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キサ

 


 ある晴れた秋の日だった。


 虚弱体質だった妻が死んだ。幼い頃から婚姻の約束を交わしていた娘だった。弱く、一族の中でも一人ぽつんとしている娘を、子供ながらに守らねばと思っていた。

 相手方の両親も、本当に娘でいいのか、と念を押したくらい、細くて頼りない娘であった。


 結婚をしてすぐ、隣国の内乱の後の情勢を見るために隣国近くの草原に常駐を命じられた。すぐに撤退できるように一家族だけ。一里いちり先の小川まで、日に二度の水汲みの往復だけでも妻の身体は蝕まれた。


 床に伏せる度に申し訳なさそうな顔をして、キサの方を見る目が哀しみに満ちていて、言葉を重ねても妻の憂いが取れる事はなかった。

 先に逝くこと、子を成し得なかった事を幾度も謝って、妻は流行病で呆気なく死んだ。



 ****



 荼毘だびし、一族に知らせを送ると、すぐに身内の者がやってきた。

 後妻をめとれという。

 キサは理解していた。

 家族で住んでいた者が独り者となってまで、この場所に留まるのは怪しまれる。

 ここを拠点とする為にも、妻が必要だった。

 キサは、若くて健康な娘ならば誰でもいい、と言った。


 出来れば、前妻とは似ても似つかぬ娘が良かった。妻を愛していた。妻の面影を、思い出させぬ娘の方が、お互いの為だと思った。

 一族の者はキサを見つめ、承知した、と短く言って戻って行った。


 一ヶ月が経ち、一族の者は再訪すると、別の部族の者でも良いかと聞いた。

 むろん、異論はなかった。

 同じ部族の中に丁度良い年の娘が居なかったのだろう。また、名前が挙がった部族は、キサの一族の次に勢力のある部族だった。

 結束を固める為の、婚姻でもあった。



 ****



 風の強い冬の日、新しい妻が父親に付き添われてキサの元に来た。

 蒼いベールに覆われた妻は、前妻よりも小柄だった。馬に降りれないでいる妻を下ろそうとすると、あまりの軽さに目眩がした。

 こんな軽さでここの暮らしがつとまるのだろうか。

 短い別れをし、遠ざかっていく父親をいつまでも見送る肩が、小さかった。


 家に招き入れると、妻はちょこんと座って、ベールを取り外す事をしなかった。

 キサは流石に面通しをしなければならんだろうと声をかけると、妻は初めて言葉を発した。


「旦那様が、取ってください」


 鈴が転がるような震えた声に、キサはまた目眩がした。いくら若くてもいいとは言ったが、若すぎだろう。声音から新妻が二十歳にも満たない事は容易に想像できる。

 結婚の何たるかも知らなそうな若妻に、どうしたものかと思いながら、キサは蒼いベールを上げた。


 伏せていた目を上げた妻は、黒目の大きな、年若い娘であった。自然に赤らんだ頬が健康そうで、キサはほっとした。

 前妻とは似ても似つかぬ顔立ちに、ほっとした。


 キサが名乗ると、サリヤも名乗った。

 ただ、名乗った後に不安そうな顔をしたので、キサはああ、と思い言葉を紡いだ。


 取って食う事はないと、すぐに抱く事はしないと暗に言ったつもりだったが、きょとんとしていたので通じてはいないのだろう。

 先が思いやられる、と思いながら温めた山羊の乳を器に入れて渡すと、礼を言って一口飲み、ふわり、と新妻は口を綻ばせた。

 キサは思わず息を呑んだ。


 目を細め、こくりこくりと飲む様が、前妻と重なった。


 前妻が最後に飲んだものも、同じ山羊の乳だった。目を細め、こくりこくりと、とても美味うまそうに。

 いつの間にかじっと見ていたのだろう、視線に気付いた新妻が、にこりと笑った。


「故郷の山羊の乳と、同じ味がします。明日から、山羊のお世話は私がしますね」


 柔らかく滑らかに言われた言葉に、はっとした。嬉しそうに弾んだ言葉は、確かに新妻のものだった。山羊の世話はついぞ出来なかった前妻からは、放たれない言葉。

 キサは、あ、ああ、と言葉を濁した。


 前妻の面影を探していた。

 どこかに似たものが無いか、

 無意識に探していた。

 この娘は前妻とは違うのに、

 この娘は、今日から自分の妻となったのに。


 キサは自分を恥じた。

 そして、改めて妻を見た。


「よろしく、頼む」


 飛来するの思いを胸に告げると、新妻はにこりとほがらかに頷いた。



 ****



 暮らし始めて間もない頃は、キサはサリヤを年の離れた姪に近い感覚で接した。

