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サリヤ

この作品は、白陽国物語の外伝になります。

本編を読まなくても良い作りになっております。ご安心下さい。


*アンリさま主宰「キスで結ぶ冬の恋」企画参加作品

 



「サリヤ、あなたの婚姻が決まったわ」


 ある晴れた冬の日だった。

 風の音が強くて、居住に使っているカリマ(遊牧民のゲルと同等)の布がバタバタと鳴っていた。


 三ヶ月前から父親の元に頻回に親戚の人たちが入れ替わり立ち代り来ていた。山羊の乳や水を汲みに行き交うサリヤを値踏みするように見ていたのには、気づいていた。


 いずれ結婚をするとは思っていたけれど、こんなにバタバタと決まるものなのか。

 不安が募り義母に問うと、義母はぎゅっと抱きしめてくれて話してくれた。


「恩のある部族の方の奥方が亡くなったのよ、流行病でね。それで今度は若くていいから健康そうな娘を、とこちらに話が来てね」


 義母の言いたい事は分かった。

 今、私達の部族の中で婚姻に足る年の者は四人。その内の一人は先月結婚をし、もう二人は幼い頃からの許嫁がいて、サリヤだけが誰も約束していない娘であった。


 いや、正確には約束を交わした者が居なかったわけではない。幼馴染の許嫁がいた。

 いたが、先の戦で亡くなった。

 初陣だった。意気揚々と馬を掛けて、手柄を約束して別れたのは、一年ほど前の話だ。

 サリヤの手元に戻って来たのは、幼馴染が好んで使っていた弓の矢羽根だけだった。

 その鷲の羽は、幼馴染が初めて仕留めた黒鷲だった。目を輝かせて飛び込んで来た幼馴染の輝いた瞳を思い出し、サリヤは泣いた。


 一ヶ月、二ヶ月と泣き続け、一年の歳月を経て、ようやく、普通の暮らしが出来る程には見た目には回復した所だった。


 サリヤには母が居なかった。サリヤの幼い頃にぬかるみに足を取られて怪我をし、その傷を放置したが為に、あっという間に死んでしまった。義母も同じように急遽父に嫁いできた。同じ立場の母は、サリヤに最善を尽くしてくれた。


 自分が嫁いできた時の花嫁衣装を綺麗に残して着せてくれた。

 嫁ぐときに必要な布地を頭を下げて同じ部族の人達からかき集めてくれた。

 婚礼まで被る蒼い薄布のベールにいつのまにか銀糸の刺繍をしていてくれた。

 最後に涙を流して送り出してくれた。

 いつまでも、いつまでも、見送ってくれた。


 これが、今生の別れなのだと、サリヤは気付いていた。

 同じ部族ではない、別の土地の者に嫁ぐのだ。サリヤが乗る馬とは別に、もう一頭に荷物だけが括られて並走している。

 その荷の多さ、また、携帯食の多さに、旅の長さを知った。


 嫁ぎ先までは、父が送ってくれた。

 五日ほど、親子水入らずで過ごした。

 何を話したか覚えてなどいない。無口な父だった。それでも、夜、寝る前に、ぽつりぽつりと母の事を話してくれた。


 明るい活発な人だったと。忍耐のある強い女だったと。そんな死ぬ事など微塵にも感じさせない女だったと。

 だから、油断した。母も、父も。

 だから、お前はきちんと夫となる者に物申せと、父はぽつりぽつりと言った。

 不調の時は、きちんと告げよと。

 お前も母さんに似て、我慢するたちだから、と。


 家に居ても、ほとんど話す事もなく、自分を顧みない人だと思っていた父からの言葉に、サリヤは涙した。

 お前がどんどんと母さんに似てくるから、少し、辛くてな。寂しい思いをさせた。すまなかった。と最後の晩に、ぽつりと言った。



 ****



 風が吹きすさぶ今は枯れ草となっている草原の真ん中に、比較的大きなカリマの前で、男が待っていた。

 サリヤはベールを被っているのでどんな顔をしているか分からない。

 父と話す落ち着いた低い声に、だいぶサリヤよりも年が上なのだと知った。


 馬に乗ったまま緊張して身動きが取れないサリヤに、男は近づいてくると、サリヤの脇に両手を入れて、がばりと馬から下ろすと、そのまま子供の様に片腕に抱えて父の元へと連れてきてくれた。

