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歯車の街のねじまき  作者: 奇村兆子
◆六 この世界は嘘っぱち
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◆六 この世界は嘘っぱち

 いま、この街は再興七五周年記念の名目でどこもかしこも飾り付けられ、すっかりお祭りムードだ。

 僕の気のせいかもしれないが、ここ数年は何かとイベントが多い。

 一年のあいだに何回も何かの記念イベントが開かれていて、そのときどきの限定商品が売り出されたり、記念日の二ヶ月ほど前から商戦が始まっていたりする。

 あのイベントが終わったと思ったら次はこれ――というふうにさっと切り替わる。店の棚を飾っていた大量の限定メニューはどこへやら、新たな顔が立ち並ぶ。

 なんだか僕にとっては落ち着かない感じだ。

 ペースが速すぎる。

 生き急がないといけないような、あるいはそう仕向けられているような感じを覚える。

 けれど、そんなに悪いことでもないのかもしれない。

 人々の多くはこころのどこかでこの世界の何かが大きく変わることを予感している。

 そのときに向けて早いサイクルで脱皮を繰り返している――そんなふうにも感じる。

 その大きなポイントがこの再興七五周年記念なのかもしれない。

 過去の歴史が失われて七五年――かつての人間の一生分くらいの年月だ。

 二ヶ月半後には記念日を迎え、大掛かりな式典が開催される。

 さらに暦のうえでも今年はきりのいい数字が並び、他にもいろいろなところで縁起のよさと繋がっていたりする。なかには世界の終末や陰謀論を唱え出す連中もいるくらいだ。

 この街全体が浮足立っている。


 仕事を終え、地下鉄に乗ろうとしてふと食料を切らしていることを思い出した。

 それで踵を返して馴染みのスーパーで買い物をして、今度こそ地下鉄の駅に向かおうとしたときだった。

 広場で何やら騒がしい音が聞こえるなと思った。

 警報のようにわんわん響いている。

 ややあってそれが人の声だということに気付いた。

 けだもののようなうるさい声だ。


 一人のみすぼらしい恰好をした老人が、拡声器を片手に何やら喚き立てている。

「目を覚ませ! 目覚めよ!」

 老人はしわがれた声でそう叫んだ。

「私は気付いた! この世界は嘘っぱちだ! 七五年前からこの世界は嘘を生きている! いやもっと前からだ! そもそも、七五年より前なんてものはこの街にはなかったのだ!」

 妙なことを言う老人だ。

 年のせいで頭がいかれたのか。

 僕と同じようなことを思ったのか、老人の周りに何人かの野次馬が集まってくる。

 その他の大多数は、そのまま無視して通り過ぎていく。まるで老人が存在していないかのようだ。

「お前たちみんな、自分の記憶は自分のものだと思っているだろう! だが違う! いまこの世界に真実などない! お前たちの記憶はみんな、つくられた記憶だ!」

 嘲笑する者、軽蔑や恐怖の目を向ける者、そそくさと立ち去る者。

「この街はただ〝昔〟の真似事をしているだけの、格好をつけるしかない虚飾の街なのだ!」

 お構いなしに、老人は必死な様子で叫び続ける。

「私は夢を授かった。天にまします大いなる神から、この世界の真実を伝えられたのだ! この世界に本当のことなど何もない! それこそが真実なのだと!」

 神とか真実とか大袈裟なことを言う輩は宗教者の皮を被った詐欺師だ。

「この世界は七五年前から嘘を吐いているのだ! そして、嘘を吐いていることにだれも気付きはしない! 自ら嘘を吐いていることに自分で気付かない、いや気付くことを無意識に避けている! そう仕組まれている! 歴史書やコンピュータに残された記憶は何もかもでっちあげだ! すべては七五年前の破局を清算するために都合よくつくられた偽物に過ぎない! 七五年前、われわれが記憶を失ったのは、事故ではない、そう選択した結果だ!」

 またとんでもないことを言う人もいたものだ。

「ところがどうだ! われわれは救済のために記憶を失ったというのに、今度は過去も未来も、いまこの瞬間の自分の記憶さえも! 何もかも信じられない袋小路に迷い込んでいる! そしてその恐ろしさ、答えのない苦悶から逃れるために、自分自身を空っぽにしているのだ!」

