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終末世界のダークナイト  作者: さくらつぼむ
聖域の守護者
30/57

29話 そして少女は荒野へと(後)

 されるがまま手を引かれたアイエスは今、聖都を出て広原を颯爽と駆け抜けている。

 今視界に入るのは、風に撫でられさざめく草原。

 時々吹く微風が緑一面の草を躍らせると、仄かに新緑の香りを運んでくる。

 それと、もふもふ温々ぬくぬくとした茶色い毛並が心地良い。

 彼女は今、角を生やす大きな獣の背に乗っている。

 目先では大剣を背にしたギデオンが獣の首根っこあたりに座し、彼の肩を抱くようにリンが背後に座り、更にその背後にアイエスはいた。



「で、鹿ですか?」

「うん。 鹿でした」 



 鹿といえば可愛いイメージが付き纏うが、実際はその限りではない。

 アイエスを含める三人を背にしながらも、それを苦にせず足早に草原を駆け抜けていく。

 彼女の長い金髪が風になびいてることからも、かなりの速度に達してると思われる。

 実に巨大な鹿だ。

 頭高だけでも二メートルはある。

 頭から尾に至っては三メートルを越えるだろう。

 鹿の中でもとりわけ巨躯とされるヘラジカだ。



「アイエスさんを担いで帰還してる時にさ、林でたまたま怪我してるのを見かけたから、休憩がてら応急手当てしたんだよ。 それ以来懐かれてな」

「たまたまで手懐けるって、すごいですね」

「ははは。 一刻も早くマリアンに帰ろうと思ってたから渡りに船だった。 案外成せば成るもんだぜ」

「その、今回は色々とありがとうございます」

「何言ってるんだ。 感謝するのはお互い様だろ」



 ギデオンは真っ直ぐ進行方向を見据えたまま、背中越しにアイエスと言葉を交わす。

 話では暗黒の騎士から派手にやられたと聞いたが、今の彼は存外にも機嫌が良さそうだ。

 依頼の成功と全員の無事もあろうが、この大鹿を手懐けたのが影響してるのだろう。

 さっきから首下を撫でたりして、やたらに可愛がってるふしが見られる。



「この鹿さん、私たちを送ってくれた後、林に帰らなかったんですか?」

「ああ、だから今もこうしてる。 たぶんはぐれ鹿だろ。 この辺りでこんな大鹿見たことないし」

「名前とかあるんですか?」

「エルクよ」



 応えたのはギデオンではなくリンだ。

 彼女もまたエルクの毛並を撫で、家畜や道具とはまた異なるペットに接するかのように愛でている。



「そういえば、何処に向かってるの?」



 ふと、今更ながらアイエスは問うた。

 ギデオンとリンに迷ってる様子は見られず、大鹿もただ真っ直ぐひたすら駆けている。



「あの林だ。 あいつを追うんだろ? ならきっと、林のどこかに――」



 ギデオンは続けた。

 あいつとは、言うまでもなく暗黒の騎士のことだ。

 彼の推測を聞けばどうやら、いかに不気味な騎士といえども、中身は決して幽鬼の類ではないはずだと。

 その理由は、あの騎士の戦闘スタイルが実に生々しいからだ、と彼は結論付けた。

 その仮定を汲むならば当然、食事や睡眠を要するはずである。



「――だから俺が思うに、動物か魔物の巣穴で休んでるんじゃないか?」

「なにそれ、ほぼ勘じゃない」



 ギデオンの考察にリンが首を傾げる。



「脳筋の勘なんて、あてになるのかしら? 怨霊騎士ゴーストナイトとかの可能性だってあるじゃない」

「あのなあリン、今のは大真面目な意見だぞ?」



 リンは茶化すような笑みでギデオンの頬を指先でつつくも、彼は訝しい目で進行方向を見るばかりだ。

 だけどもアイエスは、ギデオンの言葉に妙な説得力を感じていた。



「ギデオンさん、その理由お聞かせ願えますか?」

「そうだな。 でかくて目立つし、デーモンを単騎で倒すとかありえない、ありゃ名だたる勇者にも匹敵する強さのはずだ。 なのにちっとも名が知られていない、恐らく人目を忍んで生きてきたんじゃないかと思うんだ」

