表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末世界のダークナイト  作者: さくらつぼむ
聖域の守護者
23/57

22話 奇跡の代償

 インプを丸飲みしたキングの姿が豹変してゆく。

 ゴキゴキメキメキと異常な音を鳴らしながら。

 青銅のような青黒い肉体は黒くなり、尾が生え、その先には血走る邪眼がぱちくりと不気味に瞬く。

 矢と弓は眼から落ち、山羊のようにまどろむ瞳孔。

 角は螺旋にねじれ、それでいて顔立ちはコウモリ。

 この異様としか言えない風体が、まさかオークだと話したところで普通は信じないだろう。



 冒険者ら三人は、変わり果てたキングの異形に気圧され言葉を失う。

 離れにいる取り巻きのオークどもにしても、これ何ごとかと混乱するばかりである。

 当然今の冒険者らにそれを気にする余裕などあるはずもない。



 やがて緊張の張り詰めた空気の中、戦闘は始まる。

 否、はたしてこれを戦闘と呼べたものかどうか。

 邪眼はむくりと尾をしならせ浮かび、アイエスの方を向くと瞳孔を力強く開き、瞬速にとびだしてきた。



「!」



 途端、アイエスは受け流すべく短剣に力を込めるも反応がまるで間に合わない。

 喰われた――そう本能で認識した瞬間。

 邪眼は既に自分の真横を通過しており、吹き荒ぶ風圧によってヴェールがゆらめく。

 頭が真っ白になり思考が停止する。

 全身に冷や汗がぶわっと浮かぶのを感じた。



 直後、背後からした不快な怪音に振り向く。

 見上げれば邪眼が一匹のオークを貪っていた。

 短剣を並べたような大口でオークに喰らい付き、血肉や骨を噛み千切ってゴクリと飲み干す。

 降り注ぐ血の雨、時々肉片と臓物。



「さて、これはまずいな」



 晩餐を楽しむような、妙に優雅な口調で語るのはキング――ではない。

 確かにキングの口から語られてこそいるが、その声にはキングの残滓も澱も感じられない。

 冒険者らもオークどもも、誰もがその黒き魔物に恐怖を抱かずにはいられなかった。



「まさかデーモン……だってのか?」



 ギデオンの呻くような物言いに、リンとアイエスがはっとする。

 デーモン――それは忌むべき魔物どもの中でも最上級に位置する、最悪の象徴とされる悪魔である。

 概ね特異な儀式により顕現するのが殆どだ。

 心当たりならある、いくらでもあり過ぎる。

 おそらくは復活の刻を迎えるべく、自分らだけでなくオークどもも良いように使われたのだろう。

 しかもその依り代は、あのオークキングなのだから強さは折り紙つきである。

 つまり、キングは堕とされたのだ。



「ヒ、ヒイ」

「おや?」



 どこからか気弱な呻き声が漏れると、邪眼は怖気付いたオークを見つけ、襲いかかり淡々と貪り喰らう。

 その感、やはりデーモンは舌で唇を舐め、美食家のように「ふむふむ」と得心したように何度も頷く。



「やはりクソまずい。 だがこれも仮の器を維持するためだ、とっとと喰らってクソにしてしまおう」



 その言葉をかわきりにオークどもが逃げだす。

 地下墓地に溢れかえる恐怖の叫び。

 手にした得物を放り、美しき獲物に目もくれず、我先にと足早に。

 構わずデーモンは逃げる端からオークを喰らう。

 邪眼をしならせ、己が屈強な肉体を踊らせて。

 やはりこれは戦闘などとは呼べないだろう、言うなればただの殺戮、或いは暴食だろうか。

 戦乱と化した乱れに乱れた戦況の最中、オークどもを盾にして冒険者らは辛うじて命を繋ぐ。



「あれもう無理、私たちの手に負えないよね?」

「確かに普通に考えれば無理でしょうね」



 困り顔のリンが同じく困り顔をするアイエスの手を引き、足早にギデオンへと駆け寄る。



「ねえ、私たちも逃げない?」

「その意見には賛成ですが、あれは逃げるものを優先的に喰らってるように見えます」

