始 第三話
どんなに寝付きが良くても、寝覚めが悪いこともある。そう、例えば________
「きゃああああああ____!」
「っ!?」
突然の悲鳴で叩き起こされたりしたら、良い寝覚めとは言い難いだろう・・・っ!?
「っ何がっ!」
ベッドの横に置いてあった剣を手に取りテントの外へと飛び出す。眩しい朝の光が瞳の奥に突き刺さり、思わず眼を閉じ腕で影を作った________と、突然その影よりも遥かに大きな影が光を遮った
「な・・・んだ・・・これ・・・」
目の前には、明らかに人のシルエットではない何かが立っていた。歪に膨らんだ腕のような何かが、ゆっくりと上に振りかぶられていく。そして________
「っく!」
危険を感じ、左へ飛び退く。と、瞬く間にその鉄槌の如き塊は振り下ろされ、僕が先程まで立っていた所には、爆発でも起きたのかという程の大きな窪みが生まれていた。
「なんなんだ、コイツっ!」
剣を抜き、正中に構える。体の至るところから岩のようななにかの突き出たその化け物は、ゆっくりとこちらに顔のような部分を向ける。
「えっ________?」
瞬間・・・そう、本当に一瞬の間に________その化け物は僕の目の前に飛び込んでいた。反応が遅れる。そして________
ドガァンッ
と、大きく鈍い音をたてながら、僕の体は化け物の腕に弾き飛ばされた。
「ぐ・・・っ!」
幸か不幸か、飛ばされた先に壁などはなく、なんとか受け身を取りながら地面に落ちる。が、その受け身の隙に、
「__っ!?」
化け物は、僕の真上へと跳躍し、そして両手を握り振りかぶっていた。
________まずいっ!これは避けられない!
僕がそう思い眼を閉じたとき、瞼越しに、僕の目の前にもうひとつの影が現れた。
・・・なにも起きない。それに疑問を持ち、ゆっくりと瞼をあげる________と、
「________どうも、貴方と居ると退屈しなくて済みそうですね。キルナさん。」
昨日と同じだ。背中に模様が入った黒いコート。少し長い一本くくりにされた銀の髪。そして腰に差された二本の剣。そして、右手だけにつけられた金属製の籠手。
「ユーフィル・・・さん・・・」
彼は、昨日と同じように、僕の前に突然現れ、そして僕を守っていた。昨日と違うのは、僕に向けられた殺意の形が、短剣なのか、拳なのか・・・そして、彼がそれをうけとめているのが、右手か左手かの違いだけだった。
「ふっ!」
彼はその拳とは呼び難い肉塊を容易く片手で払いのける。化け物はバランスを崩し、ゆっくりと後ろに倒れ込んでいく。
「あの・・・化け物は・・・?」
その隙をついて、僕は一番の疑問を彼に投げ掛けた。彼の口から返ってきた答えは・・・
「昨夜、貴方を襲撃した国軍兵士の一人のようです。」
「・・・え?」
信じられない言葉だった。兵士?この化け物が・・・?
