始 第一話
「・・・・・・ついた・・・」
小さくそう呟くと、僕は眼前の大きな門を見上げた。北部イルビア帝国中心街・・・王都の入り口だ。
王都は、僕たちの住んでいた小屋から一番近い街から山を一つ挟むほど離れている。三日かけて、野宿を繰り返しながら・・・今日、やっと辿り着いた。
「・・・待っててね・・・母さん・・・!」
僕は王都に入ると、食べものを少量買いながら、商店街の人たちの話に耳を立てた。・・・とは言っても、聞こえてきた話は、そのほとんどが世間話。
「昨日潰れた店のオーナー、新王に逆らって国を追われたそうじゃないか。」
「そう言えば、例のあの部隊が国軍を逃亡したらしいぞ。」
「反乱軍の奴ら、すぐ近くのアス山に隠れ家を作ってるらしいぜ。」
・・・聞き分けても、情報として使えそうなのはこのぐらいだ。
(・・・アス山?)
ふと、僕はその中のアス山という単語に反応した。アス山・・・僕の通ってきた王都と街に挟まれている少し小さな山だ。僕が通ってきたときは比較的高度の低い楽な道を通ってきたが・・・
(反乱軍・・・隠れ家か・・・)
行ってみる価値はあるかもしれない。僕は、目的地をアス山に変えた。じゃあ門に戻らないと。そう思って、僕は少し狭い路地に入った。その時、
「!」
僕の目の前には、見たことのある顔と名前が記された、少し大きな貼り紙があった。そこには____
《指名手配》
キルナ・ワーカー
報酬金6000万パルタ
生け捕りのみ
という記載と共に、僕の精密な似顔絵が記されていた。
「・・・・・・・・・」
僕は、その場に硬直した。
もうこんなものまで出回っている。これじゃあいつ捕まってもおかしくない。そう考えると、無性に怖くなった。怖くて、怖くて・・・僕はその場で身震いをした。
「・・・っ・・・・・・っ・・」
震えが止まらない。自分が、これ以上ない悪逆をしているような・・・そんな気分にさえ襲われた。
「・・・怖い・・・怖いよ・・・母さん・・・・・っ!」
震える唇は、意思とは関係なく言葉を生んだ。母さん・・・その言葉が頭に反響し、そして脳のどこかを叩いた。
「っ・・・・・!」
途端に、僕の身体から震えは消えた。まるで・・・そう、母さんに抱き締められているかのように・・・不思議な安堵が僕を包んだ。
・・・うん。そうだね。そうだよね。僕が諦めたら・・・
「母さんは助からない。」
そうだ。この程度で止まれば、平穏は取り戻せない。約束したんだ。自分自身と・・・あの家に。平穏を取り戻すって。
「・・・さて、アス山だ・・・そこに行けば・・・」
何かがある。不思議と今は、そんな確信が心にあった。僕はもう一度ローブをしっかりと被り、気を引き締め直して、アス山に向かった。
ふと何処かで・・・僕の名前が呟かれたような気がした。
・・・・・・重々予想はしていた。対策も覚悟もしてきた。でも____
「やっぱり・・・キツいな・・・」
アス山は、標高856m・・・国が道として整備した、僕の通ってきた道以外は、全て獣道。急な坂も多く、登るのは大変だ。
国の兵士も、整備した道以外は通りたがらない。つまり・・・
「隠れ家にするならうってつけ・・・なのかな。」
そう、ここなら確かに、反乱軍とやらが隠れていてもおかしくはない。問題は、“何処に隠れているか”だ。
(・・・普通に道を通っていって行けるような場所にはないと仮定すると・・・)
幼いながらに、僕は自分の頭を回しに回した。
(何処か・・・隠れられそうな場所は・・・)
地図とにらみ合いながら考える。ここは・・・ここも・・・。当てはまりそうな場所を見つければ、そこを目指して足を進める。が・・・
「・・・ない・・・」
何処に隠れているか・・・全くもって検討がつかない。最後に残った予測場所は・・・
(山頂・・・・・・)
僕はアス山を見上げた。標高自体は他の山に比べてそれほど高くはない。が、やはり急な坂が多い。
(・・・・・・)
気が滅入りそうになった。でも、行くしかない。じゃなきゃ母さんを助けられない。そう考えるだけで・・・
(・・・まだ足が動く。)
僕は覚悟を決め、獣道を山頂に向けて歩き出した。
どれくらい歩いたか・・・山頂は着実に近づいている。しかし、僕の体力は限界に近づいていた。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
