始 第四話
それは、あまりにも衝撃的な光景だった。
散乱する檻に使われていたであろう木片は、所々が焦げていて、そして時折血を染み込んで赤く染まっていた。大地にはいくつもの亀裂が走り、微かな黒煙が幾つも立ち昇っていた。破壊の限りが尽くされたその地に、見慣れない二つの影が倒れていた。かつて兵士であったのだろうその肉の塊のような二体の化け物は、どちらも頭と思わしき部位が無く、そして体の至るところからは、まだ生命を感じさせる深紅の血を流れさせていた。
“災厄”、そう呼ぶに相応しかった。そこに広がっていたのは、まさしく“災厄”が残した爪痕だった。破壊と、殺害。おおよそ人の手で成されたとは言い難いその光景の真ん中で、“彼”は一人佇んでいた。
「・・・ユーフィル、さん・・・?」
「________おや、そちらは片付きましたか?クーリュー、キルナさん。」
優しそうに微笑む彼の手に握られた、綺麗な二振りの剣。日光を反射して輝くその刀身には、兵士達の体から流れるソレと全く同じ深紅の血が滴り、まるで自らがこの破壊を成した張本人だと主張しているようだった。
「おいおい、まさかとは思うが・・・隊長、コイツら二人とも・・・アンタが?」
「ええ、あの兵士と共に弔おうと思ってここに来たのですが・・・ご覧の通りこちらの二人も怪物と化していまして。
何もなければそのまま弔おうと思ったのですが、案の定蘇り襲いかかってきたので・・・やむなく迎撃をした、といったところです。」
「やむなくって・・・これでかよ・・・」
辺りを見回すクーリューさんの何とも言えないような表情は、よく理解できた。この惨状は、迎撃と呼ぶにはあまりにも凄惨過ぎる。これでは一方的な虐殺だ。
「相変わらず、いざ死合いになると加減を知らねぇなぁ・・・隊長は。」
「加減なんてしていたら、此方が殺されるかもしれませんからね。当然と言えば当然でしょう?」
悪びれた様子もなく、きょとんとした顔で僕たちを見つめる彼が、こんな戦い方をするのはとても想像できない。
だが、ソレでも目の前に広がるのは、彼が成したこの事実だけだった。
「さて、クーリュー。彼等の遺体を焼いてくださいますか?弔いはキチンとしなくてはいけませんからね。」
かちんと軽く金属がぶつかり合う音を立てながら剣を鞘に納めると、ユーフィルは軽く泥を払いながら言った。
「お、おう・・・」
兵士たちを焼いた灰は、山の頂上の青い岩の下に撒かれた。クーリューさんいわく、“ミクリ・クシナ”と呼ばれる龍人族に伝わる古くからの弔いの儀式だそうだ。
幸か不幸か、犠牲者は三人の兵士だけに留まっていた。多少の怪我人こそ出たが、皆軽傷で済んだらしい。それはきっと、喜ぶべきことなのだろう。けれども僕は、どうしても心に引っ掛かりができていた。そう、ユーフィルさんについてだ。
「・・・クーリューさん、すこしいいですか・・・?」
儀式が終わってすぐ、僕はクーリューさんの元を訪ねた。もちろん、ユーフィルさんのことを訪ねるためだ。
「・・・ああ、キルナか。来るだろうとは思ってたよ。」
そういいながら、クーリューさんは快くテントに僕を迎えてくれた。
「・・・それで、その・・・ユーフィルさんの________」
差し出されたコーヒーを飲みながら、恐る恐る僕は口火を切った。否、切ろうとした。だが、彼の言葉が僕の問いかけを遮った。
「隊長のことだろう?目を見りゃわかる。」
「・・・はい。」
まるで魔法のように僕が聞きたかったことを言い当てると、テントの真ん中を貫いている大きな支柱に寄り掛かりながら、彼は気まずそうに口を開いた。
「お前の気持ちはよくわかる。現に、俺もあの人の戦いを見たときは呆気にとられたし、少なからず恐ろしいとさえも感じた。」
まるでおとぎ話の語り手のように話しながら、彼は手に持っていたコップいっぱいのコーヒーを一口で飲み干した。
「________アレに関しちゃあ、もう慣れるしかない・・・ってのが、俺がお前にできる限りの助言だ。
俺だってそうしたし、他の奴等もきっとそうしてるだろうからよ。」
「・・・そう、ですか・・・。」
諦めの混じったような表情で話すクーリューさんを見ればわかる。あの人は、反乱軍のキャンプを荒らされたことに憤慨してあんな惨状を産み出したんじゃない。彼にとっては、アレが普通なんだ。
「・・・まあでも、少なからずあの人は悪い人じゃないってのは言える。ソレはお前もわかるだろ?」
