38話 酷な真似をしますが赦しなど請いません
冒険者ならば誰もが知ってるであろう魔物、それがゴブリンだ。
人は、エルフは、この世界に生きる亜人たちは口を揃えて言う。
最強最悪の魔物がデーモンやドラゴンならば、最低最悪はゴブリンであると。
涎と異臭を散らし、他の生き物を襲って喰らう。
そして悪知恵と繁殖力に関してだけは他の追随を許さない。
ある意味では最も魔物らしい魔物ではあるのだが。
一匹見たら二十匹はいると思え、一度殺したら二度殺せ、などなど。
まるでゴキブリのような扱いを受ける魔物であり、そしてそれは間違いではない。
ラパンと同じく世界に巣食う最弱なる魔物が一種、それがゴブリンだ。
「リチャードさんはリリスちゃんの護衛を。 やつらは私が倒します」
すると人語を理解するかの如くリチャードは頷く。
よく飼い慣らされてる証拠だと、これならば大丈夫だろうとアイエスの口角がくすりと結ばれた。
すぐさま周囲に浮かぶ眼光を見渡し、ゴブリンどもの数を確認する。
茂みの中と木陰にちらほら、樹上には見当たらず、雨音に耳を澄ませど背後に潜んでる気配もない。
どうやら正面に見えるのが全てのようだ。
合わせて十匹。小さな眼光もあるが子供だろう。
つまり狩るべきは九匹、そう判断したアイエスは無意識に戦況を算段する。
――筒にある矢は五、番えたのを合わせても六。
明らかに矢の数が不足している。これでは白兵戦を余儀なくされるだろう。
並の射手や神官であれば、魔物の群れと白兵戦をしようなど愚行にも等しい。
それが駆けだしの冒険者となれば尚更というもの。
「では――参りましょうか」
だが狩猟に関してのアイエスは歴戦の手練れと称してもなんら過言はない。
幼き頃は森で魔物を狩りたて、つい最近では廃城でオークとも短剣で対峙してみせたのだから。
旅の知識こそ浅いのは否めないが、獲物を狩るとなれば、小さな女の子を守るためならば、これ以上の見せ場はないだろう。
アイエスは構えし弓矢を僅かに下げ、駆けだした。
降りだした雨はまだ弱く、この程度ならばなんら影響もない。
ゴブリンどもは獲物を見るなり一斉に姿を現す。
そしてすぐさま一匹のゴブリンがアイエスを目指して我先にと走りだす。
他のゴブリンも遅れまいと、茂みから葉を散らし、或いは木陰から飛びだし、先の一匹を追う。
手にした石器や棍棒、粗雑な得物を見る限りどうやら下級のゴブリンらしい。
階級の高いゴブリンならば、多種族から略奪した戦利品を身に付けてるからだ。
「まったく、ゴブリンを見ない季節はないですね」
やつらは涎を散らして下卑た唸りをあげ、呆れるアイエスに視線を注いだまま真っ直ぐ走ってくる。
当然だろう、最高に美味しそうなご馳走が自ら駆け寄って来てるのだから。
ゴブリンどもにとって、多種族の生き物など全て餌に過ぎない。
とりわけどの種族も雌は美味い。
非力で、柔らかくて、なかでも甲高い悲鳴などは実に心地良いものだ。
「ゴブ♪ ゴブゴブ~♪」
先頭のゴブリンが血肉の宴を妄想しながら、鼻唄まじりに石器を振り回す。
離れにいる狼だけは気がかりだが、こっちに来る様子はない。どうやら背後の娘を守ってるらしい。
ならばまずは、あの金髪の娘から喰らってやろう。
自分らの強さを目の当たりにすれば、きっとあの狼も逃げだすに違いない。そうしたら外套を着た娘も喰らってやる。
「――とか思ってるんでしょ? させるものですか」
しかしアイエスにはゴブリンどもの短絡的な考えなど全てお見通しだ。
よって彼女が考えてることは、如何に格好良く――ではなく、如何に効率良くゴブリンどもを駆逐するかである。
「しかしやはり臭いですね。 この血と肉の匂いは」
あまりの異臭に思わず顔をしかめるアイエス。
ゴブリンどもが忌み嫌われる理由の一つがこれだ。
喰らった獲物から付着した血肉、その強烈な臭い。
身を清める習慣などないのだろう、近付く程に集中力を削がれてしまう。
意図してのことならとんだ迷惑な小細工である。
ゴブリンなどいくらでも狩ったことはあるが、正面からこんな多勢とぶつかったことはさすがにない。
数が多ければ必然、それだけ悪臭も濃くなる。
――確か、母さんがゴブリンと戦った時は……。
そこでアイエスは、かつて見た母のゴブリン狩りに倣うことにした。
まず先頭を走る一匹に目星を付ける。体格や筋肉はゴブリンとしては中々のものだ。
そのゴブリンに狙いを定め、弦を引き絞る。
駆け足を緩めることなく、狩人らしい鋭い眼光で標的を見据え、矢を放った。
一矢、その直後にもう一矢。間断なく放たれた二本の矢が空を切る。
鋭く削がれた木の鏃が向かう先は、瞳孔のない虚ろなゴブリンの眼だ。
「……ッゴ! ゴブ~ッ!?」
直後、左右の眼球と視界を奪われたゴブリンは足を止める。
そして手にした石器を足元に落とすなり、ぺたぺたと己が顔面を触りだした。
眼窩から溢れる温かい鮮血に触れるなり、その指先が震えだす。
「???」