 その様子を見て、父は、もう別れは済んでいるから、と一つ頷くと、男と挨拶をし、サリヤをそっと軽く抱きしめると、仲良くな、と言って帰っていった。

 サリヤは義母が見送ってくれたように、父の影が見えなくなるまで見送ると、男に促されてカリマに入った。


 カリマの中は温かく、うっすらと影のように見える内装も、故郷のものとそう変わらない事にまずほっとした。別の部族とはいえ、同じ遊牧民。生活の基盤が変わらないようだった。


「サリヤ、だったな。ベールは取ってもいいのか?」


 低い声が聞いてきた。ベールをしてくる花嫁を初めて見た、と言った。夫となる人に取ってもらわないと取れない事を知らなかったらしい。同じ遊牧民とは言え、少しずつ習慣は違うようだ。サリヤは先ほど安心した心持ちを、今度は漠然とした不安に変えて、旦那様が取ってください、と震える声で言った。


「分かった、では取るぞ」


 頷いた男は、そっと蒼いベールを上に上げた。視界が開けて、顔を上げると、鷹のように鋭い目をした三十後半であろう男の人が居た。


「キサ・グルカだ。よろしく頼む」


 男は低い声で、鷹揚に言った。


「サリヤ、です。よろしくお願い、致します」


 末永く、を忘れてしまった、とサリヤがきゅっと眉をひそめると、その不安そうな顔を見てキサが苦笑した。


「何もそんなすぐには取って食う事はない。ゆっくりと落ち着かれよ」


 そう言ってぽん、と肩を叩くと、温めた山羊の乳を器についで手に持たせてくれた。

 サリヤは礼をいい、口につけると、故郷の山羊の乳と同じ味がした。

 自然と口がほころんで、目を細めてこくりこくりと飲んでいると、キサと目が合った。

 サリヤはいったん器から口を離すと、にこりと笑った。


「故郷の山羊の乳と、同じ味がします。明日から、山羊のお世話は私がしますね」


 同じ味が嬉しくて、にこにこして言うと、キサは、あ、ああ、そうだな、では、任せよう、と言ってくれた。


「はい」


 サリヤは頷いてにこりとまた微笑むと、山羊の乳を美味しそうに飲み干した。



 ****



 キサは、夫というよりか、まるで父親のように温かい人だった。

 ここでの暮らしの事、別の部族での違いのすり合わせ、キサの部族の掟で、結婚するには馬に許しをわねばならぬ事も教えてくれた。

 緊張した面持ちでキサの馬に許しを請うと、大人しくしていてくれたので、どうやら許されたようだった。

 その馬の様子に、キサはボソリと参ったな、と言ったので、何が参ったのか聞くと、キサはお茶を濁して教えてはくれなかった。


 嫁いで一月が過ぎた頃に、キサから今晩は夜中に星を見る日なので早く寝なさいと言われた。途中で起こして外に出るからと。


 サリヤは大人しく従って早めに床になると、すぐに寝入った。

 やがて、肩を揺さぶられて目を開ける。


「起きれるか?」

「ん……はい」


 寝ぼけ眼で返事をすると、一番暖かい毛皮の外套を着せられた。その上から厚い布を被らされて、サリヤは服が歩いていると言うよりか布が歩いているような格好になった。


 寝ぼけも手伝ってよれよれと歩くサリヤをキサは子供のように抱き上げると、腕に乗せてカリマを出た。


 途端に深々と冷えた空気が頬をかすめる。

 キサは馬には乗らず、サリヤを抱いたままサクサクと枯れ草の中を歩いて行った。

 やがて、カリマが拳一つ分の大きさになるくらい離れた小高い丘の上で、降ろしてくれた。


 空を見上げると、満点の星が輝いていた。


 風もなく、月もなりを潜めた日にしか見れない光景だ、とキサが教えてくれた。


 この星空の中には、基準の星があって、その星の位置を見て自分が今どの位置にいるのか知るのだ、と教えてくれた。

 キサがその星を教えてくれたのだが、初めて見る星空の中で、サリヤにはそれがどこにあるのか分からなかった。

 それでも、サリヤは嬉しかった。


