46話 エルフみたいな女だな
アイエスは寝ているリリスと同じベッドに腰を下ろし、彼女の父親を待っていた。
何か毛皮らしいものを体にかけ、リリスは心地良さそうにすやすやと寝息をたてている。
開き戸からうっすら射しこむ陽光も陰り、室内が僅かにオレンジ色に染められている。
――今日はこのままお泊りかな。 どこか部屋でも空いてれば良いんだけど。
まずアイエスが考えてるのは今日明日のこと。
いくら森育ちのアイエスといえども、森の夜を単独かつ野宿で明かそうなどと考えてはいない。
夜行性の魔物や獣もいるし、ましてや今日の昼間はゴブリンや大きな狼と戦ったのだ。
ゴブリンどもは子供を残して退治したが、大きな狼に関してはまだ油断できないだろう。
見た感じではリチャードと同種族だろうから、リリスの父親に特徴や習性を聞いときたいところだ。
――とりあえず、近くまで来てるみたいだから、聞きたいことを纏めとかなきゃ。
次いでアイエスは自分が知るべきことを整理する。
大きな狼の情報、暗黒の騎士を見たかどうか、主にこの二点だ。
他にも同じ弓使いとして腕前を見てみたいとは思うが、これはどうだろうか。
母から聞いた限りでは、エルフの射的技術は人間よりも遥かに優れてるという。そうなると得るものはないかもしれない、それよりもエルフと悟られないように気を付けねばならぬだろうか。
――さっきの咆哮は狩りから戻ってきた合図らしいけど、なんだか緊張するな。 お茶会の後片付け、私がやれば良かったかも。
咆哮を一緒に聞いたディーテはそれだけ教えてくれると、その後はアイエスにこの部屋で待つよう伝え、彼自身は広間に戻って行った。
森に赴く狩人と話せば、はぐれた仲間の情報を得られるかも知れぬと気遣ってくれてのことだ。
とはいえ、その本人の住まう個室でこうして憩っているのはどうにも落ち着かない。
せめてリリスが起きててくれれば、そう思いながらアイエスは彼女の頬を指でプニッと突く。
――どんなお父さんなんだろ。
こんなに可愛い女の子がファザコンと化す程の父親となると、どんな人物だろうか。
マリアン教会の司教みたいな威厳父だろうか、それともギデオンみたいな話し易いタイプなのか、それともあの騎士のような――。
「ただいま。 リリス、戻ったよ」
ぎいと音を鳴らして扉が開くと同時、声がした。
だが声の主は見えず、変わりにリチャードがいる。
彼は扉の間口を気遣うようにして、大きな体を器用に動かし室内へと入ってきた。アイエスを見ながら、部屋の隅に敷かれた牧草にゆったりと座る。
「おかえりなさいリチャードさん、それから――」
「おや? なんだ、リリスは寝ているのか?」
してリリスの父親が部屋に入ってきた。
銀色の長髪を夕焼けに光らせ、その眩さにアイエスは手をかざして片目を閉じた。
次いで彼は肩に担いだ細長い包みを近くのベッドに下ろし、アイエスを見る。
「はじめまして、俺はグレイシャー。 そこで寝てるリリスの父親だ。 君はリリスの友達かい?」
「はじめましてアイエスと申します。 リリスちゃんとは樹林にある温泉でばったり会いまして」
「ふむ、とりあえず話の通じる相手のようだな」
「はい?」
「なんでもない、こっちの話だ」
言いながらグレイシャーは、慣れた手付きで石を打ち、ランプに日を点ける。ぼんやりとした灯りが薄暗い部屋に広がる。
そこでようやく、アイエスとグレイシャーは揃って互いの姿をしかと視認した。
「え? お父さん、ですよね?」
「そうだが?」
「随分お若く見えますが」
想像とは異なる容姿にアイエスは驚きを隠せない。
父というより兄と言った方がしっくりくる。
だけでなく、かなりの美青年だ。年齢は不詳だが。
「わんっ」
リチャードが二人の空気を茶化すように、小さく鳴いた。
狼らしからぬ犬のような鳴き声、なんだかこの場の空気を楽しんでるように思われた。
飼い主の前だからか、リラックスしてるのだろう。
アイエスがさっきまで抱いてたリチャードのイメージが、温かく溶けていく。
「まあ別に良いさ。 父親っぽくないとは、言われ慣れてるからな」
嘆息交じりにグレイシャーは続ける。
「でも俺からすれば、君だって不思議な格好をしているよ」
アイエスの全身をなぞるようにして、リチャードが視線を走らせる。
その視線は前に騎士がしてたのと同じ、自分を分析するような眼差しだ。故にアイエスは嫌悪を抱かず、堂々としている。
「一応冒険者なので、自分なりに旅に適した格好をしてるつもりです」
「首のロザリオからして神官か?」
