メアリー・ブラッド
恵と那月の二人は、透明人間と考えられる未知の敵の攻略を能力と日々の研鑽によって培った五感の鋭さを持つ八重に託し、建物の4Fに到着していた。幸い3Fでは何事も起きなかった。
恵はその旨をインカムで連絡を取り、八重に伝えている。あちらは戦闘中という事もあり、気を緩める事が出来ない緊迫した状況が続いていることを恵は理解していた。それを承知の上であっても現在の自分たちの安否と「必ず追いつきます」と言ってくれた八重に、現在地の報告は必須と考えた故の判断だ。ここは言わば戦場だ。そういった行動の選択が、作戦の成功の可否、いや生死を分けると言っても過言ではない。万が一自分たちが窮地に追い込まれた時、八重の到着が早ければ……と後悔をしないように……。
その逆も然りだ。八重が苦戦を強いられて、戦闘の継続が困難なほど切羽詰まった状況に陥っているものならば、この階の探索を投げ出してでも助けに戻るつもりだったのだ。しかし恵のそんな不安を晴らすように、冷静に攻撃を捌きながら通話に応答する八重を「流石だ」と心の中で称賛する恵だったが、こういう時こそ慎重にと自分に活を入れて「何かあったらすぐに連絡をするように」と言葉を残し、通話を切った。
「階段が塞がれているね」
5Fに上がるための階段にはまるで、侵入者を通さないと言わんばかりに鉄で固められたバリケードが展開されていた。恵たちがその気になれば、魔法を行使することによって、この程度のバリケードを破壊する事は容易に可能だろう。だが、恵は冷静沈着だ。それ故にある可能性に思考を巡らせていた。相手の立場に立ってこの事態について考えた時、この程度のバリケードでは突破されることを想定していないとは考え難い。その不自然さに恵は着眼点を置いたのである。そして結論を導きだしたのだ〝これは罠〟だと。
強引にバリケードを破壊して突破するにしても、どんな罠が待っているか分からない現状。そして自分たちが今、八重と行動を共にしていないこと。他様々な条件が重なったこの状況において、どんな仕掛けが施されているか分からない、未知の脅威に踏み込む程に頭が回らない恵ではない。
階段はもう一ヶ所存在するのは、1Fの探索でも確認済みであった。仮にそちらもバリケードで塞がれているとしても、強引に破壊し足を進めるのは今じゃない、八重との合流後であるべきだと。
「このバリケード、あからさまに能力を使って壊してくれと言っているようなものだ。罠かもしれないから、この階を隈なく探索して、他の階段にもこれと同様に展開されているのならば八重と合流してからにしよう。このまま2人で進むのは危険だからね」
そう考えを纏め、那月ちゃんに声を掛けて4Fの探索が始まった。
最初は何事もなく捜索は進んだ。鮫島さんから聞いていた攫われたと思われるような人も確認はできなかった。恐らく、これより上の階だろうと恵は確信する。二人は安堵と共に束の間に訪れた心の休息に浸り、建物中央の広いスペースに腰を下し、水分を補給する。
「プハッー、生き返るっす!」
恵はサイダーをゴクゴクと勢いよく飲み干す那月ちゃんに泉を重ねて、コーラを飲む彼女との余りのシンクロ率に、思わず頬を緩めた。
その後、自分の飲み方を笑われていると勘違いした那月ちゃんと軽く言い合いになったのはお察しの通りだ。泉の名前を出して必死に誤解を解こうとした恵だが、那月ちゃんもなかなかの頑固ぶりを発揮していた。恵が心の中で「那月ちゃんこそラスボス」と考えていたのは生涯表に出る事はないだろう。
そんな和やか?なムードをぶち壊すかのように突如何者かの声が二人の話を遮った。
「随分楽しそうだねぇ、これから待ち受けるのは永遠の闇って言うのに。ニヒ、ニヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」