「男の勘ってやつ?」

「むしろ戦士の勘だな」

「でも、ギデも思い出さなかった? あの詩を――」

「ああ、闇の権化か」



 戦死者の魂が込められし漆黒の重鎧

 その不気味な騎士こそは

 約束された終末を果たすべく

 世界を彷徨い続ける



 思わずアイエスは、かの詩を思い出す。

 以前リンから聞いた時こそ微妙なちぐはぐ感を覚えたが、ギデオンの推測を聞いた今では、不思議と得心が得られた。

 ならば、とアイエスはその勘を信じることにした。

 世には様々な勘がある。

 女の勘やエルフの勘があるのならば、戦士の勘とやらだって信ずるに値するはずだ。



「良いですね。 ギデオンさんの勘を信じることにしましょう」

「え、アイエスちゃん本気?」

「だよな、そう来なくちゃ面白くない。 あいつに会ったら『次会ったら一発かましてやる!』と伝えといてくれ」

「いやいや、どう考えても無理でしょ」

「良いんだよ! 目標ってのは高い方が良い!」



 二人のやり取りに思わず、くすりと笑みをこぼすアイエス。



 その後アイエスは道中にて、それとなくギデオンにも己が出自を打ち明けた――。

 際してリンが何も言わず手を差し出し、自分の手を握っててくれてたのは心強かった。

 聞いたギデオンは全く気にした様子もない。

 ただ「また一緒に冒険しようぜ」と言ってくれた。

 その言葉がアイエスには嬉しかった。



 しばらく雑談にふけ、エルクの駆け足に揺られ、やがて林へと辿り着いた。

 木々の隙間から空を見上げれば、まだ陽が昇りきっていない。

 まさか昼前に走破しようとは、大鹿の脚力はさすがの一言に尽きる。



「それでは行きますね」



 アイエスが軽やかな身のこなしでエルクから降り、落ち葉や小枝を踏み鳴らす。

 続けて不慣れながらリンも降り、地を踏みしめる。

 ギデオンはエルクに跨ったままザックから木の実を取り出して、彼の口先まで手を伸ばし、器用に餌付けをしている。



「ねえ、一緒に探そうか?」

「大丈夫です。 ここから先は、私が一人でやらねばなりません」

「そうは言ってもな、ルーン・ベアだっているぜ?」

「心配いりません。 木々がひしめく中で、エルフがそう易々と捕まるものですか」



 指を立て、二人の好意をやんわりと断り、アイエスは己の装備を再度検める。

 神官服一式、矢筒、ザック、胸に忍ばせた短剣。

 弓と矢はなに、またぞろ林で作れば良いだけの話だ。

 次いでエルクへと近付き、遅れた挨拶をする。



「どうもエルクさん、ありがとうございました」



 つぶらな瞳を閃かせるエルクは木の実を食べるのに夢中で、アイエスは彼の大きな額を優しく撫でた。

 すると彼は「おえっふ!」と酔っ払いみたくノドを鳴らした。

 それだけでもかなりの迫力なのだが、その付近からギデオンの逞しい腕が差し出される。



「アイエスさん元気で、また会おう」

「ええ、もちろんです」



 アイエスはこくりと頷き、その手を強く握ってしかと握手をした。

 次にリンが慈愛の眼差しで自分の方を見て、両手いっぱいに腕を広げる。



「ねえ、ハグしよ?」

「……はい!」



 リンの胸に飛び込むように駆け寄り、互いの体を力一杯抱き締める。

 こんなに全身で温もりを感じたのは、もう随分と久しぶりだ。

 アイエスは我が身を包む温もりが心地良くて、ついつい表情が緩んで彼女に甘えてしまう。

 はたして今の自分はどんな顔をしているのか、恥ずかしいばかりで想像もしたくないものだ。



「あーあ。 せめて何日かだけで良いから、一緒に過ごせたら楽しかったのに」

「ごめんなさい」

「温泉で冒険の疲れを癒したり、一緒に女子会で美味しいものとか食べたかったな」

「では、次に会う時は必ず」

「言ったわね? 必ずよ?」

「約束しましょう」



 言ってリンは体を離し、楽しい絵空事を想像しながらアイエスの手を取って互いの小指を結ぶ。

 思わずはっとするアイエス。



「もしかしてこれは、指切りげんまんというものですか?」

「あら知ってるの?」

「母から聞いたことあります。 人間界の文化は父が色々と教えてくれたんだと」

「うふふ」

「どうしました?」

「んーん。 アイエスちゃん見てると、人間とエルフの不仲なんて嘘じゃないかーって思えてくるの。 きっと素敵な夫婦だったんだね」



 リンは小指を結んだ手を何度かリズミカルに揺らすと、離れてギデオンへ駆け寄る。

