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歯車の街のねじまき  作者: 奇村兆子
◆九 ねじまきの過去1
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◆九 ねじまきの過去1 ②

 しばらくしてから僕は家を出た。休日に外を出歩くのは久しぶりだ。

 街に向かう最中、だれかに声をかけられたような気がして振り向くと、イヤホンを着けた女が一人で何やらぺちゃくちゃ喋っていた。独り言のレベルではない。まるですぐそばにだれかがいるみたいだ。一見頭のいかれた人間に見えたが、ふとそれが携帯電話とリンクしたイヤホンの通話機能であることに気が付いた。街に着くと他にも同じような人間を老若男女問わず何人も見かける。

 驚いた。

 しばらく気が付かないうちに、もうこんなことが当たり前になっているのか。

 ぶつかることがあっても反応はひどく素っ気ない。

 まるで人としても見られていないかのよう。

 なんだか奇妙な感じだ。

 顔を上げて見えないだれかと喋る人で街は溢れている。

 お互いこんなに近くにいるのに、だれもが自分の世界のなかにいる。

 自分の隣にいるのは、だれなのだろうか。

 なんだかひどく寂しい気持ちを覚えるのは、僕がおかしいのか。

「あっ」

 だれかとぶつかった。

 見ると、そこにいたのは買い物かごを下げた丸顔のメカ・サピエンスだった。

 焦ったような顔文字が顔面のスクリーンに表示される。

「ごめんなさいね。お怪我はないですか?」

「ああ、別に」

「そうですか……どうもすみません。では……」

 丁寧に頭を下げた後、メカ・サピエンスはくるりとターンして向こうへ走行していく。

 街には人間と同じくらい、メカ・サピエンスもいる。人間そっくりの見た目のものから、ドラム缶のような姿をしたもの、小型機器に至るまで、様々だ。

 どうしてかそちらのほうに妙な「人間らしさ」を覚えてしまいそうになるのは、気のせいだろうか。

 地下の仕事でもそうだ。

 自分と同じ配管工よりもメカ・サピエンスであるキュボーと一緒にいるほうが気楽だ。

 ――でも、ねじまきは違うな。

 ねじまきとは一緒にいてもそれほど寂しい気持ちを覚えることもない。

 そう思うと、やはりねじまきは特殊な配管工だ。


 あてどなく街を彷徨っていると、なぜかメモリーショップに目が行った。

 記憶売買を手掛ける大手のチェーン店だ。

 この店舗は先月オープンしたばかりらしいが、店のつくりはどこも同じなので目新しい感じはしない。迷路のように入り組んだ構造の店で、それが脳に刺激的で人気らしいのだが、狭苦しくて僕はどうも苦手だ。

 棚に所狭しと商品が並んでいる。

 ブリスターや紙製の箱に入った、記憶が封入されたアイテム。

 店員が書いた情感豊かなPOPがいくつも立てられている。

 ふと、見慣れた小さな人影を見つけた。

 頭に巻き鍵の刺さった、奇妙な女の子。

 片足のつま先を地面に着けて、もじもじしている。

「ねじまき」

「あっ……メウさん、こんにちは」

 声をかけると、気にしなくていいのに慌ててお辞儀をする。

 その変わらぬ様子に、僕はどこかほっとしている。

「いいよ、そんな。こんなところで会うとはね……記憶を買いに?」

「いえ……」

 ねじまきは力なく首を横に振る。

「こういうお店があるんだなって、ちょっと見てるだけで」

「まあ、異様な光景だよね。記憶を売ってるなんて。古代人が見たらびっくりだ」

「じゃあ、メウさんは古代人ですね」

 ねじまきがそう言って小さく笑う。

 口調は小馬鹿にしているようだが――その目には、どこか親しみが映っている。

「どういう意味?」

「古代人じゃないならこの光景を異様とは言わないですよ」

 記憶をデータ化し操作する技術が普及したことにより、記憶そのものを売買するという商売が生まれた。これによって人は他人の人生の貴重な瞬間を疑似体験し、より自分の人生の幅を広げることが可能となった。

