◆五 ねじまき2 ③
「ねじまき、あれが本物の地下の化け物だよ。僕たちはふつう、あれをモグラと呼んでる」
「こ、この前見たのと違う……」
「何に見える?」
「……」
ねじまきはじっとモグラを見る。
頭の巻き鍵が回り始める。
「……わからない、です。何か、もやもや……?」
「見ていると、どんな感じがする? 身体の調子、連想する感情、何でもいい」
「……心臓が、すごく速く動いてます。背中がひりひりする……」
その息遣いはだんだんと浅く、顔色も蒼くなっていく。
「胸の奥がギューッと痛くて……涙が、出てきそう……気持ち悪い……」
「何か聞こえる?」
「……風の、音? 強い風が吹いてる、ような……寒い……」
「どんな気持ちになる?」
「……怖くて、すごく嫌な感じ、です……どうしてわたしがこんな目に……みたいな」
「そう……それがモグラの見せる幻だよ」
「……メウさんにも、何か見えてるんですか?」
もちろん、僕にも見える。
ねじまきよりははっきりと、あまり快くないものに。
「……長い髪の、原形を留めないまでに焼けただれた上半身。グロテスクなゾンビだ」
「えっ……」
「君の見ているのと全然違うだろ?」
「あ、はい……」
――どうせなら、スピンカに見えてくれればいいのに。そうしたら、どうしようか。
そんな考えが、一瞬脳裏をよぎる。
「でも、この前君が倒したのと本質は同じさ。強さは段違いだけどね……キュボー」
「中型のモグラ、レベル4だ。屑鉄の塊だが、ちょいと表面の装甲が固い。遠距離からの攻撃はあまり有効じゃねえな。接近戦に持ち込んで散弾をぶち込むか、電磁棒を使うといい」
「了解……」
僕は腰に下げた銃を取り出し、散弾を装填する。
「銃を使うときの注意点。銃は対象に合わせて様々な弾を使えるけど、その都合上最初から弾は入っていない。まずは冷静に弾を込める」
「は、はい……」
「さっきも言った通り、キュボーみたいに機械の目を持つメカ・サピエンスはモグラの正体を暴くことができる。そして有効な弾や攻撃方法を教えてくれる。覚えておくように」
「わかりました……」
「それじゃキュボー、ねじまきを頼む」
「ああ」
「メウさん……」
――ねじまきは見学だ。
秘匿回線で話したことも気になるが、とりあえず新人をレベル4の前に出すわけにはいかない。
キュボーにねじまきを預けて、僕は銃を構える。
折り畳みの盾は役に立たないだろうから使わない。
「気を付けてな」
「ああ」
タイミングを見て、僕は盾から飛び出し、モグラに接近する。
赤黒く焼けただれた、異様に巨大な上半身。
その頭部がこちらを向く。
僕を捉えたようだ。
――こんな姿で出てくるとは、なんて底意地の悪い。
モグラは腕を振り上げ、僕に向かって振り下ろそうとする。
《――メウさん!》
《大丈夫だ。メウは場数を踏んでる》
《でも……》
《伊達にいままで生き残ってきたわけじゃねえんだぜ》
二人の会話が無線越しに聞こえる。
モグラが攻撃してくるタイミングに合わせて散弾を当てる。
これでモグラの攻撃をキャンセルできる。そうして着実に距離を詰めていく。
人間相手ならひとたまりもない威力の弾を撃ち込んでも、一発で終わらないのが難点だ。
《……そういえば、キュボーさんはモグラに攻撃できないんですか?》
《あいにく厳しい戒律があってな。人間に危害を加えるのも、同士討ちをするのも禁じられてんのさ》
《同士討ち?》
《こないだお前が潰したモグラの残骸、俺たちの部品になるって聞いたろ? 俺たちとモグラは同族なのさ。ほとんど同じもんでできてる》
《あ……》
《モグラは敵と判断した相手を攻撃する。俺たちメカ・サピエンスは味方と判断して攻撃してこねえ。というより、できねえんだ。それは俺たちも同じってわけ》
《でも、キュボーさんはあれをモグラと認識してるわけですよね》
《てめえらが組み込んだ後付けのプログラムでな》
《……キュボーさんは、どう思うんですか》
《どう、とは?》
《だって……同士討ちって》
《人間もそうだが、野生の動物でも同士討ちやら共食いは珍しくもねえ。どう思うもクソもねえよ》
《……》
ある程度接近すると、モグラの形が崩れ、血飛沫のようなものが噴出する。
とっさに銃で防御する。銃は平らな板の形をしていて面積が広いから、こういう使い方もできる。
ただ盾ほどの防御力はない。血飛沫の当たった部分が溶けていく。
じゅううー、ぱちぱち……というえげつない音とともに白煙が昇る。
――銃はもう使えないな。ちょうど散弾が切れてよかった。
僕は腰に下げた電磁棒を手に取り、構える。
《ただな……モグラは毎回、俺たちメカ・サピエンスと通信しようとしてくる》
《え?》
《それでモグラの接近がわかるんだ》
《通信って……どんな?》