 そしてアイエスへ向き直り、背を反らして程良く育った胸を上機嫌に張る。



「ま、私たちも負けてないけどね?」

「なにがだ?」

「なんでもない」



 エルクを愛でていたギデオンが首を傾げる。

 それを見たアイエスがくすくすと可愛い笑みを浮かべた、その刹那――。



 落雷したかのような轟音が林中に響き渡った。

 エルクがこの場から逃げようと暴れだし、ギデオンがなんとか落ち着かせる。

 木々は揺れ、ざわめき、鳥たちは一斉に飛び発ち、林が騒ぐ。

 さながら予期せぬ災厄に見舞われたかの如くだ。

 さりとてこの轟音の正体に気付かぬ三人ではない。



「やはりいるな、俺の勘も中々じゃないか」

「となると、本当に怨霊とかじゃないってこと?」

「そうなりますね。 その手の魔物はその地に自縛されてるので、自由に闊歩できませんし」

「信じられない。 あの黒い鎧の中身って何なの?」



 三人で話しながらも、アイエスの足は無意識に音のした方へと動き出した。

 心に湧く衝動に突き動かされ、彼女は二人へ背をむける。



「それではもう行きますね。 二人共お元気で!」



 返事を待たずにアイエスは駆けだす。

 かさかさと落ち葉を散らしながら。

 そして二人が言葉をかけようとするなり、彼女の足がぴたりと止まって振り返る。



「そういえばですけど、二人の男女が露店で食べる美味しいものってなんですか?」



 はつらつな笑顔で質問を投げるアイエス。

 あまりに意図の読めない問いに、疑問符を浮かべるしかないギデオン。

 一方のリンは気にした様子もない。



「クレープ! 少なくとも私とギデは好き!」

「わかりました! ありがとうございます!」



 リンが答えを叫ぶと、アイエスは短くお礼を言って駆けだした。

 林道に溶けていく彼女の力強い姿を二人は見守る。



「とにかく怪我すんなよー!」

「元気でねー!」



 言葉が終わる頃にはもうアイエスの姿は見えない。

 はたして二人の声援は聞こえていたのか、それからクレープというものを彼女は知っているのか。



「アイエスさん、行っちまったな」

「うん。 あの騎士とどうなるかわからないけど、アイエスちゃんならきっと大丈夫よね」

「ああ、野伏で神官とか生存力かなり高いだろ」

「もう〜、そういう戦力的な意味じゃなくてさ」

「なんだよ?」

「去り際にクレープのこと聞いてきたんだよ? きっと人間界とかその他諸々、全部楽しむつもりなのよ」

「生き方を楽しむ、か……」

「アイエスちゃんにとって人間界は未知の領域だし、世界を旅するのなんて正に冒険じゃない」

「そうだな……よし、決めた」

「何を? 急にどうしたのよ?」

「リン、大事な話しがある。 結婚を踏まえたうえで、俺たちのこれからについてだ」

「……ギデ、うん♪」



 ギデオンとリンは口々にアイエスの事や二人の将来について語り、大鹿に乗ってゆっくりとこの場を後にした。






 アイエスが轟音のした方角へ駆けてくと、巨大な何かが地べたに転がってるのが見えてきた。

 次第に近づくにつれ、それは徐々にはっきりとした姿を現わす。



「……え?」



 遠くから見たアイエスはその光景が信じられず、思わずぽかんと口を開いた。

 枯葉色の体毛、大木みたいな体躯、そして全身に血管のごとく奔るルーンの明かり。

 ルーン・ベアがいるではないか、ただし半身が地面にめり込んではいるが。

 しかも口から泡を吹いている。

 目を疑うとは正にこのこと。

 視線を注ぎながらその場に着くと、ルーン・ベアはぴくぴくと痙攣してるのがわかった。

 こんなバカげた真似ができるのは、どう考えてもたった一人、いや一騎しかいないだろう。



 念のために周囲を見渡し、長耳を澄まし、辺りに群れ仲間がいないか確認する。番い相手がいれば興奮状態で襲って来るやも知れぬからだ。

 今のアイエスは弓矢を持ち合わせていない。

 ルーン・ベアと短剣でまみえようなどと、愚の骨頂でしかないのだから。



 どうやら周囲に仲間はいないようで、アイエスはほっと一息吐いて胸を撫でおろす。

 その瞬間、彼女の全身を隠しうる程の巨大な影がぬうっと背後から伸びてきた。



「…………」



 息が詰まる。

 影は当然のごとくアイエスを飲み込み、どころか周囲にも闇を落として暗がりにする。

 彼女は思わず唾を飲み、ごくりとノドを鳴らした。

 いる。背後に。あの騎士が。

 足音も気配もしなかった。

 まるで亡霊やら怨霊にしか思えない、リンの言い分は言い得て妙だった。