 家に居ながらにしてエベレストに登頂した瞬間を味わったり、憧れの異性とのデートを愉しむこともできる。特に恋愛ものの記憶は人気商品だ。〝裏モノ〟を扱っている店に行けばスキャンダル騒ぎになった芸能人や犯罪者の記憶も売っている。もちろん売るのも買うのも犯罪だからよく警察の捜査が入って摘発されている。それでもそういう店がなくなる気配は一向にないが。

「わたし、前の仕事をしていたときの記憶がなくて……」

「ああ、言ってたね」

「それどころかよくよく思い返してみたら、仕事をするそのさらに前の記憶もないんです」

「さらに前の記憶……もしかして、自分の過去の記憶一切がないってこと?」

 ねじまきは気まずそうに頷いた。

 どういうことだろう。

「映画を観た記憶があるっていうのは、聞いたけど」

「それも、何て言ったらいいのか……ただの情報みたいな感じなんです。記憶っていう、こころにしっくりくる感じじゃなくて」

「へえ」

「だから……こういうところに、ないかなって」

「自分の記憶を探してるの?」

「うーん……」

 ねじまきは首を傾げる。

「わたしのことだから、記憶のコピーくらいはしてるんじゃないかなあって思って」

 そういうことをするのか。

「子役って、たしか守秘義務がきついんでしょ。コピーしたとしてこんなところにあるかな」

「さあ……」

 店に売られている記憶の種類は多岐にわたる。

 楽しい記憶や悲しい記憶といった大雑把な感情のジャンルから、場所や時間、年齢や性別などに細分化されるシチュエーション、フレーバーと呼ばれる色やにおいの味付け……。

 触れたり、においを嗅いだりすると脳内で記憶が再生される。

 どういう仕組みなのかは知らない。

「どれか買って、使ってみたことある?」

「はい……ちょっと、試しに」

「どうだった?」

「……なんか、よくわからなかったです」

「よくわからない?」

「いい記憶、だったんですけど……でも、そのいい記憶はわたしのじゃないんだなあって思うと、なんか……」

「むなしい感じ?」

「あ、そう、むなしい感じでした」

「まあ、そうだよなあ……」

 こういう店でできることといえば、せいぜい他人からコピーされたフレーバー付きの記憶を味わうくらいだ。

 その味わいはしかし、記憶を買うという時点であくまで疑似体験に過ぎず、結局のところ映画のような他者視点のものでしかない。

「メウさんも使ったことあります?」

「ああ、あるよ。宇宙飛行士が宇宙でいろいろな実験をしているやつとか」

「へえ……」

「そういう君のはどんなだったの?」

「――秘密です」

 ねじまきはそう悪戯っぽく笑った。

「ずるいな。僕は教えたのに」

「教えてとは言ってませんよ」

「まあ、そういえばそうだな」

 してやられたが嫌な感じはなく、それどころかむしろ心地いい。

 スピンカと一緒にいたときの感覚が思い出される。

 この記憶は、店では買えない。

 ――もし売られていたら、買うのだろうか。

「……記憶が自分のものでなくてもいいようになったのはいつからなんだろうな」

「メウさん……?」

 いや、ずっと昔から当たり前のことだ。

 異様なのはこれに違和感を覚える僕のほうだ。

 話題を変えよう。

「君は、子役だったときの自分の記憶を探してるんだよね。どうして過去を知りたいの?」

「どうして……」

 ねじまきが目を伏せて考える。

 ――睫毛が長いな。

 また、ねじまきにスピンカの面影を重ねてしまう。

「……どう生きたらいいか、わからないから」

 ぽつりと、その小さな唇を揺らして答えた。

 その言葉は――僕にむず痒い感じをもたらした。

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