
その点、ねじまきはわりとストレートに来る。断りにくい感じとかもない。
その分、どこまで応えたらいいのかわかりにくい。
二人で適当にショッピング街をうろつく。
ショーウィンドウには、ねじまきとは違う女性らしい身体つきをしたマネキンたちが華やかに着飾っている。不思議とその辺を歩いている人間よりも生き生きして見える。
そういえば、今日のねじまきの服装はプルオーバーにオーバーオールという簡単なものだ。ところどころ少々子どもっぽいアップリケが入っている。
見た目まだ十代前半の女の子とはいえ、「デート」をするような女性が着るものではない。
「君が着てくる服は何というか、子どもっぽいの多いね。可愛いけど」
「これね、中古なんですよ」
「節約?」
「いえ、なんとなく好きなんです、中古って。どんなひとが着てたのかなあって。もちろん、きれいなのを選んでるつもりですけど」
「それにしても、ちょっと幼い」
「まあ、子役でしたからね。子どもっぽく見える服を選んじゃうんです。身体もずっとこのままですし」
「このまま?」
「子役の身体は死んだ人からつくられるので、年を取らないんです」
「……知ってたのか」
「ちょっと調べればわかりますよ、そのくらい」
ねじまきはつんとして少し先に歩を進めると、くるりと僕に向き直る。
「だいたい、スピンカさんだって似たような趣味だったじゃないですか」
「あいつは単に面倒くさがりだったんだ。Tシャツとかパーカーにハーフパンツみたいな、気を遣わなくていい簡単な服しか着なかった。お洒落とか苦手なんだよ。だからちゃんとしたのが要るときは僕が選んだりしてさ」
「ふうん……」
ふと、ねじまきが悪戯を思いついたような顔をする。
「じゃあ、今日はわたしに何かいいの選んでください」
「え?」
「わたしに似合うお洒落な服、メウさんが選んで」
「えー……」
「いいじゃないですか、たまにはこういうのも」
それでねじまきの服を探すことになったのだけれども、まあねじまきに大人っぽい服は似合わなかった。お洒落過ぎる服も似合わなかった。それはねじまきの容姿のせいというよりも、ねじまきの持つ雰囲気のせいというほうがいいだろうか。お高く留まるようなのは根本的に無理があるのだ。かといってパステルな感じや遊び過ぎた感じのも微妙だ。色の組み合わせも難しい。
何と言うか、ちょうどいいのが見つからない。
そもそも、僕が女の子の服を選ぶという時点で何かおかしいのだ。
「うーん……」
「なんかメウさん、妙に気合入ってません?」
「いや、気のせいだよ。次行こう」
「あはは……」
結局、どこにでも置いてあるようなごく普通の服を買った。
散々お洒落な服はねじまきの雰囲気に合わないだの思っていたが、しかしねじまきの素がいいのは事実だ。ぴったりとまでは行かないまでも、逆に何を着てもだいたいは似合う。
「うーん……まあ、いいです」
ねじまきも何とか納得してくれた。
「気に入らなかったら中古で売っても」
「買いはしますけど売りはしませんよ。次、これ着てきますね」
「なんか、恥ずかしいな」
ふふ、とねじまきが笑う。
「責任取ってもらいませんと。さ、次行きましょう」
服を買うだけでもあちこち歩き回ったのに、ねじまきはまだまだ足りないようで、いろんなところへ僕を引っ張る。
「せっかく地上に出てきたんですから、もっと楽しみましょうよ」
「地上に出てきたって……僕らはずっと地上に住んでるじゃないか」
「仕事でずっと地下にいるじゃないですか。地上にいる時間よりも地下にいる時間のほうが断然長いですよ」
「まあ、確かにそうだけど……」
「これじゃわたしたちがモグラですよ」
――面白いことを言う。
「はは……だとしても、何もこんな急ぐようでなくても」
「いまのうちに、たくさん過去の記憶をつくりたいんです。いつ地下で死んじゃうかわからないでしょ」
「そうか……」
そうだ。
慣れっこになっているので忘れかけていたが、僕もねじまきもいつモグラにやられて死ぬかわかったものじゃないのだ。
あのとき、本当なら二人ともオッポスに殺されているはずだった。
それにモグラを相手にしなくても、構造が脆い場所では落盤や崩落の危険もある。
僕が死ぬのはともかく、ねじまきが死ぬのは嫌だなと感じる。
いままでさんざん仲間が死ぬのを目にしてきたのに、ねじまきは特別だ。
――だから、嫌なのだ。失ったときのダメージが大きいから。
街を歩いていると、何人かの小さな子どもたちが笑顔でこちらに手を振ってきた。
「あ、子役さんたちだ」
ねじまきが手を振り返すと、子ども――子役たちはまた大きく手を振り返す。満面の、屈託のない笑顔を見せる。愛嬌のある可愛らしい子どもたちに見える。どこかへ移動している途中らしく、きゃっきゃと楽しそうに騒いで遊びながら歩いている。
だがそれが演技であることはその絵に描いた子どものような振る舞いと、妙に視線を意識した雰囲気でなんとなくわかる。
「学校入りたてくらいかなあ……」
愛おしげなため息交じり。
――彼らはねじまきのことを何か知らないのだろうか。
そう思っていると、子役たちの一人がこちらに走り寄ってくる。
「あげるー」
そう言って子役は眩しい笑顔で何か小さいものを差し出し、ねじまきがそれを受け取る。
「くれるの? わあ、ありがとう」
「ばいばーい」
小さく手を振って、子役は仲間たちのもとへ戻っていく。
「何をもらったの?」
「キャンディ、ですね」
ねじまきの手には一個の包まれた飴玉が乗っていた。
「ふふっ、可愛いですね」
「仕事だからね。可愛く振舞って気に入ってもらわなきゃ、彼らは生きていけない」
「まーたそんなひねたこと言う」
ねじまきが苦笑いを浮かべる。
子役という存在がどうやって生み出され、運用されるのかを思えばひねたことも言いたくなる。
「君もそうじゃなかったのか」
「んー、まあ……記憶にはないですけれど、あまりいい感触ではなかったかもですね」
ねじまきはどんな子役だったのだろう。
彼女が犯した「よくないこと」というのは何なのだろう。
退職し、記憶を失うほどのもの――。
考えかけて、やめる。
いまはそういうことはよそう。
「あ、メウさん、今度あそこ行きましょう」
ねじまきはゆっくりする時間を与えてくれそうにない。
仕方のない奴だ。