◆一 ある配管工の日常 ①
恩師Bと過ごした記憶とともに、これからへ向けて――。
地下鉄に乗っておよそ三十分。
そこそこ遠い距離だが、仕事場があまり近くにあっても落ち着かないので、そのくらい離れているのがちょうどいい。生活圏が被らないようにするのは大事なことだ。
とある駅で地下鉄を降り、地上へ出てしばらく歩く。
一棟の何の変哲もないビルに入る。
エレベーターに乗り込み、いくつかの階のボタンを決まった順序・間隔で押していくと、顔認証用の鏡が出てくる。
『お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す』
認証をパスするとガビガビに声の割れたアナウンスが流れ、まもなくエレベーターは下降を始める。
階数表示板にはB1Fまでしかないのに、エレベーターはそれをはるかに超えて、まるで落下でもするかのような激しいスピードでどんどん地下へ潜っていく。ときどきガン、ゴン、と何か硬いものがぶつかったような音が鳴っては小さく揺れる。
大丈夫なのかなあ、とはじめの頃はいちいち心配だったが、何度も行き来するうちにすっかり慣れた。
やがてエレベーターの下降は止まり、扉が開く。
むわっと湿気た土のにおいが熱気とともに迫ってくる。
開かれた扉の向こうに見えるのは、壁も地面もタイル張りの通路。
天井だけは岩肌がむき出しなのだが、目を傷めそうなほどの強い照明が埋め込まれており、直視はできない。
通路を歩いていくと、地下鉄の駅構内のような広い空間に出る。
ここが僕の仕事場――正しくはその拠点だ。
ここに事務室だとかロッカールームだとか他の部署への通路などがある。
そしてこの空間の奥には、更なる地下へと潜るための大型エレベーターが待ち構えている。
まずロッカールームに入って作業着に着替え、諸々の装備を整える。
大型エレベーターの手前が集合場所だ。先に来ていた同僚たちが十数人ほどたむろしている。僕の後からもぞろぞろとロッカールームから出てくるが、皆眠そうな顔をしている。死んだ魚の目とまでは行かないが、まあ憂鬱なのは確かだ。
地下は日の光が届かない。昼か夜かもわからない薄暗い空間は時間感覚を狂わせるし、じっとりとした湿気を伴う暑さは不快だ。どうしようもない閉塞的な場所だから、気も塞ぐ。
「よう、メウ」
メウ――僕の名前だ。
振り向くと、そこには大きな盾を何枚も背負った機械仕掛けの相棒がいた。
「おはよう、キュボー」
「相変わらず揃いも揃って暗い顔してやがるな」
「そりゃあ好きでこの仕事をやっている奴はそういないだろうしね」
「お前ほどの物好きはいねえよ」
キュボーは仕事をサポートしてくれるメカ・サピエンスだ。少々口は悪いが頼れる相棒で、もう長い付き合いになる。
しばらく無駄話を続けていると、ふとキュボーが何かに気付いて僕を突いてくる。
「お出ましだ」
事務室の扉が開き、部長がずかずかとした足取りで現れる。
いつもの調子だ。
「者ども、整列!」
指示とともに、気怠げな同僚たちは何かに動かされるようにきちんと列をつくる。もちろん僕もそうだ。パルスによって作業着から身体を動かされる違和感を味わいながら、定められた位置に並ぶ。
この朝礼から仕事が始まる。
「おはよう。今日もいい朝だな。えー、諸君も知っているだろうが、もうすぐ地上では再興七五周年を記念した式典がある。ちょうどあと三か月だ。我々がまっさらな記憶で再出発してからそれだけの月日が経ったというわけだな。もっとも、当時を知る人間はもうほとんどいないが……それはそれとして、派手なお祭りになるようだ。当日は相当なエネルギーの使用が見込まれている。というわけで今日から式典までのあいだ、諸君には基幹部の配管に当たってもらう。当日に不具合があると我々の職責が問われるからな」
あちこちから嫌そうなため息が漏れる。
当然だろう。
基幹部と聞けば僕も気が重くなる。
「まあまあ、皆が憂鬱なのはわかる。あそこの配管は厄介だ。〝モグラ〟どもが出てくるからな。だがこれは必要なことであり、だれかがやらねばならない、いや我々にしかできない使命だ。心してかかってほしい。地上の華やかな生活を支えているのは他のだれでもない、我々なのだ。誇りをもって励め!」
「――我々、だって? 自分はやりもしないくせに偉そうに言うぜ」
キュボーが皮肉げに呟く。
「まあ、彼も彼でトカゲの尻尾だと思えば」
「きついこと言いやがる」
「――そこ! 私語を慎め、ちゃんと聴け!」
部長に目を付けられてしまった。
パルスが発信され、僕もキュボーも居住まいを正される。
