◆九 ねじまきの過去1 ①
その日の目覚めは少しいつもと違った。
アラームが鳴る前、自然に目が覚めるのは同じ。
けれどいつもは十分前に目が覚めるのに、今日は五分前になっている。
普段よりよく眠れたということか。
隣に目を向けると、やはりだれもいないベッド。
いつもはむなしさや切なさのようなものを強く覚えるのに、今日は少しやわらいで感じられる。
スピンカがいなくなってもうだいぶ経つ。
そろそろ、慣れというものが出てきたのだろうか。
――いや、ねじまきか。
スピンカとよく似た少女のことが思い浮かぶ。
そういえば彼女が来てから何かが変わってきている――ような気がする。
『ねじまきには気を付けたほうがいいぞ』
キュボーがそう言ってからしばらくが経った。
あれからも特にねじまきは不審な点を見せていない。
このまま杞憂に終わればいいが――。
今日は休日だ。
普段の仕事がきついおかげで、休日となるとここ最近は何もする気にならず寝転がっているうちに時間が過ぎていくものだったが、なぜだか今日は調子がいい。
外を見てみると、薄く広がった雲の合間を太陽の光が突き抜け、さながら光の柱のように神々しく地上に伸びていた。ぼんやりと晴れた天気はちょうどよく、風も心地よく感じる。
――久しぶりに、出かけてみようか。
朝食がてらテレビを点けると、記憶操作をテーマとした特集番組が放送されていた。
法務省が記憶刑の執行を次々と発表したことを受け、公権力による記憶操作の是非や記憶操作自体の在り方を巡る議論が偉い人たちのあいだで白熱しているらしい。そこでこうした特集が組まれたと。前半に刑罰としての記憶刑、後半に医療としてのトラウマ記憶の除去が取り扱われた。
古い映像が流れる。
年取ったインテリ風の女性が何やら演説している。
記憶管理庁創設時の初代長官だ。
「――何度も犯罪を繰り返す者たちにはある共通点があります。それは愛された記憶がないということです。自分という存在を真正面から受け止めてくれる人がだれもいないということです。自分をこころから大切にしてもらった体験の全くない人が、どうして他者を大切にできましょうか。どうして社会を信頼しそのルールに従えましょうか。けれども他者を真正面から受け止めることなどそうそうできることではありません。特に今の時代ならなおさらです。昔は今のように便利ではなく、何をするにしても他者と協力し合わなければ生きていけませんでした。けれども多くの人との出会いもあり、別れもあり、そのなかで育まれる愛もあった。人はそうした他者との関係の積み重ねによって育つものなのです。しかし時代の流れとともに、テクノロジーが発展して便利になるにつれて、我々人間はだんだんと他者の手を借りる必要がなくなり、他者への関心を失っていった。いま目の前にいるのは自分ではないだれかでしかなく、人間かどうかすらどうでもいい――そういう感覚に心当たりのある人は多いのではないでしょうか」
机に置いた原稿を読みながら、時折カメラを睨むように顔を上げる。
カメラのフラッシュがその顔に刻まれた深い皴を浮かび上がらせる。
「他者との関係は簡単にできるものではありません。関係をつくり、維持し、発展させることはどんな時代であれ難しく労力を伴います。ある程度決まった方法はありますが、すべての場合に適用できるわけでもありません。経験を積み重ねることによってしか、人は他者との関係の仕方を体得できないのです。人は他者との距離感の整え方や、愛し愛されることを忘れてしまったのです……。そして残酷なことに、その犠牲になる者も生まれてしまった……そう、犯罪者もその一人なのです」
ここからが本題とばかりに咳払いをして、ややトーンを上げて続ける。
「死刑は人道に反しています。法の名のもととは言え、人が人を殺すことには変わりありません。もちろん犯罪によって被害者が受けた傷は取り返しのつかないものであり、犯した罪はきちんと償われるべきです。しかし彼らに死刑を執行してしまっては、彼らの人生はただ死刑台に立つためだけのものに過ぎなかったということになります。その不幸な人生に巻き込まれ、哀れな被害者たちも生まれてしまう。不幸の連鎖しかない、なんと無益なことでしょうか。犯罪者は最初から犯罪者として生まれたわけではありません。彼らが生まれ育つ過程で受けた歪んだ教育、愛情の欠如が、彼らを犯罪者に育て上げたのです。言うなれば私たちもまた彼らを犯罪者にしてしまった罪を負っているのです。私たちのネグレクトのせいで、彼らは犯罪者に育ってしまった……」
ぺらり、と原稿をめくり、再び咳払い。
フラッシュとシャッター音が雨のように降り注ぐ。
「記憶刑は、受刑者に愛された記憶を与えます。自分が大切にされて生きてきたことを実感できる記憶です。充実した人生を送ってきたという確かな幸福の実感。たとえそれが偽りの記憶であったとしても、受刑者にとっては初めて人間として生きられる体験になるでしょう。これはスタートなのです。人は記憶によって生きる存在なのです。そもそも我々の記憶にも偽りが多く含まれていることは、心理学その他の分野においても証明されている事実であります。私たちは自分にとって都合よく記憶を捻じ曲げる力があり……」
そして番組は後半を迎え、記憶操作による医療というトピックにシフトしていく。
ナントカ学会の会長を名乗る鷲鼻の老人が、ぎゅう詰めの本棚を背景にジェスチャーを交えながらインタビューに答える。
「災害、事故、犯罪、虐待、性暴力……この世にはあり余る不幸が存在し、それによって大きなこころの傷――トラウマを受ける人々もまた大勢いる。トラウマはその人の人生を不幸にします。トラウマの克服には長い時間がかかり、また壮絶な苦痛を伴います。世のなかには美味しいものや楽しいこともたくさんあるのに、それらをこころから味わえなくなってしまう。人生の限られた時間がトラウマによる苦しみで消費されてしまうのは非常に無益です。それならば――トラウマをなくしてしまえばいい。トラウマの記憶を消去することで、人は幸せに生きられるようになるのです」
――そうなのだろうか。
どうにも都合の良すぎる言葉に聞こえてしまうのは気のせいか。
地下で出会うモグラたちはまさにそのトラウマを見せつけてくるし、その記憶はときに自分のものではないこともある。
それらは果たしてどこから流れてきたものなのか。
地下深くに住まう化け物たちのことを、彼らは知らない。




