28話 そして少女は荒野へと(前)
どこか懐かしい温もりに抱擁され、アイエスは鳥の囀りに目を覚ました。
まず視界に入ってきたのはシミのある天井、それと小窓から入ってくる夜明けの陽射しだ。
全身は温かく、気持ちは落ち着いている。
年季のはいった木製ベッド、使い込まれて少し解れてこそいるが清潔なシーツ。
白いその布地を掴んで顔を埋めれば、仄かに石鹸の残り香がする。
――ああ、懐かしい。
アイエスの表情が緩むのも無理はない。
ここはつい数日前まで彼女が生活していた場所、黄金の神殿にある一室だ。
かつて過ごした部屋とは違うが、趣きや間取りに然程変わりはない。
よって彼女は狼狽することなく、すぐに状況を整理
し始めた。
確か自分は、廃城の地下墓地でデーモンから大切な仲間を守るべく魔法を無理に行使し、意識を失った。
記憶が確かなら守れたと思ったが。
ならその後の二人は?
果たして、あのデーモンはどうなった?
そもそもなぜ自分はここに??
疑問が次々と湧き上がり無意識に体は動かされ、アイエスはベッドから体を起こそうとした。
「んんっ……」
だが起き上がれない。
見慣れた景色故に安心しきっていたが、そういえば体が少し重い感じがする。
「はあ、はあ」
苦しい、胸の辺りが。
この苦しさは何なのか、まさかデーモンにかけられし呪術の類か、或いは凶兆めいた神託か。
いずれにせよ寝ている暇などない。
自分にはあの二人がどうなったか、きちんと知る責務がある。
掴んでいるシーツに汗を滲ませつつ、アイエスは感情任せにシーツを剥いだ。
「くしゅんっ!」
「……」
その真相を見るにアイエスは絶句する。
胸の苦しさの正体は、可愛いくしゃみをしたのはリンだった。
発育の良いアイエスの胸に顔を置き、すやすやと寝息をたてている。。
可愛いお下げも今は解かれ、更に纏うは下着のみ。
颯爽と戦場を駆ける彼女ならではの、しなやかですらりとした体躯を存分に晒している。
「……なんで下着姿? って、私も?」
我が身を見て一人ぼやき、リンの肩を優しく掴み彼女をそっと隣にやる。
アイエスはようやく体を起こし、現状を検めた。
自分だって下着だ、この神殿で支給された簡易なものだが。
不意にリンの胸元に視線が向かう。
見れば彼女が着用してる下着はふりふりな刺繍が施され、実に可愛いではないか。しかも色はピンク。
ついつい物欲しそうな顔になってしまう。
「良いなあ。 これは人間の英知が生みだした産物の極みかしら」
しかしこの状況はなんなのか。
着衣に関しては、洗ってるか干してるかそんなところだろう。
自分はあの神官服しかないからともかく、リンが下着姿なのはやはり謎だ。
寝たきりの自分に付き添うにしても、そうする意味がわからない。
考えども答えは得ず、やがて肌寒さに肩が震え、アイエスも小さなくしゃみを漏らした。
「ちょっと肌寒いけど仕方ないか。 一人立ちした身としては、あんまりここに甘えるのも気が引けるし」
一週間とはいえ、神殿で暮らしていたアイエスはよくわかっている。
神殿には駆け込む者が後を絶たず、ここはいつだって余裕がない。
自分がお世話になった時だって、貸し与えられたのは今と似た個室と共用の衣類のみ。
むしろ年頃の娘ということで、少ない個室を借りれたことは感謝に尽きるばかりだ。
「ねえリンさん、そろそろ起きて!」
なんにせよリンならことの顛末を知ってるはずだ。
眠れる彼女の肩に手を置き、幾許かの申し訳なさを思いながら体を揺らす。
気持ち的にはこのままシーツに包まって温まり、女同士二人で二度寝を貪るのも悪くない。
だけども、そうはいかない理由がある。
「聞きたいことがあるの!」
眉をハの字にしながら懸命にリンの体を揺らすも、彼女は疲労困憊故か目を覚ます気配が無い。
恐らくこうして平穏無事に過ごしてることから、きっと何もないだろうとは思う。