きょろきょろと周囲を見渡せど、何かが見えようはずもない。果てなき暗黒の世界が広がるばかりだ。
眼球を潰された痛みすらも消しうる程の恐怖と不安が、ゴブリンの心に這い寄る。
だらだらと脂汗を流し、全身が震え始めた。
「ゴ……ブ?」
だが戦況とは不待なるもの。
かのゴブリンの背後には、本能を剥きだしに走る同族どもが続いている。
同族どもは気にもしないだろう。
別に仲間が殺されたわけでもない、手足を切り落とされたわけでもないのだから。
金髪の娘が矢を放ったかに思われたが、あいつは死んじゃいない。つまり外したのだ。
なのにあんな美味しそうなご馳走を前にして、なにを呆けているのか。
獲物を目の当たりにしたゴブリンどもが、仲間をよく観察して忖度するなど到底無理な話なのだ。
「あまり気は進みませんが、あれをやらねばなりませんね」
そして既にもう、アイエスのなかでは戦闘の工程など組みあがっている。
走りながら弓を背にし、アイエスは大きく息を吸って呼吸を止め、盲目なゴブリンへと近付く。
多少ぬかるんだ程度では足音すらたてない。そして速度も落とさぬ辺り、さすがはエルフの足運びといったところか。
ゴブリンという魔物は大きな生き物ではない。
間近にいる盲目のゴブリンは比較的大きい方だが、それでも小柄なアイエスと然程の身長差もない。
覚束ない様子で手足を彷徨わせる盲目のゴブリン。
かのゴブリン越しにたくさんのゴブリンどもが迫っているのがわかる。
数は八匹、その向こうに子供ゴブリンが頭上で手を叩いて声援を送ってるのが見えた。
やがてゴブリンどもが押し寄せ、アイエスを囲おうとするその刹那のことである。
アイエスは盲目なゴブリンの耳元に口を近付け――
「きゃあああああああああああああ!!!!」
大声で叫んだ。
肺に溜め込んでいた空気を、腹の底に力を込めて一気に搾りだす。
甲高い耳をつんざくほどの、悲鳴とも騒音ともとれるような大声だった。
周囲のゴブリンは突然の大声に驚き、ほんの数秒だけだが時が止まったように静まり返る。
「☆★☆っ!!」
だがそんななかで唯一、慌てふためいたのが盲目のゴブリンだ。
視界が暗転してから今度は突如の大音響に襲われたのだ、パニックになるもの当然というもの。
しかも耳元で聞こえたのは、ご馳走が叫んだとしか思えない極上の悲鳴である。
「ゴブーッ! ゴブゴブ、ゴブッ!」
鼻をひくつかせる盲目のゴブリン。
なるほど、確かに近くには雌の香しき匂いが漂ってるではないか。
盲目のゴブリンはいても立ってもいられず、足元に手を這わせ、地面をぺたぺたしながら落とした石器を手にする。
そして同族の異臭に埋もれる美しき獲物の匂いを嗅ぎ分け、全力で石器を振り抜いた。
――かに思われたが。
「酷な真似をしますが赦しなど請いません。 あなた方が私たちを喰らおうとするなら、全力で排除するまでです」
「??」
だがそこに獲物は在らず。
アイエスは風に踊る落ち葉の如く、ひらりと避けてみせる。
正面からの大振りな一撃など、エルフの血を引く俊敏なアイエスが浴びるはずもないのだ。
それどころか、アイエスの言葉が盲目のゴブリンに届いてる様子もない。
しかしそれとは別の、確かな手応えを盲目のゴブリンは感じた。
「ンゴッ……。 ゴブ、ブブブ」
いびきのような声を漏らし、一匹のゴブリンが地面に倒れた。
砕かれた頭蓋からおびただしい血飛沫と脳漿を散らしている、即死だろう。
盲目のゴブリンが石器を引き上げると、粘ついた血の糸がびちゃりと引かれる。
その感覚に何を勘違いしたのか、盲目のゴブリンはにたりと狂喜の笑みを浮かべ、傍らに倒れる仲間の死体を滅多打ちにする。
「ゲッゲッゲッゲッ!!」
愉快そうに大笑いしながら、何度も何度も何度も。
肉を叩き、血を飛ばし、骨を粉砕し、それでも手を止めることはない。
本人としては獲物の死体をいたぶってるつもりなのだろう。
その現状を見るに、アイエスは胸に込み上げてきた甘酸っぱいものを懸命に堪えるばかりだ。
「フュ~! フュ~! ゴブー!」
するとしてやったりとばかりに、盲目のゴブリンが息を荒げながら手を止め、血塗れの石器を掲げた。
滴る血にぺろりと舌を這わせど、視界なき故かそれとも興奮状態だからか、それが仲間のものだと気付く様子もない。
瞬間、変わり果てた二匹の仲間を見るなり、ゴブリンどもは叫び散らし錯乱状態に陥った。
この状況に至り、ようやく先駆けた仲間が両目に矢を受けてることを知る。
さりとて忖度などできる種族ではない故、ただただその狂喜に戸惑うばかりだ。
「ゴブ! ゴブゴブゴブ!」
「ゴブー! ゴブー!」
「ゲッゲッゲッゲッ!!」
しかし盲目のゴブリンには、仲間の悲鳴すらも届いてる様子がない。
さきのアイエスの絶叫でとうに耳がバカになっているのだ、使い物になるわけがない。
今や盲目のゴブリンは獲物の香りに拐かされ、敵味方を無差別に殺戮する本能の塊である。
つまるところアイエスは、一匹のゴブリンを狂戦士へと仕立てたのだ。