「ああ、かと言って正面からり合えるわけもない」



 オークどもは巨体だ。

 アイエスは見つからないよう、腰を抜かしたり放心状態のオークの体を壁にして己が身を隠す。

 リンも似たように隠れ、ギデオンだけは盾で以って何度か邪眼の襲撃を凌いでいる。

 その間にもオークどもは次々と数を減らしていく。

 絶え間ない血肉と臓物の雨、床に転がるそれらを時々邪眼がすすり飲んでいく。



「ウゴゴゴゴゴ!」



 判断を決めあぐねていると、デーモンが唸った。

 頭を抱え、まるで悪夢から逃れるように何度も何度もかぶりを振っている。



「コレハ、俺ノ体ダ……」



 その消え入りそうなほどの小さな足掻きを、アイエスの耳だけが捉えた。

 どうやらキングの意識はまだ完全に堕ちたわけではないらしい。

 肉体の主導権を巡っての抗争は、まだ完全には終わっていない。

 ならば、今この瞬間は好機――だろうか。



「俺ハ、オークヲ統ベル王ノ器」

「ほう意外としぶといな」

「フェレス! 貴様、俺ヲ騙シタナ!」

「オークとはいえさすがはキングと言ったところか」



 同じ口で交わされる異様な論争に耳を澄ませ、アイエスは頃合を見計らう。

 同時に、逃げ惑うオークどもを見やり退路に目星を付ける。

 やはり今ばかりは邪眼にも喰い逃しがある、ならば逃走を狙うべきだとアイエスは判断する。

 だが運任せというわけにはいかない。

 首にかかるロザリオを強く握ると、アイエスはリンとギデオンに逃走の算段について話した――。






 反対意見などあるはずもなかったが、それ以上に二人は驚いてる様子だった。



「おいおい、マジかよ」

「ええ、私も初めは自分の耳を疑いました」

「そこじゃなくて、この距離でよく聞き取れたね」

「……っ。 森の生活での賜物です」



 もうこの言葉は自分の決めセリフ(?)なのではと思い始めてるアイエスだった。

 それほどにこの言葉を多用している。

 アイエスは申し訳なさと恥ずかしさの混じった複雑な気持ちで視線を彷徨わせている。



「オノーレ!」

「うろたえるでない、あきらめるのだ」



 だが戦況とは不待なものである。

 離れの論争に強い語気を感じ、アイエスの体がびくつく。

 同時、大きな衝撃に地下墓地が揺れて塵がぱらぱらと降り注ぐ。

 キングとデーモンの精神戦も決着が近いようだ。



「今です!」



 アイエスの合図と同時、三人は揃って飛びだす。

 目指すは地下墓地の出口、武器庫の渡り廊下へと至る螺旋階段だ。

 されども三人は別々に散る、それぞれオークのなかに混じりながら。

 この場合優先すべきは、光源を持つギデオンに集まるよりも、自分らを散らすことだ。

 オークどもに習って走れば地下墓地からは出れるのは勿論、いざとなればオークどもを盾にできる。

 アイエスは肩越しに背後を見ると、呻くデーモンの姿を見た。次いでまた地揺れが生じ塵が降る。



 ――なんとか逃げ切れそう。



 息することも忘れ、走り続けるアイエス。

 リンやギデオンを見れば、二人も大丈夫そうだ。

 この状況とあらば、オークどもは人間を襲ってる場合などではない。

 祈るようにロザリオを握る。



「「逃がさぬゾ! 人間ドモめ!」」



 だが最上位の魔物がそう易々と獲物を逃がすわけがない。

 キングとデーモンの共通意思とでもいうのか。

 重なり合う唸り声を背に浴びせられ、思わず背後を見るアイエス。

 なぜ気付かれたのか、匂いか足音か、だが反省してる暇などない。

 とにかく振り返った彼女がまず眼にしたのは、邪眼だった。

 開けた大口に短剣を並べたような歯が並び、血走った眼は真っ直ぐに自分を見ている。



 だがアイエスの心に不安こそあれど不思議と恐怖はなかった。

 邪眼が自分を標的にしているということは、少なくともリンとギデオンは狙われてないからだ。

