絶望魔法少女
「その姿は……絶望魔法少女の……」
普段特徴的な語尾で話す那月がメアリーの変身後の姿を確認し、間髪入れずにその言葉を口にした。いつもの那月ならば、思わず声が出てしまう事はなかっただろう。ステッキを握った右手が小刻みに震え、額からも冷や汗を流している。まるでメアリーの能力の由来となっている作品にトラウマであるかとでも言うように……。
恵は薄々、那月の様子の急な変化の訳に勘付き始めていた。絶望魔法少女――魔法少女作品の界隈に大きな衝撃を与えた深夜アニメだ。そのストーリーは酷く残酷で魔法少女物が好きな人でも視聴をやめてしまうほどだった。逆に斬新な設定、奇怪的な発想に称賛する者もおり、意見が二分されたのも有名な話だ。
今までの魔法少女作品はてぃんくる9のように、人々を邪悪な存在から守るために精霊と契約し、力を手にして戦うものが主流だった。だが、この作品はネジが外れたかのようなストーリーを構築していた。物語の設定は至ってシンプル、魔法少女同士の殺し合いだ。この作品には善悪の感性を踏みにじるために用意されたシーンが多数描写されている。
絶望魔法少女は、主人公、島崎 楓が自分を裏切った親友、南條 可憐に復讐するために精霊と契約し、力を得る所から物語は始まる。しかし、実際に彼女を待ち受けていたのは魔法少女同士の殺し合いだった。復讐相手もまた、同じタイミングで精霊と契約を交わしており、敵対する展開だ。そして、彼女たちの力の源として用いられるのが寿命だ。力を使えば使う程、彼女たちの寿命の残量を参照する液体・別名ソウルは乏しくなっていき、それが尽きると絶命する。補給する方法はただ一つ、別の魔法少女のソウルを自分のソウルダイヤ――ソウルを保管する器に注ぐ事だ。
このシステムこそが、魔法少女たちの争いを生んだ原因だ。実は精霊がそれを誘導していたりするのだが……説明が長くなるので割愛させてもらう。
那月の中で魔法少女と言うのは、ヒーローと同様にみんなを笑顔にする正義の味方だ。それが故に、この作品は那月に恐怖から始まり、様々な感情を植え付けた。現在はテイストが違った魔法少女物の一作品と考えを改め、タイトルを聞いても平常心を保っていられる。が、その能力者が目の前に現れるとは予期していなかった。
那月の頭の中で作品の残酷なシーンが脳裏に浮かぶ。徐々に表情に翳りが増していき、やがて辛さに耐えきれず、身体が震えだしていた。
「大丈夫、落ちついて那月」
恵はメアリーへの警戒したまま視線は外さずに慌てて那月の傍へ近寄り、背中を擦る。そして念のため小声で強化魔法を唱えて自身を強化する。
「ニヒヒ、大分怯えているようだけれど。あたいは待ってあげるほど、お人好しじゃあない、からねぇぇぇぇぇ!」
そう、既にこの場所はいわば戦場だ。アニメのように敵は待ってなどくれはしない。
メアリーは右手に持ったステッキで左手首を切り裂いた。床に飛び散るかと思われた血液はメアリーの周囲へと集まり、槍のような形を形成していく。自傷の跡は徐々に塞がり、既に変身時の傷は完治していた。
恵はこの時点で確信した。メアリーのルーツは絶望魔法少女においてトップクラスの強キャラクター、死芭 未四亜だという事に。このキャラクターは作中屈指の残虐非道さを持つ。能力はステッキで自身を傷つけ、血液を媒体にして術を放つ。その力によって作中で殺したキャラの数は10を優に超えている。
メアリーの周囲で形成された4本の血の槍、ブラッド・ランスは両腕を振るうと直後、こちらに向けて打ち放たれた。