それでも共に冒険に出たうち、残り一人の姿が見えないのはどうにも気になるものだ。
「私、ギデオンさんが気になります!」
直後、リンはかっと目を見開き体を起こした。
そのまま一気に顔をアイエスに寄せる。
「それ、私への宣戦布告かしら!?」
見たことも無い本気の乙女の顔が眼前にある。
寝ぼけ眼が据わっており、焦点は定まっていない。
彼女のイメージにそぐわない剣幕に気圧され、アイエスの顔がにわかだけ下がる。
「え? あの、えーと……とりあえず、おはようございます」
「そうね、おはようございました! で、私のギデをどうするって!?」
「べ、べべ別にどうもしませんが? というか無事なんですよね、その様子だと」
「……あれ? アイエスちゃん?」
「どーもです」
その後リンはしっかりと目を覚まし、アイエスに平謝りしたのは言うまでもない。
アイエスは気にせず彼女に問うた。
聖都が正式にギルドへ依頼した廃城の定期調査、その顛末を。
話を聞くにあたり、アイエスは百面相していた。
今はあれからまる一日経ってること。
城の武器庫と地下墓地がすっかり崩落したこと。
ここまではギデオンが担いで来てくれたこと。
そのギデオンは問題なく元気であること。
依頼完遂をギルドに報告するも、城の崩落とオークの件を除き、ほとんど信じて貰えなかったこと。
つまりデーモンのことと、それから――。
「あのちょい悪騎士さん、やっぱりいたんですね!」
暗黒の騎士の話題がでると驚嘆した表情になり、両手をぷるぷると震わせている。
「うん、それはもうばっちりと」
「今はどこに!?」
「さあ? 知らない」
「んもう! 結局……今回も言いそびれちゃったわ」
首を傾げるリン。
アイエスはまぬけな大口を開き、天井を見上げる。
そこにいつもの生真面目な彼女の姿はなく、ありのままを晒していた。
見るなり、リンがくすりと微笑む。
「デーモンを倒してくれたのは良いんだけどさ、その後なんでか私たちにも剣を向けて、そんでギデがぼこぼこにされたんだ」
「でも、ギデオンさん無事なんでしょ?」
「まあね。 結局のところ、殺すつもりなんてなかったみたいだし?」
「ふふふ、やっぱり。 そうだと思った」
「アイエスちゃん。 なんであの騎士に拘るの?」
「なんで拘るか、ですか?」
「ここの聖職者のお蔭で今は治ってるけど、あなただって……」
言いかけてリンは俯き、膝を抱える。
言葉を濁した理由は、きっとアイエスの気持ちに水を差すからだろう。
アイエスはリンの肩に顔を乗せ、ゆったりと体を預ける。
「ただの意地よ」
「意地?」
「うん、私の意地。 このままで済ますものですか」
「そういえば、アイエスちゃんはあの騎士に何を言いたいの?」
「何って――」
話していると、部屋の扉がノックされる。
木の扉の向こうから、洗った衣類を持ってきたと告げられた。
声の感じだと小さな女の子だ。恐らくここに駆け込みお世話になってるのだろう。
今の自分らは下着姿と言えども、女の子ならば問題あるまい。そう思ってアイエスが返事をしようとした時である。
リンがシーツを掴み、自分に手渡してきた。
「アイエスちゃん、私が行くからシーツ被ってて」
「シーツ? 女の子同士ですよ? 何でですか?」
「何でって、見られちゃうじゃない。 まあ私は、アイエスちゃんの全部を見ちゃったけれど?」
リンは小意地悪く、唇に手を添えぷぷっと笑う。
アイエスは首を傾げ、言葉の真意を汲めずにいる。
「ん? んん?」
「あのさ、アイエスちゃん」
「はい?」
「耳」
回答を示すように、リンは己が耳を指差した。
アイエスの動きが杭に打たれたかの如く、ぴたっと止まる。
ほんの刹那、されどもアイエスには長い長い空白の時が流れる。
「……あの、えーと?」
「だからさ、耳隠してよ。 ばれるよ? せっかく私が一晩付き添って隠し通したんだから」
「え……」