「……なにをしている?」



 あの夜と同じ、低く不気味で鬱蒼とした声が背後から投げられた。

 心地の良い日和はどこへやら、早くも恐怖で身の毛がよだつ始末だ。

 アイエスは身体が震えるのはどうにか堪えたが、しかし唇だけは震えてしまっている。



「え、えと、その……ですね」



 そして口をもごもごさせ顔色を蒼白くしながらも、なんとかゆっくりと背後を振り向く。

 あの夜の出来事が走馬灯のごとく思いだされるが、それを懸命に払拭する。

 そして振り向いたそこにいたのはーー



 巨大すぎる漆黒の重鎧を纏い、闇夜のごときマントを翻し、その手には十字架の巨大な黒銀盾。

 暗黒の騎士が城のごとく聳えていた。

 黒光りする装甲にアイエスの姿が映る。

 圧倒的すぎる存在感の前では、あまりにも小さすぎる自分の体。その映り身を見てアイエスは気を強く持ち直す。



「あなたに、言うべきことがありまして」

「何用だ?」



 かの鎧に映る自身、交わされる言葉、やはりこの騎士は幽鬼の類ではない。

 バカみたいな話だが、こうでも思わないと平静を保っていられないのだ。

 それ程までに、この騎士の存在は常軌を遥かに逸している。

 アイエスはまたぞろごくりと唾を飲むと、深々と騎士に頭を下げた。



「あの夜は助けて下さり、ありがとうございました」



 そして頭を上げ、そのまま騎士の黒兜を見上げると、窺い知れない不気味な眼光に見下される。

 するとやはり恐ろしい。

 こうして視線を合わせていられるのも、さっきリンとハグした温もりを覚えてるからだろう。

 温もりは触れる者を強くする。

 だからこうして騎士と向き合えてるのは、あの二人のお陰なのだ。



「は、随分と律儀なエルフがいたものだ」



 騎士は淡々と吐き捨て、そのまま音も立てず、風が流れるかのごとく進みだす。

 立ち尽くすアイエスの横を抜け、己が進む先に視線を見据えたまま。



「言いたい事はそれだけか?」



 背中越しから騎士は問うた。

 感情のない淡々とした声音で。

 答えるべく、アイエスは騎士へ体ごと向ける。



「助けられた身として、感謝も述べずにのうのうと生きるのは恥ずべき事と思いまして」

「エルフの矜持とやらか」

「いえ、私はエルフと人間のハーフです。 ですからこれは私自身の矜持です」

「混血か。 せいぜい命に気を付けるんだな」



 騎士はそれだけを告げ、音もなく進んでゆく。

 アイエスは先を行く騎士を逃さんとばかりに、そそくさと早歩きで追いかける。



「待ってください!」

「断る」

「まだ言いたい事があります!」

「知った事か」

「あなたには感謝してますが、絶対にやり過ぎですよ! あの夜はもちろん、地下墓地での事も聞いたんですから!?」

「だからなんだ」

「だから、その、ですね」



 騎士の淡々とした返事にアイエスは困り果て、口ごもってしまう。

 彼女は気付いてるだろうか。

 今や心から恐怖は去り、思いの丈を騎士へとぶつけてる事を。

 そして今しがた思いつきが湧いたのも、本来の在るべき己を思い出したからだろう。

 はっとした面持ちになるアイエス。

 首から下げ、豊かな胸の上で光るロザリオを強く握り、決意を固める。

 そしてーー



「これからずっと、あなたの暴虐な振る舞いを止めてみせます」



 きりりと強い目力で騎士を見上げるアイエス。

 だが騎士は意に介さず、変わらず行く先を見つめるままだ。



「やってみろ。 せいぜい置いてかれないようにする事だ」

「ええ、是非そうしますとも!」



 騎士は進む速度を一向に緩めない。

 アイエスもふふんと得意気に体を反らし、豊かな胸を張り、体力なら負けまいと早歩きで追いかける。

 漆黒の重鎧と白き野伏神官の、破天荒すぎるツーマンセルがこうして誕生した。



 あまりにも息の合わない二人だ。

 されども世界に恐怖を撒き散らす騎士と、世界に忌避されし少女が揃って世界を彷徨い歩くなど、なんとも心躍る冒険譚ではないか。

 この二人が互いを認め合い、支え合うのは、まだまだずっと先の物語である。

これにて一章完結しました。

これからは騎士とアイエスを軸に、話を展開する次第です。

二人の行く末と、二人に関わるキャラたちをどうか暖かく見守って下さい。

これからもご愛読よろしくお願いします。

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