 さすがに騒音が過ぎたからか、やがてパトカーが到着し警察官たちが姿を現す。

 ほとんどがメカ・サピエンスだ。

 それを見て何かまずそうな顔でその場を去っていく者がちらほら。

 哀れ、老人は警察官たちに取り囲まれてしまった。

「なんだお前らっ、やめんか……このっ、犬どもめ! 犬! いぬー!」

 必死に叫ぶあまり、老人の声はかすれきって聞けたものではなかった。

「あんた、またかよ。この拡声器どっから持って来たんだ。こないだ没収したのに」

「ほら老いぼれ、遊びは終わりだ、来い」

 警察官たちが面倒くさそうにぼやきながら、老人の肩をがっしり掴んで連行しようとする。

「あんま迷惑かけてっと地下送りにされちまうぞ」

 ――笑えない冗談だ。

「お前たち、お前たちはそれでいいのか!」

 引きずられながらも、老人はその場にいる野次馬ひとりひとりを指さすようにして喚く。

「お前もだ!」

 その指先は僕にも向けられた。

「いいのか、こんな嘘や汚辱にまみれた街で、偽りの人生を生きていて! お前はそれでいいのか!」

 妄執に囚われたかのような、ひどい顔だ。

「こら、いいかげんにしろ!」

 警察官の一人が苛立ちをあらわにして、老人を小突く。

「われわれはどこに生きている!」

 なおも、絞り出すように声に出す。

「偽りの人生……それの何が悪いんだ」

 僕は自分に言い聞かせるように呟いた。

 自分の人生が偽りかどうかなんて、本当にはわからないし、だれにも確かめようがない。

 たとえ自分のなかにある記憶が幻だったとしても、僕を含むこの街にいる人間はその幻を現実として生きている。

 信じるしかないのだ。

 信じる者は救われるとか言うじゃないか。

 彼らの人生をだれが否定できようか。

 老人に指さされたことに僕は意外と腹が立っていた。

 一刻も早くこんなところから立ち去ろう――そう思ったときだった。

「私を見ろ!」

 どうやったのか老人は警察官の拘束を振りほどき、再び野次馬たちの前に現れた。

 その手には何か丸いものが握られている。

 ――小型爆弾だ。

 瞬時に気付いた。

 地下作業でよく似たものを使うことがある。

 なぜこんなところに……。

 しかし野次馬たちはもはや老人に興味を失ったかのように見向きもしない。

 ただ僕を含め、ほんの数人の物好きが見ているくらい。

 それでも満足なのか、老人は歯をむき出しにして不敵に笑い、その爆弾らしきものを胸に抱え込むようにしてうずくまる。

 一瞬、空気が揺れた。

 老人の背中から何か細々とした黒いものが飛び出し、灰色の煙が昇る。

 爆発音が続く。どこか軽い感じの、気の抜けた音。

 老人はそのまま前のめりに倒れ――地面にぶつかると、何か硬い音を立ててバラバラに崩れた。

 頭も、手足も、胴体さえも、それぞれ離散する。


 何が起こったのかわからなかった。

 老人は自爆したのか。

 爆弾で自分の身体を爆発させたのか。

 けれどもそこに血飛沫はなく、赤黒い肉塊に成り果てるのでもなく――老人の皮膚の裂け目、バラバラになった各部の継ぎ目から現れたのは、紛れもない機械部品。

「え、嘘……」

「何これ、自爆テロ?」

「うわあ、人が死んだの初めて見た」

「ていうかこれ、人なの? なんか違くない?」

「メカ・サピエンス? バラバラになったらこんなになるんだ……」

 老人を無視して通り過ぎていた人々が今度は寄ってたかって老人の死体に群がる。

 そして物珍しそうにその場で写真を撮ったり、カメラの前でピースサインをして自撮りに勤しんだりする。

「……メカ・サピエンスだったのか」

 僕は自分が何を見たのか、わからなかった。

 すっかり人間だと思っていた。

 街で目にするメカ・サピエンスはそのほとんどが機械らしい見た目をしているか、自動車や通信機器、大型機械の一部として稼働している。

 人に似せてつくられるのは店の従業員や各種サービスの提供者くらいで、わざわざ人間の老人としてデザインされたメカ・サピエンスはかなり珍しい。

「知性だ」

 メカ・サピエンスが持つロボットとの違いについて、キュボーがそう言っていたのを思い出す。

 知性――ならば、この行動もそれに基づいたもの。

「私を見ろ!」

 あの老人は自爆の寸前、そう言った。

 彼は僕たちに何を見せたのか。

 僕は、彼に何を見せられたのか――。

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