「神官で野伏です。 弓も使いますが、今は荷物と一緒に広間の暖炉で乾かしてます」
「野伏――動き易さを重視しての服装か。 そこまで軽装だと木登りもできそうだな」
そう言われ、僅かにアイエスの心に焦燥が浮ぶ。
日常的に木登りをする種族などエルフと猿くらいというもの、まさか後者のわけがない。
こめかみに一筋の冷や汗が伝う。
「ええ、樹上にある果実を獲るのに便利なんです」
「樹上に立てば弓矢の利点も活かせるしな」
「そ、そうなんですよ! リリスちゃんから狩りをするお父さんと窺ってましたが、一見しただけでそこまでわかるとは、いやさすがです!」
「はは、俺はまだまだ駆けだしだよ。 射手はもちろん父親としてもな。 そこで一つ頼みがあるんだが」
「……なんでしょうか?」
アイエスは立ち上がって胸を張り、あくまで自然体を振舞う。だがその様こそが不自然と言わざるを得ないだろう。
明らかに疑われ、何かを探られてるのがわかり、そわそわと動揺が滲み出るのが隠せないのだ。
会話の流れからして自分の正体だろうか――。
「教えてくれ。 リリスとは温泉で会ったと言ってたが、彼女の体はどうだった?」
「体……ですか?」
「このところ思春期だからか、昔みたいに私と温泉に入ってくれなくてね。 その、なんというかリリスの体は弱い方なんだ」
娘のことを話すなり急にたどたどしくなるグレイシャーを見て、アイエスはほっと胸を撫で下ろす。
自分を疑ってるのではなく、単に娘の体を心配してのことだったのかと緊張が緩んだ。
とはいえまさかここで、それはファザコン故の照れ隠しが理由などと言えるわけもない。
「病気のことなら窺ってます。 確か、陽に当たると体に障るんですよね?」
「聞いてたのか、なら話は早い。 体に何か異変は見当たらなかったか?」
「大丈夫だと思います。 むしろあの時は、川に流された私を看病してくれたようなものですし」
「……そうか。 他には? どこか自分の体を気にしてる様子はなかったか?」
「んー、特にないです。 何か思い当たる節でも?」
「気のせいかな、最近リリスはよく、自分の胸をさすってる気がするんだ」
「う、それはその、気のせいかと。 むしろ私の体を気にしてる感じ……です」
「君の体を?」
「いえ、なんでもありません! これこそ気のせいですね!」
恥じ入るアイエスは指先をもじもしさせながら、強引に話を切り上げた。
最後のはきっと、思春期からくるコンプレックスみたいなものだ。
とはいえ病弱な娘を持つ父からすれば、心臓を患ったように見えたのかも知れない。
「あの、話は変わりますが、私からもお願いが一つあります」
「なんだ? ここに泊まりたいのか?」
「そうなんです。 かまいませんか?」
「夜の森は危険だからな。 空き部屋なら適当に好きなとこを使ってくれ。 というか、ここは別に俺の家じゃない。 好きにしてくれと言うほかない」
「そうなんですか?」
「使い勝手が良いから俺達は住み着いてるが、他の人だってそうだ。 たまたま近くを通った人が、コテージや宿のように使ってるんだよ」
「ディーテさんも?」
「あの吟遊詩人に会ったのか。 そうだ、あの男も流浪の無頼漢みたいなものだしな」
アイエスはほっと一息吐き、とりあえず今夜の寝床が確保できたことに安堵する。
とはいえ騎士を捜すので、明日は陽が昇るよりも前に発たねばならぬが。
それにこの建物の謎が一層と深まった気もする。
思いながらアイエスはグレイシャーに話し続ける。
「それから、この周辺について尋ねたいことが多々」
「ちょっと待った。 それは夕飯時で良いかな?」
「夕飯ですか?」
「もう暗くなってしまう。 その前に狩ってきた獣を捌かないとな」
グレイシャーはそれを言うと、肩越しに建物の入り口の方に目を向けた。外に狩ってきた獲物を置いてあるのだろう。
「君も一緒に食べていくと良い。 旅は助け合い、遠慮は不要だ」
「そこまでしていただいて、ありがとうございます」
ありがたい提案に感謝し、深々とアイエスが頭を垂れる。すると――。
「だがちょっとだけ手伝ってくれ。 そうだな、獲物の解体作業は君に任せたいんだが」
「全く問題ありません。 私に任せてください」
なんだそんなことか、そう思いながらアイエスは嬉々と顔を上げ、正面にいるグレイシャーを見る。
しかし彼のその目は、さっきと同様に自分を分析するような、疑いをかけるような眼差しだった。
「全く問題ありません、か。 冒険者というより森の住人――エルフみたいな女だな」