「・・・早朝、捕らえていた木組みの檻が破壊されていると報告があり見てきましたが・・・大柄な兵士と小柄な兵士が喰い千切られたような大きな傷を残して殺害されていました。恐らくですが、残りの一人の兵士が、なんらかの理由で謎の変貌を遂げた。そして二人を喰殺、今に至るのでしょう。そう仮定せざるをえませんし・・・あの生物が貴方を執拗に狙う理由としても十分でしょう。」
「・・・・・・」
確かに理由もしっかりしているし、聞いた上ではその仮定が一番筋が通っている・・・が、それでも僕は、その事実を受け入れられないでいた。昨日、敵としてとはいえ、立ち合った人間が、たった一晩のうちに人間ではない何かへと変貌する・・・これをすぐに信じろと言われても、それはできないと答えるしかなかったのだ。
「どう、して・・・」
僕の呟いた独り言とも呼べないその声に、彼は少し憤りの混じった声で答えた。
「恐らく、バレンティナ殿の仕業でしょう・・・彼は人体改造系統の錬金魔術を好んで使います。そして彼は・・・例え自分の部下であろうと、手柄のためなら容易く道具として扱います。自らの功の為の、使い捨ての道具として・・・。」
ふと彼を見ると、あんなに優しかった彼の顔は、激しい憤怒に歪んでいた。そうか、彼は許せないんだ。大事な部下を________大事な仲間の命を、安物のように使い捨てる、このやり方が。
「・・・彼は、どうするんですか?」
「________こうなってしまった以上、現在私達の持ちうる技術で、彼を元に戻すことは不可能です。意志の疎通も出来ない・・・。
・・・彼も一軍人である以上、敵として死合うことは覚悟の上ですが・・・このような姿の人間を殺すのは・・・あまり気が乗りませんね。」
彼はゆっくりと右手を腰の左側に指した剣の柄へと伸ばした。あぁ、そうか・・・殺すしかないんだ。
「・・・わかり・・・っました。」
僕もゆっくりと、剣を正中に構え直す。と________
「・・・?」
気のせいだろうか?僅かに、剣が熱を持っている気がした。
「・・・っと、とにかく!」
自らを鼓舞し、かつて人間だったその生き物を視界の中心に捉える。
改めて見ると、その異形のシルエットは、やはり化け物と呼ぶしかなかった。ボコボコと歪に膨らんだ腕のような物。指の跡らしき溝が刻まれた肉だるまと化した拳。何倍にも膨れ上がった、肉の風船のような身体からは、岩石のような謎の物体が幾つも飛び出ている。頭と呼べるのかも判らない、肉に埋もれたグシャグシャの頭部からは、まるで感情を宿さない硝子玉のような瞳がこちらをじっと見つめていた。こんなものが、本当に“元人間”なのかと疑うほどに、その姿は人間からはかけ離れた、まさに“化け物”だった。
こんな化け物を、どう倒すのか・・・僕は検討もつかず、彼を見上げた。と________
「キルナさん、剣を下ろして戴いて構いませんよ。」
「________え?」
突然の言葉だった。剣を・・・下ろす?
「な、何を!それじゃああれをどうするんですか!?」
あまりに突然すぎる言葉に、僕は少し声を荒げた。彼は穏やかな、しかし闘気に溢れたような眼差しで、その化け物を見つめていた。
「________どうやら、私達が手を出す必要は無さそうです。万が一があったとしても、手を出すのは私だけで充分です。」
彼はいつもの穏やかな声色で、表情を変えることもなくそう言った。
「・・・手助けは、必要ありませんね?“クーリュー”。」
彼は、僕ではない誰かへと語りかける。そして、一寸の隙もなく________
「舐めんな隊長。あんたの部下だろ。」
初めて聞く、少し乱暴な声。彼の物ではないその声は、後ろの方から聞こえた。
「えっ________」
驚き即座に振り返る。が、その人はもういなかった。その代わりに・・・
ガァンッ________
と、重たい何かがぶつかるような音がした。化け物のいる方向から。