 キサがサリヤの為に考えて、この星空を見せてくれたのが。

 じわじわと嬉しさがこみ上げてきて、サリヤはキサににっこりと笑った。

 それを見たキサは頷くと、さて、身体が冷える、帰るか。と言った。


 そして、行きと同じようにサリヤを腕に抱えるのだが、キサの足が動かない。


「旦那様?」


 サリヤは不思議そうに問うと、キサはサリヤを見上げて言った。


「サリヤは、私の事をもう夫と見れるか?」


 キサは低い声で言った。

 最初に会った時のような、鷹のような目で言った。


 ああ、私を待っていたのだ、とサリヤは理解した。

 サリヤがまだ心の準備なく来た事を、キサの事をまだ夫として見れていなかった事を、許嫁がいた事も知っていたのだろうか、それを聞くには、勇気がいる。


 でも、サリヤも気になっている事があった。

 キサは前妻を失くしてまだ半年も経っていない筈だ。サリヤには見せないが辛くはないのだろうか、キサこそ、自分を妻と見てくれているのだろうか、いつも子供扱いをされていた気がする。それを聞くには、勇気がいった。


 どちらを聞くにも勇気がいる事を知り、

 ふと、父の言葉が蘇ってくる。



 夫となる者に、きちんと物申せ。



 サリヤはきゅっと目を瞑った。

 そして、夫となる人の顔を改めて見た。

 鷹のような目、鋭いのに温かい眼差し。日に焼けた引き締まった顔、幼馴染とは違う、大人の男の人。私の、夫。



「私は、もう見れます。旦那様は、大丈夫ですか?」



挿絵(By みてみん)



 サリヤはそっと夫の頬に手をやり、不安そうに瞳を覗き込んだ。夫は少しだけ目を見開くと、苦笑した。


「私はサリヤを迎える事が決まってからもう気持ちに整理はついている」

「本当ですか? 寂しくないですか?」

「寂しくなど、馬鹿な事を」

「大事な事です」


 サリヤは一つの揺らぎも逃さぬように、じっとキサを見つめる。

 キサは苦く笑って、空いた左手でサリヤの頬を撫でる。


「忘れる事はないが、私の妻はサリヤ、お前だ。今はお前しか見ていない。嘘だと思うか?」


 鷹の目が鋭く笑った。

 笑っているが、本気の目だった。

 サリヤは小さく、いいえ、と言った。


 少し怖くて、でも離れたくはなくて、サリヤはきゅっと口を結んだ。

 キサはその様子に喉を鳴らして笑うと、撫でていた頬と顎をつかむと、自分の方に引き寄せた。


「あっ」


 体勢が崩れてキサに覆いかぶさるようになって慌てて肩に手をやりバランスを取ろうとしたら、唇に熱いものが触れた。


 目を見開いて終始、夫を見ていたサリヤに、キサは吹き出して言った。


「こういう時は目を瞑るものだと、誰も教えてはくれなかったのか?」

「は、い」

「おいまて、その先の事も知ってはいない、のか?」

「その、さき……」


 呆然とキサを見ているサリヤに、キサは呆れたように、何をやっているのだトル族は……、と呟くとサリヤを見て一つ息を吐き、あの鷹の目で言った。


「案ずるな、実地で教えてやる」

「じっち」

「怖かったら目を瞑ってろ」

「こわいこと? するのです?」

「あ、いや……まぁ、任せておけ」


 そう言うと、キサはサリヤを抱え直してザッザッと大股でカリマの方へ帰っていった。


 その夜、案ずるなと言った夫に身を任せて、サリヤはキサの妻になった。

 顔を赤らめたり青ざめたりする妻に、夫は苦笑して、いいから目を瞑っていろ、とだけ囁いた。







汐の音さまより素敵な挿絵を頂戴しました。


サリヤには鉛筆画の方を、キサには夜をイメージした少し加工した画を入れてあります。


美麗な絵を頂き、とても幸せ者です。


汐の音さま、ありがとうございました!


2021.6.27


なななん

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