「・・・そうですね。確かにそうでした。」
悩みがなくなったといえば嘘にはなるが、それでもある種の納得はできた。僕はほんの僅かな収穫を得て、クーリューさんテントを後にした。
かなりどたばたとした日中が過ぎていき、気がつくと夜だった。ユーフィルさんに案内されて、キャンプの皆さんと久々のまともな夕食を食べていると、一人の男の人が駆け込んできた。
「た、隊長さんっ!!これっ!さっきフクロウが運んできたやつがっ!!」
焦りを露にした表情でユーフィルさんに近づいた彼の手には、一通の手紙のような紙切れが握られていた。
「・・・・・なるほど、わかりました。届けてきたフクロウはまだいますか?」
「は、はい!」
その手紙を読み終えると、ユーフィルさんは懐からペンを取り出し、その紙の裏にすらすらとなにかを記すと、男の人に返した。
「これを持たせて、北西の方向へフクロウを飛ばしてください。そうすればきっと届くはずですので。」
「はい!」
男の人が慌ててテントから駆け出していくと、リーエさんが彼に近づいた。
「ユーフィルさん、今の通達は、まさか・・・?」
「はい、偵察班からの通達です。国軍に動きが・・・」
コソコソと話す二人を眺めていると、不意にユーフィルさんが僕と目を合わせて手招いた。
「ゆ、ユーフィルさん、リーエさん・・・どうかしたのですか?」
恐る恐る二人に近づき訪ねると________
「・・・王都内、およびその付近に駐留させていた偵察班から連絡がありました。これまで小さな動きしかしてこなかった国軍が、慌ただしく動き出したそうです。
妙なタイミングの一致からして、恐らくきっかけはあの兵士かと・・・」
ユーフィルさんがゆっくりと話し始めた。一方、リーエさんは怯えたような表情をして立っているだけだ。
「あの兵士・・・で、でも彼らはしっかりと倒して弔ったはずですよね?なのにどうして・・・?」
「恐らくですが、あの三人の兵士の誰か一人の身体に、観測計が埋め込まれていたのだと思います。観測計は、対象が死亡、もしくは何らかの大きな異常を抱えた場合、計測者側へと通告する仕組みになっているので・・・」
つまり、あの兵士たちを殺したため、国軍に通達がいってしまったと言うことだ。
「・・・あれ?でもソレじゃあここの座標もばれてしまっているんじゃっ________!」
つい大きな声を出しそうになって、慌てて自分で口を押さえる。まだ確定してもいないのに、不確実な情報をばらまいてここにいる人たちの不安を煽るのは愚行だ。
「大丈夫ですよ。観測計だけならば位置までもを知らせる機能はついていないので。
ですが用心するべき、という点では賛成です。リーエ嬢、明朝アイネラのもとへと向かってもよろしいでしょうか?」
ふと僕はアイネラという名に反応した。記憶が確かならば、昨日のユーフィルさんの話に出てきた、龍士隊の一人だ。そして、名前の響きから、恐らく女性・・・
「・・・ええ、構いません。ですが念のため、クーリューはこちらに残していってくださいませんか?万が一に備えて、ここを手薄するわけにはいかないので・・・」
「わかりました。では________」
「ぼ、僕もいかせてください!」
思わず言葉を漏らした。だが、ここでコソコソとしているよりは、できるだけ前線に近いところに身を置きたかった。
「・・・もちろんです。最初からそのつもりでしたよ。今夜のうちに、最低限の身支度を済ませておいていただけますか?」
「は、はいっ!」
僕は早速残っていた夕食をかきこむように平らげて、自分の荷物を取りに戻った。最悪の場合を考えて、昼食、夕食とは別に少量の食料、それと残っていた光灯石。ナイフと水をいっぱいにしてもらった水筒。そしてすぐに腰にさせるように、布袋の横にお守りの剣を立て掛けた。
「________い、おい。起きろよ、キルナ。」
投げ掛けられた声と身体を揺さぶる手に起こされ、とっさに身構えてしまった。
「おう、警戒心が強いのはいいこった。だがそれで味方を殺したりしないでくれよ?」
「あ・・・す、すみません、クーリューさん・・・」
「お目覚めですか?キルナさん。」
からからと笑うクーリューに挨拶をすると、まるで見計らったようにユーフィルさんが現れた。
「はい、一応は・・・」
「よかった。
では最後の身支度を済ませたら私のテントの前に来てください。」