 大切な何かを失うのは嫌だ、それなら自分が傷付くほうが遥かにマシというもの。

 なんだが胸の辺りが妙に熱くなるのをアイエスは感じた。

 初めて覚えた不思議な高揚感だった。



 ――でも、傷付くどころじゃないよね、これ。



 目先に迫る凶器のごとき魔物、邪眼。

 全身で向き直って短剣を構え、なんとか受け流そうとこれまで対峙してきた獣や魔物を思い返す。

 しかし、ない。

 まるで思い当たらない。

 ここに来るまでの道中、樹林で見つけたルーン・ベアとどちらが強いだろうか。

 そんな半ば逃避にも似た無意味な考察の果て、突如アイエスは真横からの衝撃に突き飛ばされた。



「んー……一体何ですか?」



 仰向けに倒れるアイエス。

 背中に衝撃を感じ、体の上に温もりを感じる。



「大丈夫!?」



 目を開ければそこにはリンが覆い被さっていた。

 その向こうには獲物を外した邪眼が宙を泳ぎながらカチカチと歯を鳴らしている。

 こんな時まできちんと手でヴェールを押さえてしまう自分に呆れるアイエス。



「まったくもう」

「アイエスちゃん、ケガは?」

「んもうー! まったくもうですよー!」

「え? ええ?」



 リンはアイエスのイメージにそぐわない態度に戸惑いながらも、体を起こして彼女の手を引き一緒に立ち上がる。



「なんで逃げないんですか!?」



 頬を膨らませプンスカするアイエスの肩に、背後からぽんと手が置かれた。



「そこに守るべきものがあるからだ」



 答えたのはギデオンだ。

 彼はアイエスとリンの前にでて、燃え盛る大剣と盾を邪眼へ構える。



「勘違いするなよ。 俺はべつにリンを守るためだけじゃない、君も大事な仲間として守りたいんだ」

「な……な」



 そしてギデオンは邪眼へと駆けだす。

 鳴り響く剣戟音と飛び散る火花。

 どうやら主たるデーモンの意識が精神戦にあるせいか、邪眼の動きはいまいち鈍い。



「まあギデはああいう男だから、諦めて、ね?」



 リンは舌をペロッとだしてウインクした。

 アイエスは絶句する。

 かっこいい、かわいい、二人が羨ましい。

 こんなことを考える状況でないことは百も承知であるが、それでも思ってしまったものは仕方がない。



「まったくもう、お人好しにも程があります」

「あはは」

「何が可笑しいんですかリンさん」

「だってアイエスちゃん、言葉と表情ちぐはぐなんだもん」

「え?」



 思わず微笑んでる自分がいた。 

 そしてアイエスは、ようやく己が心を理解する。



 ――これが“信頼”っていうんだ。



 高揚する胸を押さえ、息を吸って呼吸を整える。



「三人揃って後退戦はどうだ? 今なら邪眼も弱っている!」



 ギデオンが声を強めて提案した。

 言いながら大剣を振り抜いて、邪眼を薙ぎ飛ばす。

 彼は振り向きアイエスとリンを見るなり、次いで退路の方をあごで示した。

 それは「早く行け」との不言のメッセージだ。



「あ……」



 しかしその遥か先、邪眼の転がる向こうを見てリンが両手で口を押さえ、大きく目を開く。

 なにかを察したギデオンもその視線を追うべく、すぐに正面へと向き直る。

 アイエスは“それ”を見るなり、脇目も振らず駆けだしていた。



「人間どもヨ、逃がさんゾ」



 デーモンの背には、いつの間にかコウモリみたいな羽が生えていた。

 黒樫の幹に膜があるような手羽、それが一本、背中から力強く伸びている。



「汝らは、我が完全復活を果たすための贄となれ!」 



 デーモンは濁ったような声で唸るなり、その手羽から漆黒の礫を無数に放った。

 なにかの衝撃波でも押し寄せたように、次々とオークどもが礫に打たれ凶弾に吹き飛んでいく。

 その傷跡は凄惨なもので、血肉どころか臓物や砕けた骨が辺りに飛散している。

 オークでさえこれだ、人間が喰らえば形が残るかも怪しい。

