13話 魔法剣士の祈り
ぽつんと水滴が垂れる真っ暗な地下墓地の中、カンテラの小さな灯りを受け銀色に閃く刃があった。
三つ編みのおさげを揺らし、腰に小さなカンテラを下げ、ミニスカートをひらひらと翻している。
「これでとどめよ!」
右手にあるシンプルながら美しい銀刃の細剣が、オークの太い首にある動脈を切り裂く。
すると壊れた噴水のごとく真っ赤な血が飛沫をあげた。
既に全身に切り傷を刻まれていたオークは、断末魔もあげずに仰向けに倒れた。
そこに立つは、ぴんと背筋を張る細い影。
魔法剣士のリンだ。
リンはすぐに細剣を勢いよく振り下ろし、刃を染める鮮血を床に飛ばした。
コケで覆われた石造りの床に赤い直線を引くと、悩ましげに溜め息を吐く。
「はあ、これで三匹目か。 ほんと、疲れた」
息を荒げながら細剣を鞘へ納め、カチンと鳴らす。
その場にへたりこむと、床に生える湿ったコケが太ももに触れ、冷んやりとして心地良い。
熱ばんだ体を冷ますべく、ぱたぱたとシャツの胸元をはたく。
しばらくすると、思い出したようにズキズキと頭痛が疼き、顔をしかめる。
されども警戒は怠らない。
無意識に細剣の刃こぼれを確認するが、大丈夫、まだまだ振り回せそうだ。
むしろ自分の体調の悪さの方に文字通り頭を抱えるリンだった。
普段の彼女なら、問題なくオークの一匹や二匹なんて片付けるだろう。
だが今は不意打ちされた傷が痛み、更にここは慣れない闇の中だ。
カンテラの火が消えないよう気を配る必要があり、自慢の速度を押さえながらでないと戦えない。
もしこんな陰鬱な場所で光源を失えば、命を落とすのは想像に容易い。
「うっそでしょ、自分でも、信じられない」
リンがぼやくのは己の不覚さだった。
さきの武器庫での事、一切の油断をしていなかったといったら嘘になる。
かといって、動きの鈍いオークに不意打ちされたとは到底信じ難いものだった。
耳が敏い神官ことアイエスが同伴していたので、ついつい気が緩んでしまったのだろうか。
大きくかぶりを振って記憶を辿る。
――もしかしてオークが気配を消してたってこと?
とてもオークの芸当とは思えないが、そう思うのが自然だというほかなかった。
なにせ地下墓地に来てからのオークの数だ。
倒した数こそ多くはないが、遭遇した数ならば十は軽く越えている。
もはや疑いようもない。ここはオークの巣窟と化しているのだ。
脳筋にして猪突猛進な魔物オーク。
やつらにあるのは短絡な欲求と貪欲さだけだ。
足音や息遣いを忍ばせる賢さがあるとは、通常ならば凡そ考えづらい事ではある。
「オンナ! オンナノニオイ、スル!」
「オレガヤル! ゴチソウ、タベル!」
さして休む間もなく、地下墓地の通路にオークの声が響く。
やつらは夜目も鼻も利き、そもそも光源と共にある自分の位置を特定するのは難しくないだろう。
リンは鞘を杖のようにして立ち上がり、声のする方から急ぎ足で離れていった。
しかし廃城の地図など持たないリンには、この結果は必然だったのかも知れない。
地下墓地ならそう入り組んだ構造ではないはず。
その考えに誤りはなかった。問題となったのは、多すぎるオークの数である。
リンは壁を背にしながら、じりじりとオークに迫られていた。左右に一匹ずつと正面に二匹だ。
鼻息を荒くしながら、剣や槍を構えている。しかも全員盾持ちときたものだ。
とうぜんこれらは廃城から持ち去った物だ。つまり超の付く一級の武具である。
――なんなの一体、なんでオークがこんなきちんと武装してるのよ!
