32話 私が死んだら、誰があなたを止めるのですか?
朝食は速やかに済ませた。
とはいえメニューはラパンの丸焼きだ。
年頃の娘であるアイエスが食すには些か恥じらいが伴い、騎士の視線を気にしながら少しずつゆっくりと摂った。
おかげでろくに会話などあるはずもない。
一方の騎士はラパン肉を千切ると次々に面甲のスリットへ放り、不気味な暗がりの闇に飲まれていく。
やがてラパン肉の最後の一片が黒兜に消えた。
食べ終えた騎士は空を見上げて太陽の位置を確認すると、行き先を定めてすぐさま歩きだした。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
まだ食事中のアイエスは慌ててあちこちに落ちてる木の実を収穫し、殻のまま腰に下げたザックへと乱雑に入れていく。
きちんと整理したり、手持ちの食糧を確認する間すらない。
そして片手にラパンの丸焼きを持ったまま、騎士を追いかける。
「まだ短いですけど、一緒に歩いてきた旅の連れじゃないですか!」
「知るか。 お前が勝手に付いて来ただけだ」
「それは、確かにそうですけど」
アイエスは身も蓋もない騎士の言葉に頬をぷくりと膨らませ、ムスッとしつつ足早に駆け寄り隣に並ぶ。
黒鎧の大きな影に飲まれぬよう、位置に気を付けながら。
「それで、なんで南を目指すんですか?」
「世界の傷跡を見るためだ」
「……世界の、傷跡?」
復唱しながら空を見上げども、アイエスに答えなどわかろうはずもない。
視線を黒兜にちらりと移せど、騎士は淡々と歩を重ねるばかりだ。
朝食が済んで獲物を狩る必要がない為か、規律的に草を踏みしめる足音を立てている。気配だってある。
今の騎士は、威風堂々と威迫を散らす覇者の如し。
事実、騎士がこうしてる間は予期せぬ遭遇はない。
己の力の振舞い方をよく心得てるようだった。
「そういえばお前、その妙な格好はなんだ?」
騎士はふと、進行方向を見定めたまま問うた。
ラパンの丸焼きをかじっていたアイエスは疑問を受けるなり、じいっと訝しむ目を返す。
そして食べていた肉をごくりと飲み込むなり、口を開く。
「正直、あなたにだけは言われたくないんですが」
「それもそうだな」
それきり騎士が問う事はない。
それはつまり、あの黒鎧について問い返されたくないのだろうとアイエスは黙して察する。
とはいえこの神官服はある意味、自分の決意表明みたいなものだ。
少なくともこの騎士には正体が知れてるし、焦らす必要などないだろう。
そこで――ギデオンとリンと冒険をするに際し、きちんと話し合っていたのを思い出す。
「この服は私が神官になったのと……あ、神官というのは人間たちの職業で――」
「知っている」
「あれ、ドワーフだけじゃなくて、人間の文明にも精通してるんですね?」
「…………」
「とにかくそれで神官らしく純白な衣装、なおかつ戦いや狩りにおいて動き易さも欲しかった、その結果がこれです」
答えると騎士は立ち止まって、嬉々と微笑むアイエスを見下ろす。
釣られてアイエスも立ち止まる。
黒兜が自分の全身をなぞるように見取るが、不思議と嫌悪感は抱かなかった。
きっと騎士が純粋に神官服の合理性に興味を示したからだろうと、アイエスは推し量る。
「どうですか?」
その場で翻り、腰の後ろに付した矢筒とザック、それから背にある木弓を見せる。
もっとも弓と矢を自作してるところは見られてるので今更だが。
陽光を浴びて輝く金色の長髪を微風に流し、すらりとした手足は健やかで実に魅力的だ。
これで手にラパンの丸焼きがなく、街道だったならば多くの男が振り向いただろう。
「それと、これが神官の証です」
