49話 それじゃ、お披露目といこうか
まだ陽の昇らぬ瑠璃色の空の下、アイエスはグレイシャーのいる井戸をめざしていた。
湿気を孕んだ空気が肌寒く、吐息も白い。
結局昨日はあまり寝付けなかった。
昨日だけで様々なことがあったからだが、とりわけ気になるのがリリスのことだ。
あの鉄扉を軽々と開閉できるなんて、どう考えても彼女は普通じゃない。きっとなにか、人ならざる存在だと考えるのが妥当だ。
「おはよう。 こんな未明でも野伏の冒険者だけあって顔が締まってるじゃないか、さすがだな」
井戸から手を振っているグレイシャーは、当然だが一人だった。リリスはまだ寝てるし、リチャードは彼女についてるのだろう。
手に厚い革手袋を着けており、腰からは矢筒を下げている。
背に細長くて白い包み物があるが、彼の装備とリリスから聞いた話からしてきっと弓だ。
その大きさからして大弓だろうと思われるが、それにしたって随分と大きい。
「おはようございます、お待たせしました」
「いや、俺も今来たところだ」
グレイシャーの得物に目をやりながらアイエスが足早に駆け寄る。
「背にあるそれ、弓ですよね?」
「ああ、そうだ。 ちょっと目立つ代物だから、樹林に潜るまでは隠してるんだ」
その大きさはかなりの物であり、アイエスは興味を引かれながら目測する。
おそらくだが自分の身長と同等程度はある。
「かなりの大きさですね」
「そうか? 俺はずっとこれで狩りをしてるから、なんとも思わんが」
「私でも矢を射ることはできるでしょうが、しゃがんで射ったり、何かに隠れて射るのは難しそうです」
「それは俺でも無理だろうな。 そもそもこれは、そういう意図で作られたわけではなさそうだ」
「ん? その弓は、グレイシャーさんが買うなり作るなりしたのではないのですか?」
「違うよ。 昔、旅をするなかで拾ったんだ」
話しながらグレイシャーは歩きだした。
向かう先はもちろん樹林のなか、言われずともアイエスは理解しており、彼の後に続く。
「旅といいますと、この樹林地帯に来る前の話しですよね?」
「ああ、俺たちは元々、世界を渡り歩いてたからな」
二人はやがて樹林のなかへ入って行く。
木々に覆われてる影響で、一層と深い暗がりに包まれる。木々の隙間から空を見上げど、陽はまだまだ昇る様子はない。
背後を見ると、あの頑丈で謎めいた建物が木々のなかに飲まれ、やがて見えなくなった。
「俺たち、というのは?」
さっきの言葉に疑問を覚えたアイエスは、無意識にぼやいた。
リリスの言葉と彼女の体から察するに、きっとこの親子は血の繋がりどころか種族さえ異なるのではないか、そう思わずにいられないのだ。
「おかしなことを聞くな。 そんなの家族に決まってるだろ」
先を行くグレイシャーが立ち止り、振り向いてアイエスを見ながら呆れたように言う。
腰まで伸びた銀色の長い髪と、澄んだ青い瞳。
少なくともこの二つの記号はリリスと似ている。
――あれ?
しかしなにか見落としてる気がするアイエス。
なんだろうか、どこか既視感を覚える佇まいだ。
昨夜の妙な雰囲気をしていたリリスといい、この二人はどこかで見たような気がしてならない。
「どうした? 俺の顔に何か付いてるのか?」
「いえ、すみません! ただの考え事です」
「ふむ、考え事と言えばだが相談がある」
「なんでしょう?」
するとグレイシャーは神妙な面持ちになり続けた。
「いきなりだが、ここはもうだめかも知れない」
「本当にいきなりですね。 どういうことですか?」
「ゴブリンどもだ。 ここ最近、ゴブリンどもが日毎に数を増している」
「まあ、ゴブリンですから。 この世界のどこにでも現れるのでは?」
「いや、やつらが来るのは決まって南からだ。 それに数からして勢力はあるのに、いずれも装備してる物がなんでかみすぼらしい」
「そういえば……、確かにそれはそうかも?」
先日のゴブリン戦でもそうだった。
やつらのなかには大柄なゴブリンもいたし、子供ゴブリンもいた。それなりに恵まれた環境で生活してたのは間違いないだろう。
だがそのわりに、振り回してたのは原始的かつ粗雑な鈍器が目立った。
あの時は階級が低い故と思っていたが、貪欲なゴブリンどもが全ての戦利品を素直に献上してるなどど、どうにも想像しづらいものがある。
「これは俺の推測だが、やつらは元々、南に巣食ってたそれなりの勢力を有してたゴブリンどもだ」
「だとして、それがなぜこの樹林に?」
「南にはドワーフの鉱山がある。 やつらはもしかして襲われたんじゃないか?」
「え? ドワーフにですか?」
「そうだ。 ゴブリンどもがどうして鉄や鋼を持たないのか? 住処を襲われたのになぜ生きてるのか?」
そうグレイシャーに問われ、アイエスは自分の頭にあるドワーフの知識を総動員する。
して閃いた。
そうだ、ドワーフならば――。
「武具や道具を作るのに必要な素材を奪った?」
「うむ、では生きてるのは何故か?」
「ドワーフは元来、物を造る種族です。 狩りや戦いは本分ではありません、つまり……狩り損ねた」
「その通りだ。 あくまで推測だが、俺もそのように結論付けた」
グレイシャーは話しながら、背にある包みを下ろして布を開いていく。
どうやらここはもう彼の狩猟場のようだ。
その大きな弓を見たとき、あまりの輝きにアイエスの目が大きく見開かれる。
「それは、その弓は一体……?」
「さっきから言ってるけど、俺の得物は目立つんだ」
グレイシャーの手にあるのは、黄金に輝く大弓だ。
弦まで金糸のような光沢を放っている。
実に美しい武器だ。
まるで小さな三日月を目の当たりにしてるようで、見てるだけでも息が漏れようというもの。
「樹林のなかじゃないと、陽に反射するから眩しくてまともに扱えん」
「え? でもまだ未明ですよ?」
「未明といえども夜中じゃない。 というより、これを使うのは今頃がちょうど良いんだ」
「よくわかりませんが、すごい弓ですね。 もしやドワーフ製だったりするんですか?」
「わからん。 さっき言ったように拾い物なんだよ」
大きな弓だが、手にして立つ姿はグレイシャーの長身には似合っており、そのまま革手袋を着けた手で数本の矢を鷲掴み、一纏めに番える。
だが――。
「それじゃ、お披露目といこうか」
「……え?」
「昨日はリリスが世話になったな」
グレイシャーは謝辞を述べると、澄んだ青い瞳は鋭く閃き、真っ直ぐにアイエスを見据える。
次いで金糸のような弦を引き絞ると、ぎりりと黄金の大弓がしなる。
その鏃が群れる先にいるのは――アイエスだ。
「グレイシャー……さん?」
「だが君は一つ、大きな過ちを犯した。 昨日のゴブリンとの戦いは聞いてるよ。 君は何をした?」
「ゴブリンを、根絶やしにしました」
一気に張り詰めた空気がアイエスの息を詰まらせ、ごくりとのどを鳴らした。
突発的な出来事に自体が飲み込めない。
群れる鏃に視線が釘付けになり、思わず一歩後退りをする。
「正確には違う。 君がしたことは――」
言葉を終えるより早く、グレイシャーは弦を放す。
弦が弾けるに合わせ、黄金の大弓は金色の粒子を僅かに散らした。
して放たれた木矢の群れが、一斉にアイエスに飛びかかってきた。