「は、はい!」
慌てて服を着替えてローブをまとい、荷物を片手にテントの前へと向かった。
「・・・全員集まりましたね。といっても、私を含めてこの五人だけですが。」
テントの前にはユーフィルさんとリーエさん、そしてクーリューさんと見覚えのある青年がいた。
「・・・あっ、あのときテントの中にいた・・・?」
「・・・・・ヤグリーヌ。」
ぼそぼそとやっと聞き取れるほどの声の大きさで、青年は喋った。
「ヤグリーヌ・・・ってことは、貴方も龍士隊・・・?」
ヤグリーヌ、ユーフィルさんが言っていた、龍士隊のメンバーの一人だ。だが、その見た目は青年とはいえ若すぎた。恐らく僕と五つも離れていないだろう。
「おや、まだ彼に自己紹介をしてなかったんですね。
では、私とヤグリーヌ、そしてキルナさんの三人でアイネラのもとへと向かいます。クーリュー、その間こちらの守りは任せましたよ。」
「了解、そっちも任せたぜ、隊長。姐さんによろしくな。」
槍を片手に頷くクーリューさんは、飄々としてこそいるが微かに気が立っているのがわかった。そしてそれは、恐らくここにいる全員がおなじなのだろう。
「ユーフィルさん、キルナさん、ヤグリーヌさん・・・どうかお気をつけて。」
心配そうな顔で僕らを見送るリーエさんの声は、どれ程の不安がこもっているのか図りきれないほど震えていた。
「ご安心を、リーエ嬢。私たちは大丈夫ですから、どうか貴女はここの人々を精一杯励ましてあげてください。長い間この生活で、荒んでしまっているものも少なからずいるでしょうから。」
「・・・はい。」
険しい山道をゆっくりと下山していく。急ぎ足で降りてしまったら、何らかの痕跡を残して所在がばれてしまう危険性もある。急ぎたいのは山々だが、それでも慎重に、ゆっくりと。
「・・・ユーフィルさん。アイネラさんはどんな方なんですか?」
不意に僕が投げ掛けた問いに、ユーフィルさんは微かに足を止めた。
「そうですね・・・龍士隊唯一の、純粋な人間・・・ヒュルマであり、そして唯一の女性です。」
やはり女性だったらしい。だが、唯一のヒュルマ?
「唯一ってことは・・・他の、ユーフィルさんやクーリューさんは違うんですか?」
「私もヤグもクーリューも、皆龍人ですよ。私とヤグは“アウリナ”、クーリューは“ミクリ・クシナ”という種の龍人です。」
あぁ、なるほど・・・だからあの兵士たちを弔うときは“ミクリ・クシナ”やり方で弔ったのか。と一人納得していると、ユーフィルさんがその歩を止めた。
「・・・あ、あの?ユー________」
「ヤグっ!!」
突然響いたユーフィルさんの声と同時に、木々の葉や草の影から、幾人もの人影が現れた。見慣れた作りの鎧と、胸に刻まれた国の国証________国軍の騎士たちだ。
「わっちょっ!?」
突然のことに慌てる僕を、ヤグリーヌさんが後ろから押し倒す。と同時に、数人の騎士達の鎧に小さな矢が刺さった。よくみると、ヤグリーヌさんの左手にはボウガンのようなものが握られている。
「・・・立て、くるよ。」
グイッと今度は無理矢理身体を起こされて、微かによろめきつつ僕も剣をとる。が、体勢を整えるよりも先に、漏れた兵士が僕へと斬りかかってきた。
「くっ________!」
パンッ________
なんとか剣で防ごうと構えるより早く、小さな風船が割れるような音が響いた。よろめきながら体勢を整えて兵士に目をやると、彼はピタリと停止していた。
「え・・・?」
その兵士だけじゃない。他の兵士も、立っている者の四割近くが完全に動きを停止させている。残った兵士たちは、呆気にとられて動けないでいた。
「ごめんなさい、ユーフィル・・・討ち漏らしがこんなにいるとは思わなくて・・・」
その兵士達の更に奥、僕たちが進もうとしていた先から、綺麗な声が聞こえた。
「・・・いえ、多少減らしてくださっていただけでも十分ですよ。アイネラ。」
ユーフィルさんは穏やかな笑みで、ヤグリーヌさんはほっとしたような表情で、そして僕は、呆気にとられたような表情でその声の主を見つめる。一歩、一歩と歩み寄ってくる“彼女”の手には、一振りの長い剣が握られていた。
その様は、妖艶な悪魔のようでもあり、美麗な天使のようでもあった。だが、もっとも的確にソレを示すならば、例えるべきは、天使でも悪魔でもなかった。
________そこには、刃が立っていた________