振り返ると、バランスを崩し、後ろに倒れかけている化け物の姿。そして________深海のような暗い青色の鎧を着た、黒髪の青年。その左手には、大きな槍斧が握られ、その刃には、化け物のものと思われる血が付着し、ギラギラと朱く光っていた。
クーリュー。記憶違いでなければそう、昨日ユーフィルの話していた《龍士隊》とかいう部隊の副隊長だ。
「隊長、ありゃなんだ?明らかに人間じゃねぇっつー見た目なのに、血の味は人間そのものだ。」
頬についた返り血を舐めながら、クーリューは軽やかに地を脚で捉えた。・・・不思議な形の脚鎧が、ふと目を引いた。
「昨晩捕らえた国軍兵士の一人のようです。恐らくは________」
「あぁ、バレンの野郎のか・・・
哀れだな。あんな奴の下に就くなんざぁよ。」
嘆息混じりの言葉を漏らしながら、彼は手にした槍斧をしっかりと握り直し、構える。その様は、まるで獲物を仕留めんと狙いを定める獅子の如しだ。
「殺して始末ってことでいいんだな?隊長。」
「・・・えぇ。そうするしかないことが、とても悔しいですが・・・。」
ユーフィルは苦々しい表情を浮かべた。すると________
「例えバケモンになってなくたって、こいつぁ軍兵だったんだろ?なら、戦場において余計な情けはかえって失礼だ。
しかと全力で、兵士として殺してやるのが、せめてもの救いだろうがよ。」
表情一つ変えることなく、クーリューはユーフィルの悔しそうな言葉を一蹴した。
「・・・ソレが、一番なのかもしれませんね。
解りました。弔いの準備はしておきましょう。・・・任せましたよ、クーリュー。」
「_____了解。」
そう言うと、ユーフィルは少し早足にその場を去った。残ったのは、僕と、クーリューと・・・そして、目の前の“兵士”だけだ。
「小僧、お前もあっちいってろ。死んでも知らねぇぞ。」
不意に、彼は僕に話しかけてきた。優しさとは程遠いその言葉遣いと声に、少しムッとしながら________
「・・・あの兵士は、僕が連れてきてしまったも同然です。だから、僕にも彼を救う責務があります・・・!」
僕はそこに立ち続ける決意を述べた。しかし、彼は僕をちらりと見て、再び口を開いた。
「・・・その震える手で斬ったって、かえってアイツを苦しませるだけだろうが。本当に救いたいなら、せめてその震えを抑えてから来い。」
「っ・・・!」
もっともだ・・・今の僕があの兵士を斬りつけたところで、致命傷を与えることなど出来はしないだろう。
でも、そうだとしても________
「例え何も出来なくても、僕には、ここに立つ義務がある!
ここでもし逃げたら、僕はきっと・・・きっと、自分の母さえ救えない!」
「・・・・・なるほどな。」
彼は、納得したというような表情で兵士に目線を戻す。
「死ぬ前には逃げろ。本当に誰かを救いたいなら、お前がもっとも重要視するべきはお前の命だ。
お前が死ねば、救えた命も救えなくなる。ただ無駄死にすることだけはするな。」
「っ・・・はい!」
僕の返事を合図にするかのように、兵士は拳を振り上げながらこちらへと突っ込んでくる。ソレを見計らって、彼と僕も前進する。
距離は近い。戦闘にはいるのに、一分とかかりはしなかった。
拳が振り下ろされ、槍が突かれ、剣が振られる。
一見暴力的なその闘いの中には、邪念と呼べるものは一切無かった。ただ、救いたい。ただ、楽にしてやりたい。ただ、その者を殺したい。研ぎ澄まされたように純粋な三つの想いが、剣となり、槍となり、拳となってぶつかり合った。
いったいどれ程の数、互いの想いが衝突しただろうか・・・やがてゆっくりと・・・その兵士は、自らの巨躯をゆっくりと大地に落とした。
「はっ・・・はぁっ・・・」
それと同時に、僕もまた、大地へ膝をつく。自分でもわかっていた。これ以上の戦闘は避けるべきだと、もう限界だと、身体が訴えかけていた。
「・・・・・いや、充分に頑張ったさ、その小せぇ体にしちゃあな。」
