27話 厳かな宣告
地下墓地の片隅、積み重なる瓦礫がぎしりと動く。
そのなか、薄汚れた一人の剣士が、覆い被さる大きな石片を蹴飛ばした。
注ぐ陽光に照らされ、塵に塗れた三人の冒険者が姿を見せる。
「すげえ、終わってみれば圧倒的だったじゃないか」
視線の先にいる憧れのような存在を見つめ、爛々と目を輝かせるギデオン。
先程まで繰り広げられていた激闘を思い出し、彼の胸に高揚が迸る。
塵で汚れた顔など全く気にも留めず、傍らで座るリンを見やる。
「すまないが、アイエスさんを頼む」
言われたリンはこくりと小さく頷いた。
彼女の膝には、金糸の如く長い髪をさらりと流すアイエスが横たわり、今なお意識を沈ませている。
陽光を浴びてきらめく金髪を愛しそうに、優しい手付きで撫でる。
葉のような長耳なんて、ちっとも気にしていない。
ギデオンはその姿に微笑むと、離れにいる騎士へと駆けだした。
「おーい!」
巨大な騎士は石壇にある慰霊碑の前で佇んでいた。
さんざめく陽光を受けながら、聳える慰霊碑を黙して見つめている。
漆黒の重鎧をぴくりとも動かさず、宵闇色のマントだけを揺らし、慰霊碑に刻まれし騎士たちの名を安らかな視線でなぞっている。
しんみりとした静謐な騎士の背を、やがて石壇の前からギデオンが見上げる。
「助かった。 その、ありがとな」
ギデオンは感謝を述べた。
えっちらおっちらと視線を泳がせ、陽気な言葉とはそぐわない上ずりの声で。
高揚と緊張が混じったような、変な気分だ。
それを誤魔化すように、床に突き立つ己が大剣に視線を定めた。
大剣はいまだ赤々と燃え盛れど、周囲に走っていた火の手は既に収束している。
燃え尽きて灰と化したデーモンやオークどもの肉隗が音もなく崩れる。
「悪くない剣だ。 お前、良い剣を使ってるな」
騎士はがしゃりと重鎧を揺らし、振り向き、燃える大剣を見てそんなことを言った。
声に感情はあらず我を感じさせない。これまで同様に酷く淡々としたものだ。
言われたギデオンは鼻先をこすり、気恥ずかしそうに自慢の大剣を引き抜く。
得体の知れない騎士の不気味な声だが、なぜか妙な安心感に包まれた。
「ああ! これは俺が冒険者になって一年経った時、それまで貯めた金を全部使って特注した剣だ。 かれこれ三年も使ってる」
「ドワーフ製か?」
「いや人の手だよ。 世間ではドワーフの武具様々だが、人間にも腕の良い鍛冶師はいるんだぜ」
「そうか」
さして感銘を受けることもなく、騎士はがしゃりと重鎧を鳴らして石壇から降りる。
周囲を見やり、乱雑に転がる武器のなかから一つの得物を手にする。
猛禽類の如き手が掴んだそれは、一振りの剣だ。
紛うことなき一級品の剣でこそあれど、決して名を授かるような聖剣や魔剣の類ではない。
生産効率と実用性だけを重視した、言ってしまえば単なる量産品だ。
「だが悲しいな。 使い手が惰弱では、いずれその刃は折れることだろう」
「……なんだと?」
そして騎士の発した言葉にギデオンは耳を疑う。
だが言葉の真意を考える間などなかった。
己が眼前に迫るは、剣を構えし暗黒の騎士。
初動も見られず、足音すらもたてず、さながら亡霊の如く素早く近付いてくるではないか。
伸びる影に飲まれるように、ギデオンは瞬く間に暗黒の騎士に詰め寄られた。
「消えろ。 お前程度の雑魚では、精々ゴブリンやコボルトの餌になるのが関の山だ」
騎士は吐き捨て、片手で軽やかに刃を振り下ろす。
不意の強襲に慄きつつも、ギデオンは辛うじて大剣で受け止めた。
だが騎士の流麗な身のこなしとは似合わない、体格通りの圧倒的な膂力の差にすぐさま膝を落とされる。
「ぐ、くそ……誰が、雑魚だ」
「さっさと折れてしまえ。 その剣も、お前の心もな」
呻きながら堪えるギデオン。
やがて足元の床がひび割れ、次第に沈下して足が埋もれてゆく。
黒兜に浮かぶ眼光に見下され、懸命に睨み返すも手の打ちようなどあるはずもない。
滴る汗が頬を伝い落ちた、その刹那――
「わたしのギデになにするのよ!」
細剣の刃が漆黒の重鎧を一閃する。
リンだ。
鍔迫り合いを見るなり駆けつけ、容赦のない斬撃を放った。
当然予測してたとばかりに、騎士は悠々と飛び退いて避ける。
「ギデ、大丈夫?」
「すまない助かった、アイエスさんは?」
「まだ起きてない」
リンに手を引かれギデオンが立ち上がる間に、彼女は騎士を不機嫌に睨みつける。
「いくら命の恩人だからって――」
「馬鹿が、これでまず一人」
だがリンが言い終わるよりも早く、騎士は手にした剣を投擲した。
「「!」」
銀刃がギデオンとリンの間を突き抜け、二人の髪が風圧にふわりと揺らされる。