那月はまだ正気を取り戻せてはいない。恵は咄嗟に初歩的な魔法で障壁を展開した。槍の攻撃を防ぎ切ることこそできなかったが、絶妙な角度で防御壁を展開したこともあり、軌道は逸らすことには成功し、直撃は免れた。しかし、軌道をずらしたと思われた槍は追尾するように再度こちらへ標的を定めて向かって来た。そうブラッド・ランスは追尾能力も備わっていて、破壊するまで標的を追いかけてくる。
恵はその余りの攻撃の速さに、障壁の再展開が間に合わないと悟り、那月を抱えて回避行動に専念する。3本の槍はギリギリ避けることができたが、4本目は間に合わず、恵の頬を掠め血が顎を伝う。だが、恵は冷静に杖を頬に当て回復魔法を唱えて対処する。
「やってくれるじゃないか……。ここからは僕のターンだ」
恵は杖の先に力を集め、基礎魔法のファイアーボールを未だ軌道を変えてこちらを狙い定め、向かってくる4本の槍に向けて四方に連続で打ち出していく。攻撃を受けた血の槍は燃え盛り、焼失した。
「ニヒヒヒヒヒヒヒ、少しはやるねぇ。これならどうかなぁ?」
「那月、しっかりするんだ。あいつは死芭 未四亜本人じゃない。あいつは魔法少女なんかじゃない、その能力を使って人々に迷惑を掛ける悪人だ。正しいのは君の正義の心だ」
メアリーは再びステッキで左手首を切り裂き、血液を媒体に今度は球体を形成していく。恵はその間も必死に那月に声を掛け続けた。その想いが届いたのか、那月は目を開け、「ごめんなさいっす! 迷惑を掛けました」と手を合わせて謝った。
正気を取り戻した那月は、恵の腕を離れて右手のステッキを大きく掲げた。しかしトラウマから完全に開放された訳ではなく、ステッキを持つ右手はブルブルと震えている。それでも尚、那月が戦おうとしているのは、恵の必死の声掛けのおかげだ。
那月は自分と恵へ今にも放たれそうな状態の大きな球体から身を守るため、エレメンタルバースト込みのホーリー・バリアをできる限りの速度で展開していく。そして二人を神々しい光を放つ障壁が包み込んだ。
「ニヒヒヒヒヒヒヒ、どうやら正気に戻ったようだねぇぇぇぇぇ……」
メアリーは、そう呟くと形成した球体、ブラッド・バーストを解き放った。この技は強力だが、放つまでに時間を必要とする。
その間を利用して自分程度の障壁では防げないと判断した恵が、一か八かではあったが那月に声を掛け続けたのだ。
那月が展開した障壁に球体が正面から直撃した。その衝撃で発生した風圧により窓ガラスや周囲の小物が吹き飛ばされてゆく。
那月は歯を食いしばり、必死に攻撃を受け切ろうとしている。が、余りの威力に障壁こそ破壊されるには至ってはいないが、徐々に体が後方に押し込まれていく。恵はそれにいち早く気が付き、那月の背中から支えるように手を当て、押し負けないようにサポートする。障壁に強化魔法を重ね掛け、更に強度を上げようと試みる。恵の必死の行動によって、球体はその力を徐々に落としていき、何とか攻撃を受け止める事に成功した。力を失った球体は液体の状態に戻り、血飛沫となって周囲の床へ飛び散っていく。
2人は血飛沫で一瞬視界が奪われたのも束の間、メアリーはその間に先ほど使用したブラッド・ランスを再び展開していた。4本の槍は血飛沫に紛れながら飛来し、ブラッド・バーストで弱まった障壁を貫通してそのまま二人に襲い掛かる。それに咄嗟に反応し、那月は打撃技ホーリー・インパクトで2本の槍を正面から押し込まれそうになりながらも辛うじて受けとめ、そのまま力を込めて破壊していく。恵も又、基礎魔法サンダーを詠唱し、襲い掛かる2本の槍を破壊し、致命傷を防いだ。だが、那月の消耗は先程の攻撃を受け切ったことにより、甚大だ。今の状態では魔力が底を付くのも時間の問題だろう。
「メイクアップ・ウォーター・オーラ」
魔力が残り少ないと感じ取った那月は、残りの魔力で魔法少女イズミの状態に姿を変えた。




