47話 根は優しい方なんですよ……たぶん
すっかり陽は落ち、開き戸から向こうには真っ暗闇が広がっている。
建物にはそれなりに人がいるらしく、あちこちの部屋から小声ながら談笑が聞こえてくる。
とりわけ際立ってるのはディーテの吟ずる詩だ。
流浪の男だとは聞いたが、独りで夜を過ごしてることから旅の連れはいないようだ。
だが彼の歌声はどこまでも陽気で、ここが人里に非ず場所だというのを忘れてしまう。
寂しさなんてまるで感じさせない、どこかの田舎町に来たと錯覚してしまうような、聞く者を安心させる不思議な歌声の持ち主だ。
「ディーテの奴、今日は一段とノリ良く歌ってるな」
「それはそうよ。 なにせ今日は綺麗なお姉さんが来たんだもん」
「あの方はここにきてどれ位経つんですか?」
「今日でちょうど一週間かしら。 魔物や獣に襲われずに、よくここまで来れたものだわ」
アイエスはリリスらの部屋にいるためか、久しぶりの楽しい夜に心が躍っていた。
木のテーブルを三人で囲い、湯気が昇るテーブルには素朴ながらも美味しそうな夕食が並んでいる。
ハーブのサラダ、チーズに干しブドウ、それから広間の暖炉でよく煮込んだ鹿肉のスープだ。
一足先に食事を終えたリチャードは、開き戸の近くに伏してずっと外を見ている。
「鹿のお肉なんて久しぶりです♪」
アイエスは至福の顔になり、スープの骨付き肉を豪快に手で掴み頬張る。
上気した赤らむ頬をはふはふとさせながら、骨にある肉を余すことなく食らってゆく。
グレイシャーはその若い娘らしからぬ食べっぷりを愉快気に眺めつつ、木のコップへ水を注ぐ。
リリスはアイエスのイメージにそぐわない食べ姿を見るに、呆れた眼差しを投げていた。
「お姉さん、体は細いのに意外といける口なのね」
「適度な空腹は感覚を研ぎ澄ましますが、今はその必要もありません。 今夜は屋根の下で寝れそうですから、たまには羽を伸ばそうかと」
「今日はリリスが世話になったようだし、遠慮なく食べてくれ」
「お肉が臭みもなく柔らかくて美味しいです。 グレイシャーさん、素晴らしい屠殺技術ですね」
「それはどうも。 君が鹿を捌く様も中々に壮観だったがな。 しかし近頃は娘がグルメでね、手が抜けなくて困ってる」
言いながらグレイシャーが憂いげな眼差しを娘に向けると、リリスはよそよそしく目を逸らす。
結局のところ、グレイシャーの言ってたあの言葉には何か深い意味があったのだろうか。
エルフのような女、言い得て妙な表現だ。
確かに自分はエルフではないし、そして人間でもないのだ。だからエルフのような女。
まるで言葉遊びだ。
「お姉さん、お肉が気に入ったみたいだし、私の分もあげるわ。 今日のお礼よ」
リリスは歯切れよく言うなり、自分のスープ皿を丸ごとアイエスに渡した。
そしてサラダを少しずつ食べる。
これまでと同じく会話をするように、口元を品良く手で隠しながら。
「え、今夜のメーン料理ですよ?」
「いいからいいから♪ 私、お肉は最近控えてるの」
「リリス、きちんと肉を食べろ」
「やーよ、まだ私にはまだちょっと血生臭いもん」
「まったく、昔はあんなに肉が好きだったのに」
グレイシャーは呆れながらも咎める様子はない。
それを見たアイエスは自分のスープ皿をたいらげ、次いで二皿目の骨付き肉に大口でかぶりつく。
緩みきった至福の笑顔が止むことはない。
「う~ん美味しい♪ 大丈夫ですグレイシャーさん、リリスちゃんはダイエットしてるだけですって」
「ダイエット? なんでまた急に?」
「ちょっとお姉さん!」
「乙女とはすべからく綺麗になりたいものです、年頃の女の子なら珍しくもありません」
リリスの年齢からして食べ盛りだとは思うが、年頃故にスタイルを気にしてるのかも知れない。
肉や脂は乙女の天敵である、少なくとも恋を患ってる乙女にとっては。
恋する乙女は誰しも綺麗になりたいと思うもの、この気持ちはエルフも人間も変わらないのだ。
得意気に乙女心を語りながら、胸を張るアイエス。
「年頃の女の子って君はどうなんだ? 見た感じ、リリスより少しだけ歳食ってる程度だろ?」
「わ、私は冒険者ですから、体が資本ですもん」
「乙女心か、俺にはよくわからん」
結局グレイシャーは諦めたようだ。
リリスもほっとしたように胸を撫で下ろしている。
当人たちには失礼だが、部外者としては面白い。
この親子のやり取りが微笑ましくて、顔だけでなく心までも緩んでしまうアイエスだった。
「それで? 君の話しとはなんだ?」
食べるのにすっかり夢中だったアイエスだが、グレイシャーの言葉に意識を改める。
温かい食事にすっかり興じてしまったが、元はといえば自分から振った話しだ。
水を飲んで姿勢を正し、恥じらいを誤魔化すようにこほんと可愛い咳払いをする。
「旅の連れとはぐれてしまって、黒い鎧の騎士なんですが、樹林で見かけてませんか?」
アイエスが言うなり、グレイシャーは苦笑いする。
それまで外を見てるだけだったリチャードさえも、
どうしてか拍子抜けた顔でこっちを見ている。
「おいおい、これはまた直球だな。 どうやら腹芸をするタイプじゃなさそうだ」