突発すぎる行動に思考が追いつかず、その意図がまるで理解できない。
「どこを……狙った?」
ギデオンがぼやいた。
やがて一時だけを置き、瓦礫にがつんと剣の突き刺さる音がした。その方角を思い出すなり、二人の顔は途端に青く染まる。
振り向いた二人が見たのは、頬から血を流すアイエスだった。
彼女は目を覚まさず、瓦礫に背をやりもたれ、小さな顔のすぐ横には剣が突き立っている。
見るなり、焦ったリンは「アイエスちゃん!」と叫びながら駆け寄る。
「仕留め損ねたか。 あの黒魔法の痺れが体に残り、僅かに狙いが逸れたようだな」
騎士は淡々と無感情に告げた。
その態度にギデオンは我を忘れ、大剣を掲げて感情任せに斬りかかる。
「なんで、なんであんなことをした!」
「それはむしろ私の言葉だ」
答え、騎士はひらりと振り下ろされた剣を避ける。
構わず一気呵成に斬りかかるギデオンだが、騎士はひらりひらりと避け、掠らせもしない。
手に構えし大盾を構えることもなく翻り、まるで踊る影のように捕えどころがない。
「あのエルフを人間のお前らがなぜ庇うのか知らん、興味も無い。 だが守りたいならあの場に留まるべきだ。 なぜ離れた?」
騎士は怒り露に大剣を振り回すギデオンを嘲笑し、彼に足を引っ掛け転ばす。
無様に床を転がるギデオン。
仰向けになった彼の胸を踏みつけ、黒兜に浮かぶ眼光が不気味に閃く。
「ぐ、あれはリンが俺を助けようとして――」
「つまりあのエルフを捨てたのだろう?」
「断じて、違う」
「同じことだ。 結果としてあのエルフは窮地に晒されたのだから」
「黙れ」
「或いは、あの女剣士がお前を見捨てていれば――」
「黙れ」
「雑魚が。 いずれにせよ弱者に待つのは死のみ。 それが嫌なら剣を置くことだ」
「黙れ黙れ黙れ! それでも、それでも俺は」
騎士は溜息を吐き、踏み足に力を込めた。
ギデオンの体が軋み、呼吸が詰まり、視界が朧気になってゆく。
「がはっ」
「それでも? なんだ?」
「俺は、強く、なって……」
ギデオンはそこまで言いかけて、気を失った。彼の手から赤々と燃える大剣が離れる。
騎士は呆れながら大剣を手にして、横一文字に炎刃を振り抜いた。
「いかな理想があろうとも、どれだけ情熱を燃やそうとも、力なくばいずれ火は消える」
そして風圧により炎が消された。
廃城に入ってから灯された大剣の炎。
恋人や仲間と幾多の困難を乗り越え、果てにはデーモンとの死闘ですら潰えなかった炎だが、暗黒の騎士の一振りで呆気なく消失してしまった。
倒れるギデオンを見下し、傍らに刃を突き立てる。
そしてすぐに背を向け、騎士は歩きだした。
「待って!」
だが今なお騎士を呼び止める声があった。
リンがアイエスを担ぎながら、疲れた足取りで近付いてくる。
彼女の声には涙が滲んでいたが、されども騎士は振り向かずに歩き続ける。
「もうわかったから、わたしとギデのことはもう良いから!」
歩みを止めない騎士の姿が次第に陽光からはずれ、ゆっくりと暗闇に溶けていく。
「でもアイエスちゃんは、あなたに言いたいことがあるって、ここまで来たのよ」
「弱者の戯言など聞く耳持たぬ」
「でもあなた、前に賊からアイエスちゃんを助けたんでしょ?」
「その時告げたはずだ。 死にたくなければ故郷へ帰れとな」
「ねえ、なんでアイエスちゃんを助けたの? あなたは何者? 人間? エルフ? それとも本当に――怪物か何かなの?」
「……」
「ねえ、答えてよ。 ねえってば!」
だが叫ぶリンに返事はない。
彼女の潤んだ目に映るのは、気絶した恋人と、転がる武具と、灰と化した数多の亡骸、それから聳える慰霊碑だけだ。
暗黒の騎士の姿はどこにも見あたらない。
最早ここには、戦死者たちがまどろむ為の静謐な空気が漂うばかりだった。
こうして冒険は終わった。
三人は出会い、窮地に見舞われ、されどもそこに救いの騎士が現れて容赦なく悪を滅ぼす。
どこかで聞いた御伽噺みたいなあらすじではある。
しかしこの顛末に至った経緯は、決して安易な物語ではない。
アイエスは心身尽き果て、リンは自決を覚悟し、屈強なギデオンでさえも最後は気を失った。
つまり全員が一度は心を挫かれたのだから。
とにもかくにも、アイエスの初めての冒険は終わったのだ。
彼女の目的が果たされるのは、まだほんの少し先のことになる――。
次話で一章完結です。
二章ではもう少しペースを上げるのが目標ですが、今はそれより久々に書けるアイエスが楽しみです。
すっかり空気になってるヒロインですが、いずれ活躍しますので弓手や神官が好きな方はご期待ください。