《てめえらに言ってもわかりゃしねえよ。俺たちのあいだでしか意味をなさない暗号だ。人間の言葉には変換できねえよ》
《暗号……》
《そうだな……暗号の質を強いて言葉にするなら、呪詛……悲鳴、切望……そんな感じか》
《感情があるんですね》
《余計なことを喋っちまったな。まあそういうわけだから、俺たちはモグラの攻撃を防いだり分析したりといったサポートはできるが、直接の戦闘には関われねえ。だから武器も搭載していない。あっても無駄だからな》
《……キュボーさんにとって、わたしやメウさんは攻撃の対象ではないんですか?》
《言ったろ、厳しい戒律があるんだ。ほら、くだらねえお喋りしてねえで、しっかりメウの仕事ぶりを見ろ》
《あ、はい……》
残念だが二人がお喋りしているあいだにモグラは仕留めてしまった。
といっても思ったより手強くて、ねじまきに見学させることなど気にしている余裕はなかったが。
「もう終わったよ。レコーダーに記録されてるから、後でそれを見て勉強するように」
《はい、すみません……》
あれだけグロテスクな姿をしていたモグラは、キュボーの言った通り屑鉄の塊と化した。
来たほうを向くと、道を塞ぐように盾を展開したキュボーが佇んでいる。
ねじまきはその陰に隠れて見えない。
「ねじまき、こっち来れる?」
《はい……あれ?》
無線でねじまきを呼んでみるけれども、キュボーの盾から出てこない。
《あ、足が……》
「足が動かない?」
《はい……》
まあ、そうもなるだろう。
新人にはよくあることだ。
僕はねじまきのもとへ歩く。
キュボーの盾に隠れたまま座り込んでいるねじまきが、不安げに僕を見上げる。
「メウさん、顔、目が……それに右手……」
「あ、溶けてる?」
さっきの血飛沫のせいか。そういえば銃と一緒に溶けた感覚があった。
そこから漏れた飛沫が顔のどこかに当たり左目が見えなくなった。だから顔にダメージがあるのもわかっていた。
「と……溶けてるって、なんでそんな軽いんですか。痛かったりとか……」
「言ったろ、コンバットモードだから痛みはほとんど感じない。それにこれくらいの怪我、塗り薬で治せる。細胞ジェルっていう便利なのがあってね」
「とっさに銃で防いだからよかったものの、そうでなかったらいまごろお釈迦だぜ。弾が切れてたのもちょうどよかった。まったく運のいい奴だよ、お前は」
キュボーも彼なりに心配はしてくれていたらしい。
「左目は交換だな。レベル4が相手だとまあまあこれくらいの怪我は日常茶飯事だよ」
「そのうち身体丸ごと入れ替わるんじゃねえか、お前はよ」
ねじまきはというと、どういう顔をしたらいいのかわからないような表情をしていた。
まあ、身体の一部を交換するのが当たり前なんて話を聞けばそうなるか。
『メウ……』
一瞬、スピンカの声がした。
「……そんなことよりねじまき、足はどう?」
「んっ……力が、入らない……」
「首のところ、ここ、ちょっと窪んだとこ。グッと押してごらん」
努めて冷静に僕はねじまきに左手を伸ばし、その作業着の首元に触れた。
手の甲が作業着越しに汗ばんだ頬を撫ぜる。
くすぐったかったのか、ねじまきは一瞬肩を震わせる。
それで僕が触れたところに指を運び、押し込む。
「あっ……」
キューン、とか細いモーター音がして、ねじまきの両足がピクッと動く。
「手、出して」
「あ、はい……」
差し出されたねじまきの華奢な手を掴んで、引き寄せるようにして立ち上がらせる。
――なんて、軽い。
「あっ……」
「これでどう?」
ねじまきの腰や両足は、やはり硬い感じではあるものの安定した姿勢を見せる。
「あ、ありがとうございます……」
「さっき押したのは自動運行モードへの切り替えスイッチ。作業着の動力で強制的に身体を動かすんだ」
「それって、脳波を読み取ったりとか……?」
「いや、カメラやセンサの情報でコンピュータが判断して動くんだ。着てる側の怪我とか負担とかは無視して勝手に動くから、使うのは緊急時だけにすること。手を強く握ろうとしたら切れる」
「はい……」
「気分はどう? 身体の反応が大きかったみたいだけど」
「……いまは大丈夫です。背中、すごく汗かいてますけど」
「そうか」
とりあえずは落ち着いたようだ。
僕はいつものように、無線を手に取る。
「こちらメウ班、メウ。本部、よろしいか」
《……こちら本部、メウ班どうぞ》
「帰還中にモグラ、レベル4と遭遇、これを撃破。死者はないが、負傷あり。替えの部品と細胞ジェルが必要。なお自力での帰還は可能」
《モグラの撃破、負傷、了解。お疲れ様です。速やかにモグラの残骸を回収し、帰還してください》
「メウ班、了解」
通信を終える。ここまでうまくいったのは久しぶりだ。
「――さ、この屑鉄集めて、戻ろうか」
僕は不思議な充実感に満たされていた。