「この身体を動かされる感覚はどうも気に食わねえなあ」
メカ・サピエンスのキュボーがそう皮肉るものだから、思わず吹き出しそうになった。
僕らをお行儀よくさせた後、部長はわざとらしく咳払いをしてから各班の仕事の振り分けを発表する。
そしてラジオ体操が始まる。部長は椅子に座ってただ見ているだけだ。赴任してきた頃は体裁を繕って皆の前で同じように体操していたのだが、大した運動でもないのにひいふう肩で息をする滑稽な姿を晒してからというものの、こうして偉そうに椅子に座るだけの〝体操〟をしている。いったいその恰幅のいい腹には何が詰まっているのか。
「――では、仕事始め! 散れ散れ!」
ラジオ体操のあと、部長の号令とともに僕たちは散らばり、各班で寄り集まる。
この仕事は最小でも三人一組の班で行動するのが基本だ。
一応僕も班のリーダーであり、メンバーにはキュボーと、もう一人――。
「あれ、カンチュロは?」
「野郎、またか……あそこだ」
キュボーが首を回転させ、すぐにカンチュロを見つける。
隅っこで作業着を着崩してだらしなく座り込んでいる二十代半ばの男だ。やれやれと二人で顔を見合わせ、彼のもとへ歩く。
「カンチュロ、号令があったらすぐ集まれ」
「うっす」
何とも思っていないような返事で、面倒くさそうに立ち上がる。
「これで何度目だよ。やる気あるのか?」
「チッ……っせーな」
キュボーの嗜めに舌打ちして睨みつける始末。毎度ながら気難しくて付き合いづらい。
僕とキュボーとは数年来一緒に仕事をしている仲だが、カンチュロはつい数か月前に他の班員と入れ替わりで加わった新人だ。しかしこのとおり態度は悪いし、実際にあまり仕事熱心な奴でもない。
僕たちは他の班とともに大型エレベーターに乗り込む。
一瞬の大きな揺れの後、大型エレベーターは軋むような悲鳴を上げながら結構な速さで下降していく。ふわりと足元が浮くような妙な感覚を味わいつつ、僕は網目の向こうをよぎっていく壁面に目をやる。荒く削られた壁面はエレベーターの照明がかかると散り散りに光を反射する。それはエレベーターを囲う金網によって細かく裁断され、いくつもの光の明滅を演出する。その光景はどこか、宇宙を連想させる。
深く深く下降するに連れて、だんだん温度が上がってくる。
熱された空気に肺がちりちりと焼かれるような感覚――。
「あっち……」
カンチュロが着崩した作業着でパタパタと風を煽るが、あまり意味のないことだ。
「それ、ちゃんと着なよ。危ないから」
「はあ? 指図すんな」
「ちゃんと着ないと防護機能が働かないし、温度調節も効かない」
「くっせんだよ、この服」
「怪我をすると足手まといだから言ってるんだ。今日行くところはモグラが出る。お前も何度か目にしているが、基幹部に出るモグラはああいうのとは比べ物にならない。キュボーがいるからといって安心できないんだ」
「……」
カンチュロは何も答えず無視を決め込む。
「無駄だ、メウ。こういう奴は死なないとわからねえ」
「死んでからじゃ遅いんだけど……くれぐれも気を付けてくれよ」
強く言えない僕も僕だが、もう少しこう、聞く耳を持ってほしいとは思う。
班長の僕がカンチュロより二つ年下であることがメンツ的に気に入らないのだろうか。まあ、僕も自分で班長の器じゃないとは思うが。
やがてエレベーターの下降が止まる。
基幹部に到着したのだ。
ぐーっ、と地面に押さえつけられるような重力がかかり、踏ん張って耐える。かなり乱暴なエレベーターなので、新人はだいたいここで尻餅をつく。カンチュロもそうだった。それでキュボーに笑われたことを根に持っているのかもしれない。
エレベーターの柵が開くと、まるで宇宙船のように機械的なモジュールが散りばめられた通路が現れる。
この先でいくつもの道に枝分かれしている。
「じゃあ行こうか、二人とも」
こうして僕たちは各班に割り当てられたスポットへと向かう。
本作品は、恩師Bの送別会にて発表した小説が原作となっています。
恩師Bの門出に祈りを捧げ、これまでいただいたものをお返しする、という気持ちで書き上げました。
まだぎりぎり若気の至りで済ませられるうちに、
わたしの好きなものをぎゅうぎゅうに詰め込んだおもちゃ箱です。
その後、何度か大幅な加筆修正を経て、もはや原形がなくなった段階で、第16回MF文庫Jライトノベル新人賞第三期予備審査に投稿しました。結果は二次選考通過でした。
その作品を、このたび公開することにしました。
全十五章になります。
よろしければ、暇潰しにどうぞ。
奇村兆子