息を荒く、絶え絶えに、足を進める。しかし、思うようにうまく足が進まない。
「・・・すこし・・・すこし休憩を・・・」
そう呟くと、僕は近くの岩に腰を下ろした。
深く息を吸い込み、吐く。足を少し伸ばして、空を見上げる。空には、満天の星が輝いている。その星一つ一つは、今までに亡くなった人々の魂が輝きを放っているものだ。そう母さんに聞いたことを思い出す。
「・・・・・・」
僕は、少しその星空にみとれていた。この光が全部、人の魂だとしたら・・・気が遠くなりそうな時間のなかで、これほどの人が亡くなっていった・・・そう思うと、少し切なくなった。
「・・・さてと・・・」
休息も十分だ。もう一度山頂に向けて歩き出そう。そう立ち上がった時だった。
ガサッ
頭上の木の葉が、不自然に落ちてきた。
「?・・・・・・っ!」
しまった!反応が遅れた!腰に差した剣を抜くのもつかの間。僕の回りには、三人の鎧の兵士が現れた。
「・・・確かに、キルナ・ワーカーのようだ。」
「あの店の店主は、真実を述べていたようだ。」
「報酬を考えた方が良さそうだ。」
兵士たちは、兜の下で口々に言った。店の店主・・・何となくわかった。僕が食料を買ったあの出店。あの店の店主には、確かに顔を見られてもおかしくはない。
「さて・・・小僧。大人しく我らと共に来てもらおう。バレンティナ第二軍長殿が、貴様のことを待ちわびているのでな。」
一人の大柄な兵士が、僕に向かって歩み寄った。手にした大きな剣を見れば、戦っても敵わないのは一目瞭然だった。でも・・・
「黙れ!僕は、貴方達には着いていかない!」
僕は鋭く、大柄な兵士を睨み付けた。
「・・・・・・では、手荒だが無理矢理にでもつれていこう。我等はそうしても構わないと命じられている。
ようは貴様が生きていればいいのだ、小僧。」
大柄な兵士は、僕を見定めるように見ると、ゆっくりと重心を落とした。
「っぁあああああ!」
僕は地を蹴り跳ぶと、大きく振りかぶった剣を相手へと振り下ろした。
ガギィンッ
「・・・やはり子供。力が足りないな。」
大柄な兵士は、僕の一振りを容易く剣で防いでいた。そして____
「フンッ!」
ドゴッ
鈍い音と共に、僕の腹には兵士の籠手越しの拳がめり込んでいた。
「ぐっあぁ!」
僕は鈍い痛みに声を漏らした。そして殴られた衝撃で、僕は先程跳んだよりも高く宙に飛んだ。
ドサッ
勢いよく地に落ちる。打ち付けられた背中と殴られた腹の二つの痛みに挟まれながら、僕はなんとか立ち上がった。
「ふーっ・・・ふーっ・・・」
「・・・なるほど、さすがは一人で母を救おうとする男だ。子供だと侮ったが・・・これでもまだやろうとするか。ならば___」
大柄な兵士は、手にした大きな剣をゆっくりと構えた。
「殺さぬ程度に御相手しよう。貴様がまだ戦うというのなら、我等は貴様を武人と認め、相応の相手をせねばならぬ。」
先程までとは違い、その声には確かな力がこもっていた。彼は、僕と戦う気だ。
「・・・望むっ・・・ところっ!」
僕は痛みを我慢しながら、もう一度剣を構える。と___
「しかして我等を忘れては困るがな。」
目の前の兵士とは違う、少し高めの声が後ろから聞こえた。とっさに振り向くと、少し小柄な兵士が剣を振りかぶっていた。
「セイッ!」
ギィインッ
とっさに剣でガードをする。斬撃こそ防げたが、その反動で僕はバランスを崩した。
「その通り。我等は一人ではなく三人で貴様の相手をしよう。」
今度は左から声がした。残った三人目の兵士が、短剣を僕に突き刺そうとしていた。
ドスッ
「ぐっ!」
僕はなんとかガードをした。しかし、ガードをした僕の左腕には、少し大きな刺し傷ができてしまった。
「くっ・・・」
僕はなんとか体をを立て直すと、左手を庇うようにまた剣を構えた。
「まだ抗うか。」
「子供にはあるまじき精神だ。」
「普通の者ならば最早命乞いをしてもおかしくはないぞ。」
三人の兵士は、僕を囲むように立っている。普通に戦えば、殺されはしなくとも負けは決まっている。
(どうにかして・・・ここを切り抜ける・・・どうにか・・・)
考える間も無く、小柄な兵士が僕に向かって剣を振る。同時に大柄な兵士もまた剣を振り、もう一人の兵士は短剣を振りかぶっていた。
(同時にっ!?マズイっやられっ!)