リンのよく知るオークならば、奴らの得物は自製の不細工な石器や投石、盾とは呼べないような石版がもっぱらだ。
なのに目の前にいる奴らは国の造りし一級の武具を構えている。
そんな深緑の巨体が揃いも揃って自分に迫っているのだ。恐ろしくないわけがない。
この時ついにリンの心に恐怖が芽生え、手足が僅かに震え始める。
その様子を見て下卑た笑みを浮かべるオークたち。
――そもそもなんでこんな場所にいるの!?
元来、オークは荒地や原っぱで生きる魔物である。
廃墟に棲みついて砦を成すこともあるが、今回はまったくそれとは異なる。
どうして真逆と言えるコケ生した地下墓地に住み始めたのか。
ふと廃城の破られた入り口を思い出し、リンは愕然とした。
あれは例の黒き騎士ではなく、このオークたちの仕業なのだと思い至ったのだ。
そうとわかれば早くここから出るべきだ。
魔物の巣窟と判明した以上、悠長に調査をしてる場合ではない。
聖都に戻って報告し、後は国の騎士団にまたぞろ働いてもらうとしよう。
リンは愛する恋人と頼もしき神官を思いながら、彼女の信ずる神へと祈りを捧げる。
「純潔なる地の神ディアマンテよ!」
叫ぶなり細剣の柄を飾る宝石が輝く。
細剣をゆっくりと鞘から抜くと、刀身が蒼白く眩い光を散らす。
そのあまりの眩さにオークたちは警戒し、足を止めて盾を構えた。
「この身に降る不浄を払うべく、この無垢なる想いを聞き届けたまえ!」
そしてオークらが動きを止めて身構えた瞬間、リンは輝く細剣を床にとんと突き、祈りの奇跡をもたらす。
「輝け! ダイヤモンドダスト!」
リンを中心に大小様々な宝石の刃が足元を始め一帯へと無数に突き出し、全てのオークを無残に串刺しにする。
手足や体を派手に貫かれたオークらに自由はもうない。もがくことも倒れることも許されない。
やがてオークらの口や体に開いた大穴から、たらたらと真っ赤な血が流れる。
そこに間髪いれずリンは頭を垂れ、純潔神への感謝を示す。
「不浄は去りました。 純潔神よ、感謝いたします」
そして奇跡の形跡は消えた。
宝石の刃は砕けて粉砕し、それに合わせてオークの亡骸も木っ端微塵へと成り果てる。
宝石の粉塵が舞う、見事に綺麗な魔法だった。
これにて一難は凌いだ。
残す魔法はあと一回、だがこの満身創痍の身では次に使ったら意識を保っていられるだろうか。
今の祈りで激しく精神を磨耗し、壁に背をやり荒く上下する胸を撫でる。
「ギデ、お願いだから早く来て……」
リンは疲弊しきった己の限界を悟る。
意識が朧気になるなか、遠くの更なるオークたちの話し声に目眩を覚えた。
立って逃げるか、だがどこへ?
そんなのは決まってる。このまま逃げ続けるほかないのだ。
細剣を鞘に納め、壁に手をやり立ち上がる。
逃げる先はどっちかと判断に迷いが生じた瞬間――
揺れる三つ編みのおさげを何かにぬうっと捕まれ、リンは不意に足止めを強いられる。
背後に感じる恐怖に汗を流し、振り向いたそこにいたのは――
「久シブリノ女ダ。 今夜ハ楽シメソウダ」
青黒く筋骨隆々とした肉体。頭の左右にある太くて黒い角。他の雑魚とは明らかに別格の巨体オーク。
どこにいたのか、いつからそこにいたのか、こうなってしまえばそんな些末など関係ない。
姿を確認するなりリンの恐怖は一気に加速する。
「オークキング……」
キングは満足気に鼻をひくつかせると、とりあえずとばかりに短剣のような歯が並ぶ大口を開いた。
「いや。 ギデ……ギデ……ギデ……」
リンは体を大きく震わせ、愛しの恋人の名を何度も何度も口ずさみ、ただただ祈りを捧げた。