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歯車の街のねじまき  作者: 奇村兆子
◆九 ねじまきの過去1
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◆九 ねじまきの過去1 ③

「どう生きたらいいか?」

「自分がどこで生まれて、どういうふうに育って、どんなことを大切にして生きてきたのか……そういうことがないと、わたしは自分の人生にどういう方針を立てたらいいのかわからない」

「ふうん……方針、か」

 なかなか真面目なことを考える子だ。

 自分の身に置き換えて考えてみる。

 僕にとって、スピンカとの記憶はかけがえのない大切なものだ。これは間違いない。

 けれども、たまに思うことがある。

 もしスピンカが死んだという記憶がなければ――いや、そもそもスピンカとの記憶がなければ、自分はどんなふうに生きるのだろう、と。

 毎朝目覚めたときに、隣のベッドにだれもいないむなしさや切なさを感じなくなるのだろうか。

 そのままにしてあるスピンカの私物一切を片付けてしまえるのだろうか。

 何も感じず、考えず、とらわれない――その生活は気楽なものだろうか。

「別に自分がだれでもいいんじゃない? そのときそのとき、流れるまま刹那的に生きていく。それもひとつの生き方だよ。身軽そうな君に合ってるように思うけど」

「……ちょっと前はそう思ってたんです。過去のしがらみがない人生でもまあいいかなって。これからを楽しく生きられたらって」

「へえ」

「でもなんだか、自分の過去がないというのは……ふとしたときに、気になって」

「ふとしたとき」

「えっと、その……」

 どうしてか、ねじまきが頬を赤らめる。

 片足のつま先で地面をぐりぐりして、落ち着かない様子だ。

「こうは考えなかった? 過去の記憶が欲しいのなら、ここに置いてある適当な記憶をブレンドして、好きなようにつくればいい。その結果生活に支障が出るような記憶になったとしたら、クリニックに行って〝治療〟してもらえばいい――そんなふうに、自分のストーリーを自分でつくるというか」

「それって、このお店のチラシに書いてあることまんまじゃないですか」

 店売りでは他人の記憶を自分の記憶として組み込むことも、逆に売った記憶を自分の脳内から削除することもできないが、思い込むことはできる。

「七五年前もそうやって自分の人生をつくった人たちが結構いたらしいけどね」

「はあ……」

「でも、君はあまりそっちには向いてないのかな」

「うーん……子役の仕事をしていたという記憶、いや情報が中途半端に残されてるものですから」

 トントン、と片足のつま先で地面を小突く。

「どうして子役をして、辞めることになったのか。そもそも本当にわたしは子役なんてしていたのか。どうしてわたしは地下で仕事をして、モグラと戦うことにもなっているのか……あ、不満があるわけじゃないんです。ただ――納得したいんです」

「納得……」

 その言葉は、妙に僕のなかに響いた。

「もしもわたしが何か大きな罪を犯して、その罰で地下の仕事に回されたのだとしたら、その罪をちゃんと償いたいんです」

「たとえばそれが、とても受け入れられないような嫌な記憶だったとしても?」

「それは……」

 ねじまきが困ったような顔をする。

 まあ、抵抗はあるだろう。

「君は、だれかの子どもだった」

「はい」

「いや正しくは、だれかの子どもを演じていた」

「……」

「その記憶を、君は求めている」

「……知りたいんです」

「何を?」

「わたしの頭のこれ、どうしてアイデンティティなのか」

 そう言って、ねじまきは自分の頭に付いている巻き鍵に触れる。

「……その巻き鍵、君のじゃないの?」

「気が付いたら、頭に付いてて」

「ときどき回ってるよね」

「え、そうなんですか? どんなときに?」

「自覚なかったのか……」

 キュボーは巻き鍵を「不明なデバイス」だと言っていたが、それはねじまきにとっても同じらしい。

「寝ているときとか、お風呂のときとかも付けたままなの?」

「まさか」

「外したら死ぬとか言ってなかったっけ」

「それはその……それくらい大事だっていう表現であって……」

 意地悪に言ってみると、いじけたように視線を逸らす。

「何もわからないんですけど……でも、わたしにとってすごく大事なものなんだってことはわかるんです」

「そうか」

 気が付いたら結構な時間を立ち話で過ごしていた。

 他のお客の邪魔になる。

 僕はもう少し、ねじまきとの時間を過ごしていたかった。

 単にスピンカに似ていて懐かしいから――ではない。

「ねじまき、今日は時間ある?」

「あ、はい」

「ちょっと、お茶でも飲もうか」

「レモネードがいいです」

 この振りでそう答えるか。

 やっぱり変わり者だ。

 レモネードなんてそこらの喫茶店で置いてあるだろうか……。

「レモネードね。じゃ、行こうか」

「はい」

 二人で並んで歩く。

 レモネードを出してくれる喫茶店を検索しながら。

 どうにも何か、緊張する。

 ここ数年、人と並んで歩くことがなかったからだろうか。

 スピンカともそう頻繁に出掛けていたわけではない。

 緊張しているのはねじまきも同じのようで、どこかそわそわした感じが伝わってきた。

「あの……お怪我、大丈夫ですか?」

「え?」

「その、前にモグラと戦ったときに怪我されて。目とか、手とか」

「ああ……そういえば、そんなことあったな。まあ、やっぱり多少は違和感あるけど、慣れたらどうってことないよ」

「……ああいうの、よくないと思うんです」

「ああいうの?」

「うまく言えないですけど、その……自分の身体を、使い捨てにしてるみたいで……」

「ああ……」

「モグラと戦うのがすごく危険なのは、よくわかったつもりです。でも、だからといってあんな……大怪我をしてるのに大したことないみたいな感じなのが……なんだか、悲しくて」

「悲しい、か……」

 人の口からそんな言葉を聞いたのは久しぶりだ。

 いまの僕には、繊細過ぎて扱いきれない。

「君のその感性は、地下で仕事をするには優し過ぎるね」

 だからこんなふうに、どこか受け止めるのを避けたような答えが出てしまう。

「……そういうことじゃなくて」

 どうやらねじまきはそんな僕の心情にどこか気付いていて、見逃してはくれないらしい。

 そうこうしているうちに、ようやくレモネードのある喫茶店を見つけた。

 他にもいろいろ変わった飲み物がメニューに書いてある。

 次からここに来よう。

 ――次、だって? おかしなことを考えるものだ。

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