 サリヤは実際若かったし、別の部族ということで、生活の基盤は一緒でも習慣は細々とした所が違い、戸惑っていた。

 まずは生活に慣れる事に重きをおいた。


 サリヤは小さくともよく働いた。

 一里の水汲みも苦なくこなせたし、山羊の世話も乳絞りも慣れたものだった。

 食事の仕込みの仕方が若干違ったが、キサが教えるとすぐに覚えて同じように作れるようになった。


 一月に一度、報告も兼ねて家を離れる事を告げると、留守はお任せください、とにこりと胸を張った。

 一緒に暮らしてみると、部族の習慣の違いのすり合わせは度々必要ではあったが、苦もなくお互いに馴染んで暮らせた。


 我が部族の掟で、婚姻する相手は夫となる者の愛馬に許しを得なければならない、と言ったときには流石に驚いていたが、緊張の面持ちで許しを請う姿が愛らしかった。また、愛馬がすぐに許しを出したのも苦笑する出来事であった。


 愛馬の方がとっくに気付いていたのだ。

 キサがサリヤを愛し始めている事に。


 しかしキサはすぐにはサリヤを抱く事は出来なかった。サリヤが幼いというよりかは、たまに遠くの空を見つめている事に気付いたからだ。決まって東の空を。

 サリヤの故郷の方面だった。


 故郷に想い人でも残してきたのか、とも思ったが、声をかければ屈託無くこちらを見て笑うので、気のせいかと思うものの、キサは問えずにいた。

 不甲斐ない自分に苦笑し、キサは日を決めて問う事にした。

 いつまでもこのままではいられない。

 キサは男で、サリヤは女だった。



 この草原の冬は、風が吹きすさぶ寒い気候なのだが、月が欠けて無くなる日だけ、何故か風は止み、上を見れば満天の星が見える。

 順当に風が止んだのを見計らって、キサはサリヤに早めに寝て夜に星を見ようと誘った。


 サリヤは頷いて素直に寝入った。

 安心しきって眠る新妻に、なんど苦笑した事だろう。サリヤは分かっているのだろうか、自分達がまだ本当の夫婦にはなっていない事に。軽い疑念を持ち始めたのも、キサを動かした要因であった。


「サリヤ、起きれるか?」


 十分に星が出たのを確認して、キサが妻の肩を揺らすと、ん……はい、と思いのほか甘い声が聞こえてキサはぐっと喉を鳴らした。


 まだ寝ぼけているサリヤはよれよれとして、足取りも心もとない。毛皮の外套を着せると、普段なら旦那様にそんな事、と遠慮するだろうに、言われるがまま着せられている。

 身体が冷えないように厚い布を被せると、もこもこの布そのものが歩いている様で、なんとも愛らしかった。


 有無を言わさず腕に抱き上げると、サリヤはこてんと頭をキサの肩に預けた。その仕草にキサは苦笑する。


 俺を夫と見ての仕草なのか、無意識の仕草なのか。


 キサは早く知りたくなり、ばさり、とカリマの布を上げて外に出た。


 冷え切った空気の中を、ザクザクと歩いていく。小高い丘まで上がると、上を見上げれば満天の星が見えた。

 キサの腕から降ろされたサリヤが、息を飲んで空を見つめている。


 あれが北の主望星しゅぼうせい、あの星を中心に星が動くので、夜半に動く時は必ずあの星を見るんだ、と告げると、サリヤはコクコクと頷いている。

 あれだぞ、わかるか? と指を指して言うのだが、コクコクと夢見心地に頷くだけなので、多分分かっては居ないのだろう。


 キサは、ま、おいおいだな、とあえて無理に教え込もうとはしなかった。


 まだ時間は沢山ある。

 サリヤとの時間は、沢山だ。


 健康であっても、いつ命が消えるともしれない厳しい環境なのはとうに承知。

 だが、キサは予感がしていた。


 サリヤとは長い付き合いになる。

 そして、サリヤの他に妻を娶る事はないだろう、と。



 しばらくじっとサリヤを見ていると、サリヤがこちらをゆっくりと向いて、華のように笑った。


 キサはその顔に満足し、そろそろ戻るか、とまたサリヤを腕に抱き上げた。

 家に戻ろうと足を踏み出した所で、はたと気がついた。

 うっかりと確認せずに挑もうとしてしまった。確認が大事だ。何事も。


「旦那様?」


 抱き上げたまま動こうとしないキサに、サリヤが声をかけて来た。


 キサはサリヤを抱えたまま、見上げる。


 サリヤの背後には満天の星と、

 北に輝く主望星。

 その中で一番輝いているのは、

 ゆっくりと瞬くサリヤの黒い瞳。



「サリヤは、私の事をもう夫と見れるか?」



挿絵(By みてみん)