「え、じゃなくて。 苦労したんだよ? 私が人肌で暖めるって言わなければ、今頃アイエスちゃんは異端審問されててもおかしくないんだから」
そしてアイエスは呆けて灰になった。
リンは意識を欠いた彼女を見やり、くくっと優しく笑みながら固まる彼女にシーツを被せる。
そのままリンは扉を開け、洗い終えた衣類を受け取ると、手取り足取りアイエスに神官服を着させた。
それでもなお動かぬ彼女に寄り添い、その長耳に口先を近付ける。
「あなたが何者だろうと私たちには関係ないよ。 あの時、助けてくれてありがとう。 嬉かったよ」
リンは優しくアイエスの肩を抱き、想いを囁いた。
その想いに応えるようにアイエスは瞳に光を戻し、己が肩にあるリンの手をそっと握りしめた。
「リンさん、ありがとうございます。 でも実は私、こう見えてエルフじゃないんです」
ベッドから立ち上がり自分の衣類を着始めたリンに向け、アイエスは切りだした。
神官服に身を包めどヴェールは被らず、さらりとした金髪と葉のような長耳を晒したまま。
ベッドに座して己が耳を指先でなぞり、なんともいえない自嘲めいた陰りのある笑いを浮かべている。
金色の瞳は潤み、哀しさと苦しさを滲ませたような痛々しい笑みだ。
「え? そうなの?」
一方のリンはさして気にもせずスカートを穿き、次にブラウスを手にする。
アイエスは膝上に置いたヴェールに手を添えると、その手が震えているのに気付く。
事実、彼女は怯えていた。
理由など知れている。自分の出自を伝えるのが怖いからだ。
だがリンは我が身で以って自分を庇ってくれた。ならば自分もその誠意に応えるべきだ。
「私は混血のハーフエルフなんです。 だからエルフですらありません」
勇気を振り絞ってどうにか出した声は、消え入りそうなほど弱々しく、震えている。
まるで己に巣食う罪を晒すようなもの言いだ。
混血とは、ある意味ではエルフそのものよりも忌むべきとされている。穢れた存在とも。
だから賊に襲われた時や、初めて暗黒の騎士を目の当たりにした時とは違う怖さが心にあった。
「だから、その、ですね……」
何を言うべきなのか、何が言いたいのか、考えが纏まらない。
頭の中が徐々に白く染まってゆく。
ヴェールがぎゅっと握られ、もみくちゃになる。
つまるところ、アイエスはリンとギデオンに嫌われたくないのだ。
共に助け合って初めての冒険を乗り越えた、彼女にとって初めての仲間。
だからリンたちとは後ろめたさのない、堂々とした関係でありたい。
だけども、自分の全てを受け入れてくれるかはわからない。決めるのはあくまで二人なのだから。
「そっか。 ハーフだったんだ、ふーん」
リンが淡々とぼやき、ニーソックスを手にしてベッドに腰を下ろす。
しゅるると布地の擦れる無機質な音が聞こえる。
背中越しにある彼女の表情を見るのが怖い。
「あれ? それじゃあ、もう片親は人間? それとも他の種族?」
やがて着替えを終えたリンが、だらりと体を倒して転がるようにアイエスの隣に来る。
そして起き上がり手櫛で茶髪をすき、おさげを編みながら興味津々な眼差を向けてくる。
予想してなかったリンの反応にアイエスの緊張が緩み、震えていた手が止まる。
「えーと、父は人間だって聞いてます。 会ったことないけれど」
「それじゃお母さんがエルフなんだ。 あっ!」
「はい?」
「もしかして、お父さんを探しに人間界に来たの?」
「違います。 どういうわけか、父のことはあまり話してくれませんでしたから、関心が薄いんです」
「気にならないの?」
「それが全く。 今にして思えば、寂しがらないように配慮してくれたのかな?」
アイエスは胸に手を添え、在りし日を思い出す。
森ではいつも二人で暮らしてて、毎日が楽しくて、寂しい思い出はないに等しい。
唯一あるとすれば、それは自分が独りになってしまったことくらいだろう。