気持ち悪い奇声を発しながら恵たちの前に姿を現したのは、まるで某ホラー映画に出てきた貞〇を彷彿させるような女だ。黒髪が長すぎて、片目は隠れてしまっている。髪の毛はボサボサで、恐らく手入れがされていない。二人はその不気味なフォルムを目の当たりにして、背中に悪寒が走ったのはいうまでもない。
格好はボロボロの黒いワンピース姿をしている。
「恵さんすぐに離れるっす。コイツの全身から血の匂いがするっす!」
那月は、貞〇女から発せられている異常なニオイに気がついたようだ。恵は距離を取るために後退りながらも、女の衣服に目を凝らした。ある程度離れているため、ハッキリとは分からないが、あちこちに血痕のような跡を確認し、警戒レベルを最大まで上げる。
「ニヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!! 随分と警戒されたものだねぇ、でも勘が鋭い女だ。でもあんたらはあたいに遭遇した時点で生きて帰れないけどねぇ。ニヒ、ニヒヒヒヒヒヒヒ!!」
さっきから口にしている謎の奇声はさながらメンヘラ女のそれである。恵もネットをよく利用しているので、このような発言をする女は危ない輩だと認識している。因みに恵が咄嗟に後退りした理由にこの事も含まれていたりする。
「もう死ぬあんたらに冥土の土産として自己紹介をしてあげよう。あたいはエデンの第4使徒、メアリー・ブラッド。あんたら、あたいと同じく魔法を使う能力者だね。いい魔力だねぇ、あたいが残さず喰らってやる。ニヒヒヒヒヒヒヒ!!! 正直、殺神 俊哉が利用するに値するか潜入調査なんて頼まれたが、退屈でねぇ。こんな上物に出会えるとはラッキーだねぇ」
女改め、メアリーは淡々と自己紹介と自分がここにいる目的を語った。普通の人間ならば、初対面のしかも敵を相手に自分の素性をこんなペラペラと語らないが……と一瞬思ったが、メンヘラ女なら有り得なくもない話だと考えを改めると、杖を構えて戦闘態勢に入った。
恵はメアリーの発言の中にあった重要な単語を聞き逃がしてはいない。無論〝エデンの使徒〟という部分だ。まずエデンの使徒とは、恐らくなんらかの方法によってエニグマによって選ばれた者だと予測を立てていた。そして、メアリーは自分の事を第4の使徒と語った。つまり、1・2・3の使徒は少なからず存在し、それ以降の番号を与えられた者が在籍している可能性が極めて高い。
これは未だ組織の形が分からないエデンの尻尾を捕えるのに実に有益な情報になると恵は考え、何としても生き残り、これを外部に伝えなければ……と決心していた。
メアリーは話を終えて胸元に手を入れるとそこからカッターを取り出した。そのカッターはまるで、血で染められたかのような色合いで、不気味さが漂っている。
「変~身、ニヒ、ニヒヒヒヒヒヒヒ」
メアリーは台詞と共に右手に持ったカッターで自分の手首を勢いよく切りつけた。開いた傷口からは大量に血が噴き出し、傍から見たら自殺行為にも等しい。だが、そんな恵たちの疑問も一瞬にして崩れ去った。
飛び散ったと思われた血しぶきがメアリーの方向に軌道を変え、彼女を包み込んだ。血液がメアリーの体に纏わり、魔法少女のような黒と赤で構成される衣装を形作っていく。やがて、変身が完了し、不敵な笑みを浮かべ、恵たちの中でも既にお決まりとなった奇声を浴びせてくる。先程のボサボサでまるで貞〇と称するに至った訳とも言える髪の毛も変身後は整っており、前髪に隠されていた瞳もハッキリと確認できる。変身後のメアリーは緋眼で、先程までとは打って変わった顔立ちをしている。モデルと言われても疑問が浮かばないくらいには。特殊な言動には変わりはない。
変身したメアリーを前に二人に緊張が走る。