僕は敗北を・・・そして死を覚悟し、目を閉じた。
____ィィンッ__
微かな耳鳴りだった。遠くで金属がぶつかり合ったような・・・
目を開くと、僕は宙に舞っていた。足の裏にジンジンと染み付くような痛みが、僕が自らの足で跳躍したことを教えてくれた。
下を見ると、三人の兵士は僕を見上げて固まっていた。今だ。僕はそう思うが早いか、剣を構えて狙いを定めた。
「やぁあああああああっ!!」
落下しながら、僕は剣を振り下ろした。ガンっと、剣を伝って腕に衝撃が走る。
__僕の剣は、大柄な兵士の兜の頂点を捉え、まっすぐに命中していた。
グラッ・・・
大柄な兵士は、脳に衝撃を受けたせいか、そのままバランスを崩し倒れた。
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」
僕の息は、丸で限界まで走り続けたかのように荒くなっていた。それを見計らうかのように・・・
「っ貴様ぁ!」
短剣の兵士は僕に向かって短剣を投げつけてきた。
「っ!しまっ__」
避けれないっ!僕は必死で防御しようと剣を握り振ろうとした。
瞬間、投げられた短剣は、鋼鉄を纏った右手に掴まれ、停止した。
「えっ____」
訳が解らなかった。突然目の前に、鎧をつけた右手が現れ、投げられた短剣の刃を正確に三本の指で止めていた。
僕は右手の持ち主を見上げた。背中になにか見覚えのある模様が入った黒いコート。少し長い一本くくりにされた銀の髪。そして腰に差された二本の剣。
“彼”は、焦りなど微塵も出さぬ凛とした後ろ姿で、僕の前に立っていた。
「・・・・・コレはまた、随分と若そうな戦士さんですね。」
振り向かぬまま、“彼”は僕に言葉をかけた。
「あ、貴方は・・・?」
「話は後です。それよりもまずは、現状を打破しなければなりませんからね。」
僕の問いかけにそう答えると、“彼”は短剣を放し、腰に差された二本の剣に手をかけた。
「きっ貴様は!あの手配書の!」
「その顔!幾度となく見たぞ!あの手配書にて!」
二人の兵士は、“彼”の顔を見ると、揃って声を荒げた。
「えっ・・・え?」
僕はなにも理解できぬまま、少しずつ意識が遠退いていくのを感じた。先程の一撃で気を使いすぎたようだ。
「・・・おや、お疲れですか・・・?
仕方ありませんね。どうぞ、ゆっくりお休みください。
目が覚めたら、先程の問いに答えましょうか。」
“彼”の優しい言葉が聞こえる・・・そう感じたのを最後に、僕は意識を失った。
「____っは!」
古布のような感触のなにかを弾き飛ばしながら、僕は飛び起きた。辺りを見回すと、同じようなベッドがズラリと並べられ、布の壁で仕切られた部屋のようなところだった。
「?・・・ここは・・・?」
「あぁ・・・起きたんだ。」
不意に後ろから声をかけられ、僕は驚きながら身構えた。
「だっ誰ですかっ!?」
見ると、傷や汚れだらけの服に、厚そうな革手袋。・・・まるで作業員のような格好をした、年の近そうな黒い髪の少年だった。
「・・・起きたんなら、兄さんに知らせないとか・・・」
少年はそう呟くと、気だるそうに立ち去っていった。
「な・・・なんだ?」
僕は寝起きもあってかこの状況もあってか、何も理解できないままだった。
少しすると、中性的な顔立ちの男の人が入ってきた。そのコートと右手の籠手、そして銀の髪から、“彼”だということが判った。
「目が覚めたようですね。
おはようございます。気分は如何ですか?」
“彼”は優しい言葉で語りかけてきた。
「は、はい・・・その・・・ここは・・・?」
僕は驚き、緊張しながら言葉を紡いだ。すると、彼は優しく笑って__
「ここは、私たちの医療用テントです。先の戦いのあと、貴方をここまで運んだんですよ。
幸い、貴方はとても軽くて、苦にはなりませんでした。」
と、変わらぬ優しい声で話してくれた。
「は、はぁ・・・」
それでも、僕はうまく理解できなかった。私たち?医療用テント?そもそも___
「そういえば、貴方の質問にまだ答えていませんでしたね。」
彼は呟くようにそう言うと、僕の隣のベッドに座り、僕と向かい合った。
まだこの時、僕は思いもしなかった。彼が、後の戦友となり、師となり___そして敵となることを。
「私はユーフィル。貴方の名前を、聞かせてくださいますか?」