「なるほど一理あるかも。 優しいお母さんだね」
「というかリンさん」
「なに?」
「わたしのこと、嫌いにならないんですか?」
「え? なんで?」
「だって混血ですよ?」
「でも助けてくれたじゃない。 しかも私に関しては二度も」
まるでピースサインのように指を立てるリン。
確かに彼女の言うとおり、二度の魔法で彼女を助けたことは間違いないだろう。
はにかみながらもリンは続ける。
「さっきも言ったでしょ? アイエスちゃんが何者でも私たちには関係ないって。 エルフでもハーフでも同じことよ」
「……リンさぁ~ん」
リンの言葉を聞くなり、アイエスの纏う雰囲気はがらりと変わる。
アイエスは震え声を上げ力一杯リンに抱きついた。
やれやれとばかりにリンが温かく笑むと、胸中にある小さな頭を撫でる。
「ねえアイエスちゃん、私たちと一緒にマリアンで暮らさない?」
「え?」
「確かに人間界に身を置くのは落ち着かないだろうけど、私とギデが絶対守るからさ。 一緒にここで暮らそうよ」
その提案を聞き、アイエスはリンの胸元から顔をあげる。前に林でも言われたからこれで二回目だ。
リンはすがるような目で自分を見ている。
本気の目だ。嬉しくないわけがない。
彼女は自分の全てを知ってもなお、共にいようと言ってくれる仲間だ。
思わず笑みが零れてしまう。今までにない最高の笑顔だろう。
ついつい堪えきれずに、彼女を抱き返した。
「ありがとう。 ありがとう、でも――ごめんね」
「やっぱダメだったか」
追従するように続いた言葉は、どうしてか予見していたような口ぶりだ。
続けてリンは離れ、ベッドから立ち上がり、荷袋から何かを取り出すとそれをアイエスに手渡す。
受け取ったじゃらりと鳴るそれには見覚えがある。
「お金……ですか?」
「依頼の報酬よ。 今回は内容が内容だけに、特別に上乗せしてるって」
「大盤振る舞いですね」
「こういう時にケチると、次から請負う人いなくなるからね~」
そういうものかと納得しながらアイエスが皮袋を紐解くと、中にはたくさんの金貨が光っている。
「報酬は五十ゴールド。 五ゴールドは神殿に付箋したから、三人それぞれ十五ゴールドで良い?」
「もちろんです」
金貨十五枚がどれほどの価値なのか、今のアイエスにハッキリと理解はできないが、それでもこうして感謝の印を受け取れたことは喜ばしい。
「で、やっぱり追うの? あの暗黒の騎士を」
消沈した雰囲気を払うべく話題を切り替えるリン。
それを問われるなり、アイエスは強く頷く。
凛とした面持ちになると、強く握った手を胸元に添える。
「それはもちろんです。 あれから丸一日、急がねばなりませんね」
するとそそくさとベッドから立ち上がり、ヴェールを被って長耳を隠す。
次いで腰に矢筒とポーチを付し、そして胸に忍ばせた短剣を検める。
旅立ちの時は来た。
一抹の寂しさも当然あるし、ギデオンと話せず仕舞いというのも気が引けるが、これ以上あの暗黒の騎士と距離を開けられるわけにはいかない。
アイエスは決意を胸にリンを見た、すると彼女は突然自分の手を掴み、扉を開けて駆けだした。
「ちょ、ちょっとリンさん? 何を?」
「何って見送りよ」
「見送り、ですか?」
「アイエスちゃん。 あなたどうやってマリアンに帰って来たのか、気にならない?」
アイエスは言われてようやく気付いた。
そうだ、地下墓地での一件が片付いて丸一日だ。
この聖都からあの廃城まで、普通に歩けば二日は要するはず。
自分をこんな短時間でここに担ぎこむには、何かしらの手段があったはずなのだ――。
すみません、一章がまだ終わりませんでした。
思いのほか文量が膨れてしまい、タイトルに書いた通り前後に分けようと思います。
しかも今回は仄かに百合成分があります。
そういえば前に書いた長編も百合でした。作者は中二病なうえに百合好きですがご容赦ください。