「はい? 腹芸?」
「なんでもない。 あのやたらでかくて黒銀の十字架を掲げてた“闇の権化”みたいな奴のことか?」
「間違いありません! 見たんですねっ!?」
「見たよ」
アイエスは驚きと嬉しさのまじる声で叫んだ。
闇の権化は有名なお伽噺だが、リリスに聞かせただけあってグレイシャーは話しが早い。
それも実際に見たとなれば、これ以上はない情報が入りそうだ。
「それで、騎士さんは今どちらに?」
「知らん」
「え、ええー!?」
「あんなのと殺り合えるわけないだろ。 というかあれは本当に君の仲間なのか? そもそもとしてだが、話しの通じる相手か?」
「もちろんです! 見た目は確かに酷いものですが、根は優しい方なんですよ……たぶん」
「たぶんなのか」
グレイシャーの反応は至極当然のものだ。
誰だってあの姿を目の当たりにすれば、似たような反応をするだろう。
「……で、騎士さんと会った後どうしたんですか?」
「全力で撤退戦をした」
「そんな~! 話し合えばきっと理解しあえますよ」
「それどころじゃなかったんだよ」
その気持ちはアイエスにもわかる。
自分だってあの騎士と初めて会った時は、そんなことを考える余裕もなかった。
あの戦い方を見た限りでは、とても話の通じる相手とは思えなかったものだ。
むしろ騎士から逃げ果せたこのグレイシャーは、実はかなりの熟達者なのかと思われた。
「ゴブリンどもに襲われたからな」
「……え?」
だがグレイシャーの口から続けて出た言葉を聞き、アイエスは怪訝な顔をする。
ゴブリンは確かに、ここに来るまで自分らも遭遇はしたし、魔物としてはそんなに珍しくもない。
だがなんだろう、妙な胸騒ぎを覚えてしまう。
「最近ここらに多いんだ、ゴブリンが」
そういえば樹林で遭遇した時も、リリスがそんなことを口走ってたのが思い出された。
――もしかして、またゴブリンなの?
つまり何度もゴブリンと遭遇してるということだ。
「おっと、すまないがこの話題はここまでだ」
グレイシャーが狼狽ながら目を向ける先には、見えぬ恐怖に顔を俯かせるリリスがいた。
冒険者でもなんでもない女の子ならば、いかに低級の魔物といえども恐怖するのは当然だろう。
ゴブリンとの戦闘後に見せた震えるリリスの姿が、アイエスの脳裏によぎる。
「ご、ごめんなさい。 私ってば、つい――」
「大丈夫。 あんまり好きな話しじゃないのは確かだけど、お父様がお姉さんの友達が見たんでしょ?」
「とりあえずだ、君の仲間はこの樹林にいる。 明日からここを拠点にして捜したらどうだ?」
「明日から、ですか」
アイエスは思案する。
明日の朝にでも発つつもりではあったが、樹林に騎士がいるのがわかったとなると話は変わる。
少なくとも誰かを捜すのであれば、樹林を良く知る狩人と、その飼い狼は頼りになるはずだ。
「お姉さん……!」
物憂げな顔をするリリスがアイエスの手をぎゅっと掴み、悩ましい眼差しを投げてくる。
その視線を受けとめると、アイエスは手を強く握り返した。
そうだ、自分は彼女の力になるのだと黄金の十字架に誓ったではないか。
思わず首から下がる十字架にもう片手を添える。
「わかりました、お世話になります。 明日から樹林へ行きましょう」
「そうだな。 君の仲間捜しは手伝うが、俺の狩りも手伝ってくれ」
「無論です。 一匹でも多く、ゴブリンを狩ります」
「お姉さん、ありがとう」
「助かるよ。 まあ、俺の言う狩りってのは食糧の方だがな」
明日の予定が決まった後も歓談は続く。
しばらくするとグレイシャーが立ち上がり、扉へと歩いてゆく。
開き戸近くで伏していたリチャードも立ち上がり、彼についてゆく。
「それじゃ、俺はそろそろ行く」
「お父様、どうしたの? もう寝るの?」
「夜の巡回に行ってくる。 リリス、後でお姉さんにどこかの部屋を案内してくれ」
「はーい」
「巡回までしてるんですか?」
「近頃は本当にゴブリンが出没するからな。 警戒するに越したことはない」
「食事の恩返しに手伝いますよ。 そういうのは野伏の得意分野ですし」
「大丈夫だ。 君はゆっくり休んでてくれ」
「では明日の狩りはいつ頃? やはり未明ですか?」
「そうだな。 陽が昇るより前に出たい、外の井戸で待ち合わせよう」
「了解しました」
話しを終えると、グレイシャーは間口の向こうに立って二人を見ながら扉をゆっくり閉める。
その間際、彼はリリスを見ながら口を開く。
「リリス、明日からはきちんとお肉を食べなさい」
「むぅ~」
「良いか? きちんと肉を食べないと、お姉さんみたく立派に育たないからな?」
言葉の直後、扉はばたりと音を立てて閉まる。
すると訪れる刹那の静寂。
リリスが目に見えてわなわなと震えだした。
「人の気も知らないで、全くもう……でも」
「でも?」
「一理、あるかも?」
リリスの鋭い視線がアイエスの豊満な胸に刺さる。
またも突き刺さる羨望の眼差しに、アイエスは恥じ入りながら己が胸を抱き隠す。
だがやはり隠そうとすればするほどに、その存在は強調されてしまう。
「もうやめましょうよ、この話しは……」