と、汗一つ流すことなく、クーリューは槍をくるくると回しながら言った。その化け物じみたスタミナと洗練された武術の動きは、自分が成そうとしている業がどれ程の力を要するかを体現しているようだった。
「っまだ・・・出来ます・・・!」
身体に鞭を打ち立ち上がろうとする僕を、クーリューは片手で制止した。そのまま槍をぐっと握り、伏した兵士の上に乗った。
「・・・小僧、名は。」
「えっ・・・き、キルナ・・・です・・・。」
突然の質問に、慌てて答えた。そういえば、まだ名前を言っていなかったっけ・・・。
「キルナ・・・しかと見届けな。人を殺すってのが、命を奪うってのがどういう物なのかをな。」
彼の声が止むが早いか・・・彼は、握った槍を兵士の胸へと突き刺した。グシャっと、肉が一気に裂かれる音が響く。
『・・・燃えよ、命繋ぐ清廉なる紅き血よ。宿りし命を火種とし、彼の者を包む弔いの業火となるがいい!』
彼の声が響く。不思議な熱を秘めたその声に呼応するかのように、彼の槍斧が淡く光り・・・そして、突如として槍が突き刺さった箇所から、兵士の身体が丸で紙のように燃え上がった。
「えっ・・・!?く、クーリューさん?!」
慌てる僕とは対照的に、彼は当然のように燃え上がる兵士の上から平然と降りると、そのまま槍を大地に突き刺した。
「なにも騒ぐこたぁねえよ。俺の“眼”の力で、こいつの肉体を弔っただけだ。」
そう言いながら振り向くクーリューの瞳は、血のような深紅に染まっていた。
「眼・・・“龍の眼”、ですか・・・?」
「あぁ、俺の“眼”は狂血飛龍、ブラッドワイバーン。血を操るっつー能力を持ってんだよ。今のはその応用。血を一気に発熱、発火させて身体を燃やしてんのさ。」
「血を・・・操る・・・」
なんとも不可思議な能力だ。魔術の五大属性のどれにも含まれない、極めて特殊な、血という属性・・・いや、属性として操るのとはまた違うのかもしれないが・・・
「・・・安らかに眠れ、かつての同胞よ。」
ふと、クーリューが小声で呟いているのが聞こえた。気になり顔を見上げると、そこには悔しさと哀れみの入り交じった表情が浮かんでいた。
「クーリュー・・・さん・・・」
「・・・ちっ・・・そら、隊長の所行くぞ。
戻ってくる頃にゃ骨と灰になってんだろ・・・そしたらちゃんと弔ってやらねぇとな。」
静かな空気を切って捨てるように言葉を続けると、地に刺した槍を抜き歩き出す________よりも一瞬早く、その音は空を切り裂き響いた。
___ドゴォオオオンッ
何か重いものが爆ぜるような、低く大きい、お腹に響くような轟音。何百メートル先までも届きそうなその音は、瞬く間に僕たちの耳を貫いた。
「ッ!?」
咄嗟に僕とクーリューさんが振り向くと、テントの向こうから黒煙が上がっていた。
「こっ今度は何がっ!?」
「・・・あのテントの向こうは・・・っ!」
途端に彼は僕を抱えると地を蹴り走り出した。
「ど、どうしたんですか、クーリューさんっ!」
「あの位置は、恐らく捕虜収容場だ!つまりあそこには、死んだ兵士の遺体があるんだろ!」
「っ!まさか________!」
嫌な予感が脳をよぎる。先の化け物も、元は国軍兵士だった。それが魔術で改造されて、あんな化け物に変わり果てた。
ならもし、その魔術が、死体さえもを変えて、化け物にしてしまうのだとしたら?もし、その化け物が、蘇っていたとしたら?
「そんな・・・さっきのが、まだ二体も・・・?」
「可能性は大いにある!だからこうやって急いでんだろうが!」
そうだ、可能性は大いにある。そして、もしその予感が当たっていたら・・・このキャンプで、多くの犠牲が出るかもしれない。その光景を想像するだけで、とても怖くなった。
「あと・・・すこし・・・!」
そういうと、彼はテントの間を縫うように抜けていき、そして、辺りが開ける場所に出た。
「なっ・・・!?」
化け物が二体立っている・・・それが、僕たちの考えうる最悪の状況だった。だが、その先に広がっていた光景は・・・僕たち二人の想像とは違う、驚くべき光景だった。