 サリヤはじっとこちらを見て、しばらく何も言わなかった。ただ真摯に、こちらを見つめていたかと思うと、ぎゅっと目を閉じて、またすぐに見開いた。

 その目には、気遣う、優しい色があった。


「私は、もう見れます。旦那様は、大丈夫ですか?」


 そして、言った瞬間に不安そうに揺れた。

 この星空の下で、初めて、不安そうに揺れた。


 サリヤはその小さな手をキサの頬に当てた。初めてサリヤから、こちらに触れてきた。


 ああ、気付いていたのか。

 キサは正しく理解した。サリヤは知っていたのだ。キサが妻を亡くした事を、その妻の面影を、サリヤに重ねて見ていた事を。


 見ているようで、見られていて、こちらが気遣っている先で、自分も気遣われていた。


 敵わんな。


 キサは苦笑して言った。


「私はサリヤを迎える事が決まってから、もう気持ちに整理はついている」


 本音だった。

 自分の心にはもうサリヤが居る。


「本当ですか? 寂しくないですか?」

「寂しくなど、馬鹿な事を」

「大事な事です」


 こちらの事を一つも見逃すまいと、サリヤがキサの目を覗き込んでくる。


 どれだけ信用を無くしてしまったのか、いや、無くすほどまだ出来ていないか。


 キサがゆっくりと空いた手でサリヤの頬を撫でると、サリヤは大人しくされるがままにこちらを見ていた。


「忘れる事はないが、私の妻はサリヤ、お前だ。今はお前しか見ていない。嘘だと思うか?」


 一つ一つ、丁寧に言った。

 サリヤが今後、揺らぐ事のないように。

 自分の本心を、サリヤに刻むように。


 最後の問いに、サリヤは小さくいいえ、と答えた。そして叱られた子供のようにきゅっと唇を引き締めたので、キサは喉を鳴らして笑った。


 幼く見えるサリヤも、

 すぐに夫婦に見えるようになる。

 そのように接すれば、

 おのずと変わる。


 まだ何も夫婦として接していなかったキサは、おもむろにサリヤの顎を捉えてこちらに引き寄せた。


 唇を寄せて口付けをすると、サリヤが目を真ん丸にしてこちらを見ていたので吹き出した。


「こういう時は目を瞑るものだと、誰も教えてはくれなかったのか?」


 冗談混じりに言うと、サリヤは呆然として、

 は、い、と応えた。


「おいまて、その先の事も知ってはいない、のか?」


 冗談だろう? と更に問うと、今度は、その、さき……とおうむ返しに言った。


「何をやっているのだトル族は……」


 夫婦になる事の一番大事な事はこちら任せか、と少し憤慨するが、それはそれでもしかしたら良いのかもしれない、と思い直す。

 何も知らない無垢な鳥をゆっくりとむのは、また美味な事だろう。


 キサはサリヤに見えないようににんまりと笑うと、案ずるな、任せておけ、と言葉をかけながら帰路を急いだ。


 温かなカリマの中の寝台の上に宝石を抱くように降ろす。いつもは別々に寝ていたのに、ときょろきょろしだすサリヤをばさばさとくと、だんだんと顔を青くしていく妻に気づいて喉で笑い、時間をかけて口付けた。

 すぐに朱色に変わる顔色に、満足する。


 怖かったら目を瞑れよ?


 何度も言いながら、キサはサリヤを優しくたっぷりとんだ。


 当然だ。夫婦なのだ。

 妻の顔が青くなるならば、

 また赤くしてやればいいのだ。

 ただ、それだけの事だ。







 完






お読み下さりありがとうございました。


白陽国の中では端役も端役の二人を書くことが出来て、とても嬉しく思います。

ちなみに本編では第二章の物語に出演しています。

今回は、二人の若かりし頃のお話でした。


小鳩さまにお誘いを頂き、秋から企画に参加をさせて頂いて、今回の冬でグランドフィナーレ。

企画を通して作家さまと仲良くさせて頂いたり、作品を見て頂くきっかけになったり。

企画を立案、管理をして下さった、

アンリさまのおかげです。

沢山の感謝を贈ります。

ありがとうございました。


また、この他にも素敵な物語が企画の中に入っております。

キーワード「キスで結ぶ冬の恋」

で検索してみて下さい。


ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やわらかくて程よくかわいい文章が、小柄なサリヤを表してるようで素敵でした。 細かく区切っているから(読点多めだから)リズム感があって、風の音や動物の声以外は聞こえなさそうな、少し乾きがちな…
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