 贄とは言えど、ようは血肉や臓物を口にできればそれで良い、嬲ることなどまるで考えていない。

 これはそういう攻撃だ。



「待てアイエスさん! 俺が盾に――」

「私の背後からでないでください!」



 ギデオンの制止も聞かず、アイエスは降り注ぐ礫の前へ果敢に飛びだした。

 その手にはロザリオが握られ、顔は強気に、されども凛然と澄んだ表情だ。



「黄金なる神、マリアンよ!」

「おい、よせ!」

「無茶よ! 魔法はもう使えないはずでしょ!?」



 ギデオンとリンの焦燥をよそに、アイエスの心はかなり昂っていた。

 初めての仲間と自然の中にある廃城まで来て、しかも始めての魔法で仲間まで救えて、最高の冒険だ。

 自分の魔法は確かに一日一度が限界だ。

 現に今も疲弊した精神はかなり磨耗している。

 だが限界とは――すべからく越えるために存在するものである。



「迫る穢れから我らの尊厳を護るべく、黄金神のご加護を授けたまえ!」



 アイエスが黄金神へ懇願の言葉を紡ぎ、立ち止って恭しく跪き、祈り始める。

 両手でロザリオを握り、決意揺らがぬ意思とともに顔をあげ、絶え間ない礫の雨をきりりと睨む。

 その最中、彼女は背後にいる二人の仲間を想う。

 するとロザリオがぼんやりと光り、その小さな手から微かな明かりが漏れた。



「不浄を払拭する光の聖域をここに! スターライトレース!」



 アイエスが忠誠の言葉を紡ぎ終えると、ほんの僅かながらその懇願は聞き届けられた。

 彼女を囲う黄金の魔方陣が生じると、そこを優しい明かりが照らす。

 きらきらとさんざめく星明りが降りてきたように、一身に輝きを浴びながら、黙して彼女は祈り続ける。



「すごい、戦いの最中に成長したってのか?」

「ってゆーか、綺麗すぎ」



 そのきらめくアイエスの姿に見惚れるばかりのギデオンとリン。

 降り注ぐ礫をやり過ごしていることも、今だけは気付かない。それほどまでに幻想的な情景だ。

 彼女が盾となり、まるで濁流を割る岩のように礫の雨を防いでみせた。

 この星明りの色彩レースが照らすは絶対不可侵の領域。

 祈りし者が悪と見なせば、決して踏み入ることの叶わぬ聖域である。



「ここに、我らの尊厳は、護られ、ました」



 ほどなくしてアイエスは祈りを終えた。

 全身に汗を滲ませ、息も絶え絶えに床へ手を付く。



「黄金神よ、感謝、致します」

「アイエスちゃん!」

「大丈夫か!?」



 思わず駆け寄る二人。

 リンがアイエスの背中を優しく支えると、黄金の魔方陣はさらさらと砂のごとく風に消える。

 本来であれば、祈祷の続く限りにおいて絶対障壁を成すものだが、僅か数秒足らずで消失した。

 だが身を護るにはそれで充分だった。



「なんで、こんな無茶をするのよ」



 声を震わせ、涙ながらにリンは言った。

 優しく言葉をかけながら、己が腕にいる健気な神官を慈しみの目で見つめる。



「私、神官ですので」

「ったく、俺とリンの見せ場だったのによ。 前衛職が形無しだぜ」



 ギデオンは感動と高揚まじりで感謝を述べた。

 アイエスは自分を見つめる二人を交互に見やり、満足気にかぶりを振る。



「それは違います。 私があなたたちを守るんです」



 アイエスの言葉が弱まるに合わせ、彼女の体から力が抜けていくのをリンは感じる。



「守れて……良かった」



 そしてアイエスは目を閉じ、気を失った。

 リンは思わず精魂尽き果てた彼女を胸元に引き寄せ、強く優しく抱き締める。

 その刹那だった――。



 意識を沈めるアイエスの頭からヴェールが落ちる。

 すとんと垂れる金糸のごとき優雅な金髪。

 そこに二人が見たのは、疑いようもない忌避されし象徴、即ち葉の形をしたエルフの長耳だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