次に首から下げた金色の鎖を引き、豊満な胸に乗る黄金のロザリオをつまむと、これみよがしに掲げて見せる。
ふふんと得意気に微笑むアイエス。
とにかく彼女が騎士に伝えたかったのは、戦力としての自分だ。
マリアン廃城への冒険時、ギデオンとリンと自分はそれぞれの特技や戦力、そして限界を把握していたのを思い出したのだ。
今の自分は戦える戦士だ。野伏で神官なのだ。
確かに地下墓地では気絶してる姿を見られはした。
だが少なくとも、前に助けてもらったような泣きじゃくるだけの自分じゃないのだと言いたかったのだ。
「……いかがです? 治癒や守護の魔法だって使えるんですよ? 騎士さんの強さは重々に承知ですが、私だってきちんと努力はしてます!」
アイエスがロザリオをかざしたまま得意気に背を反らすと、豊かな胸がぷるんと揺れる。
騎士は何かを考えるように、黙したままアイエスを見下ろす。
「はっ、ご自慢の魔法で私を止められるとでも思っているのか?」
「もちろんです。 廃城の地下墓地ではデーモンの攻撃すら防いで、仲間を守ったんですから!」
ここぞとばかりにぷるんと胸を張るアイエス。
その言葉に嘘はないが、そもそもとしてこの騎士はそのデーモンに圧勝している。
しかし彼女にとっては仲間を守ることが戦いである故、殲滅力などには大して関心がない。
「その仲間はどうした?」
「……? 聖都マリアンにいますが?」
「バカが」
「い、いきなりバカとはなんですか!」
「なぜそこに留まらなかった?」
「なぜ?」
「仲間とは大剣の小僧と細剣の女のことだろ? あの二人はお前の正体を知っている。 それでもお前を守ろうとした、なぜ離れた?」
「そんなの――あなたの蛮行を止めるからに決まってるじゃないですか」
譲らず、黒兜を見上げてはっきりと述べた。
安らかに落ち着きの払った、柔らかな声音で。
されどもその言葉は微風に流されることなどない。
金色の凛とした眼差しは、彼女の射る矢よりも真っ直ぐに騎士へと向けられている。
「私と戦う気か? ……死ぬぞ?」
鬱蒼とした低い声がアイエスの決意を揺さぶる。
黒兜に眼光が閃き、彼女の全身に恐怖が走り背筋が震える。
陽が陰り、さわさわと肌寒い微風が吹き寄せ、大気が震えてるような錯覚を覚えた。
ごくりと唾を飲み、その眼光を懸命に睨み返す。
「死にませんよ。 私が死んだら、誰があなたを止めるのですか?」
「愚かな、お前如きに私は止められん」
「止めてみせます! もう、あんな惨たらしい命の散り際は見たくありません!」
「ならば――私を滅ぼすことだ。 それこそが唯一、私を完全に止める方法だと知れ」
「……」
静まり返った平原のなか、騎士は黙して歩きだす。
アイエスもまた淡々と騎士に続いた。
今の自分ではどんなに言葉を返そうが、説得力など微塵もない。
なれば行動でもって己が意思を貫くのみだ。
意思だけは負けまいと、アイエスは勇み足で騎士の隣に並び、歩き続けた。
この日は湿った冷たい空気に包まれ、梅雨を予感させる一日となった。
しばらく似たような日々が続いた。
ひたすら南へと進み、少ないながら言葉を交わし、時々だが衝突を繰り返す。
結局、アイエスが暗黒の騎士についてわかったのは僅かなことだけ。
日が昇るより早くに目覚め、日中はひたすら歩を重ね、日が沈めば眠りに就く。
食事は一日三食を欠かすことなく、狩った獲物や収穫物を余すことなくペロリと平らげる。
地図やコンパスがなくとも足取りに迷いはなく、地理や方角に関する造詣が深い。
どころか異種族の文化や魔物の習性など、様々なことに博識だった。
要約するとこの騎士は、規律的で、知的で、何事にも不退転だということ。
つまりアイエスはまだ、この騎士自身のことが何もわかってないも同然なのだ。




