◆八 スピンカについて ③
やがて学校を卒業するときが訪れた。
卒業後はそれぞれの職業訓練校に通うことが決まっていた。
本来ならここでスピンカとはお別れだ。
ただ、訓練校のある方向が同じだった。
「じゃあ……近くで一緒に住む?」
「うん、そうする」
僕の提案にスピンカは即答した。
そんな軽い感じで、僕らはマンションの部屋を借りて一緒に暮らし始めた。
僕とスピンカとの仲は非常に親密なものになっていた。
恋人というのはいろいろと適当ではない表現だ。
相棒というほうがしっくりくる。ブロマンスというのに近いかもしれない。
一緒に朝を迎えてご飯を食べ、職業訓練校に通う。
帰宅すると夕飯をつくり、一緒に食べながらそれぞれ昼間にあったことを話す。
そして夜は隣同士のベッドで寝る。
それぞれ勉強することもあったから、寝る時間は同じとは限らない。
本を開いたまま居眠りをしているスピンカに毛布をかけ、試験が近いときにはこころを鬼にして起こしたこともあった。
休日は適当に映画を観たりゲームをしたり、気が向けば一緒にどこかに出かけたり、あるいは別々に行動したりもしていた。
束縛し合うことはなく、自由に気楽に過ごせていたと思う。
ただ、どれだけ親密な仲になったとしてもその関係が性的な方向へ発展することはなかった。
数度、そういう雰囲気になったことはある。
スピンカが抱き着いてきたり、もたれかかってきたりして、何かくだらないことを言い合ってくすぐり合ううちに、ふとおかしな空気が流れ出して――という感じだった。
けれどもそれ以上はお互い気が乗りきらず、何か二人のあいだに絶対に越えられない空気の壁でもあるみたいだった。
やがてスピンカのほうから「ごめん」と言って離れていき、僕のほうはなんだかよくわからないもやもやを抱え、気まずい距離感が生まれて終わった。
それが何に起因していたのかははっきりしない。
ただ、いまになって振り返ると当時のスピンカは「いつまでも子どものまま」な自分の身体を気にしていたし、断片的に覗かせた複雑な生い立ちも背景にあったのかもしれない。そんな思った以上にデリケートなつくりのスピンカを弄ぶのに僕も罪悪感を覚えた。
要するに、お互い踏み込めなかったのだ。
スピンカは僕と暮らすようになってから髪を長く伸ばすようになり、本人は散髪が面倒だからとか言っていたけれども、いま思えばそれはスピンカの髪を気に入っていた僕に対する、スピンカなりの気持ちだったのかもしれない。
そういう微妙なところはあったけれども、何はともあれ、お互い過ごしやすいように生活できていたと思う。
振り返ると僕の人生でこの時期が一番充実していた。
僕はスピンカにできる限りのことをしてあげたかったし、できることならずっと一緒にいたかった。
職業訓練校を卒業するとスピンカは航空宇宙局に、僕は配管工に就職した。
スピンカは機械弄りが得意だったので探査用メカ・サピエンスの開発部門に配属された。
そして僕は地下の過酷さを思い知ることとなり、地下の化け物――モグラにも出会った。
スピンカにモグラのことを話したらとても興味を持たれた。
何しろモグラの残骸はメカ・サピエンスの部品として再利用されており、かなりの高性能を示すが機能に関しては未だ解明できない謎の部分が多いのだという。
宇宙より地下のほうが楽しそうとまで言い出して、慌てて止めたのを覚えている。
けれども、モグラという存在がどうやら地下の秘密と何らかの関係があるらしいことはわかった。
「あれは妖怪なんじゃないかな」
「妖怪?」
「そう。大昔に捨てられた機械が、地下で働く何らかの作用によってモグラと化す。大事にされなくて使い捨てられた道具たちが人間に復讐するために、妖怪になるんだよ」
たしか、スピンカはそんなことを言っていたか。
いずれにせよ、何が待ち構えているにせよ、地下深くに何か人類にとって大事な秘密が存在するのは間違いないだろう。
何とか配管工として生き延びつつポイントを稼ぎ、探査部を目指そうと思った。
そのためにまず死ぬわけにいかない。
もうとにかく必死だった。
その頃はパルさんやスラ、トインらと組むことが多くて、キュボーの数世代前のメカ・サピエンスを同伴していた。
自分の手足の一部を失ったときは死ぬかと思ったし、実際いつ死んでもおかしくなかった。
すぐに新しい手足が付いたけれども、スピンカにはひどく心配をかけた。
スピンカのほうは順調に仕事が進んでいたようだが、しばらくして月の裏側を調査するプロジェクトが立ち上がり、スピンカは才能を見出されて宇宙飛行士の一人に抜擢された。
探査用メカ・サピエンスのコントロールとメンテナンスが主な任務だった。
「こんなあっさり宇宙に行くんだ……」
信じられないような声で呟いていた。
何にせよ昔からの夢が叶うということで、僕たちは小さなお祝いをした。
まもなく宇宙飛行士になるための訓練が始まり、スピンカはあまり帰ってこなくなった。
たまに帰ってきたかと思えばすぐに寝込む。
開発部門の仕事も続けていたそうなので相当にハードなのだなと思いつつも、僕は心配だった。
月の裏側には、何があるのだろう。
スピンカは本当に、それを見られるのだろうか。
それは本当に、スピンカのためになるのだろうか。
目が覚めれば相変わらずのスピンカで、嬉々として訓練での体験を語ってくれた。
それで僕は、まあスピンカがいいならそれでいいかと安心していた。
「――ねえメウ、これ見て」
ある日、帰宅したスピンカが透明な液体の入ったパックを渡してきた。
「何、これ?」
「宇宙で飲むやつ。飲んでみて」
「え……」
スピンカが悪戯っぽい笑みを浮かべていたので、これは何かあるなと思った。
けれど頬杖を突いて期待に満ちた目を向けられている以上、断ることはできなかった。
薄めた生ぬるいスポーツドリンクといった印象だった。
ほんのりとしたレモン味でまとまっている。
「あーあ、飲んじゃった」
「え、何その言い方、怖いんだけど」
「味は?」
「……レモン味?」
くすくす、とスピンカが笑う。
「それ、おしっこだよ」
「――!」
味を確かめるべく再度飲みかけていたそれを盛大に吹き出してしまった。
「お前なあ!」
「大丈夫大丈夫、宇宙行ったら皆それ飲むから」
悪戯の成功を見届けたスピンカは満面の笑みを浮かべていた。
「宇宙には飲み水がないから、おしっこを濾過して作るんだよ」
「えー……いや、そりゃ聞いたことはあるけど……」
「飲めるでしょ?」
「いや、まあ……んー、でもなあ……レモン味はちょっと嫌味なんじゃない?」
「味は好みで付けられるんだって」
「……僕に飲ませるために、わざと?」
「リンゴ味とどっちにしようか迷ったんだけどねえ」
「お前はほんとにもう……」
振り返ると面白おかしいような、そんなやり取りもあった。




