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 少女は、名をシルヴィアというらしい。

 笑顔なんてものを少しも浮かべない、鉄面皮の少女。……簡易な自己紹介は済ませたものの、彼女は俺を名前で呼ぼうとはしなかった。いわく、神子様は神子様、ということらしい。


「こっち」


 最低限のことだけ告げて、彼女は谷の奥へと入っていく。

 いや、谷と呼ぶのはおかしいかもしれない。亀裂だ。地面を50メートルに渡って裂いており、人一人がギリギリ通れるほどの足場が伸びている。


 シルヴィアは迷わず入っていった。

 足場はかなり悪い。加えて底は見えず、踏み外したらその瞬間、あの世まで真っ逆さまだろう。……飛んで奥まで進めりゃ楽なんだが、こうも狭いと竜化自体ができない。


「ひいいぃぃ……」


 紫音の反応は、至極当然とも言えた。

 一歩一歩、確かめるように彼女は歩いていく。俺はペースを合わせているからともかく、シルヴィアとは大きく距離を開けてしまっていた。


「な、なんでこんなところ、通らなくっちゃいけないのー! 普通に外歩けばいいじゃん……」


「駄目、敵に見つかる」


「敵ってのは、さっきの連中か?」


 問いかけに、シルヴィアは頷いたあと首を横に振った。どっちだよ。

 しばらく降りていくと、左手の方に穴が見える。彼女は俺達が付いて来ているかどうか確認せず、穴の中へと入っていった。


「うう、こんなことなら身体鍛えとくんだった……」


「おぶっててやろうか? 下手して踏み外したら大惨事だぞ」


「う、ううん、大丈夫。先輩にそこまでお世話になるわけには……あと恥ずかしいし」


 疲れ切った意地で、紫音は時間をかけつつも追いついてきた。

 シルヴィアのあとを追って、ようやく穴の中へと入る。足場はさっきと比べ物にならないほど安定していた。傾斜になってはいるものの、転がり落ちる程のレベルではない。


 出口までは10メートルもなかった。

 しかしどこに繋がっているのか――シルヴィアは登り終えてしまったようで、視界に中にはいない。かといって俺達を呼びに戻る気配もなかった。割といい加減な性格なのかもしれない。あるいは天然とか。


 隣にいる紫音の呼吸は、乱れる幅を徐々に大きくしていく。

 やはり相当な疲労があるんだろう。シルヴィアがこの辺りに住んでいることを祈るしかない。人里に行けば、もう少しまともな休息が取れるはずだ。


「ふ、ぅ」


 最後の一歩を踏んで、視界は一気に開けた。ここ数日見ていた地平線はどこにもない。――ましてや、荒れた土地すらここからは見当たらなかった。


 町がある。

 中世を思わせる、石と木による町だった。太陽の光はない。洞窟の中に建てられているようで、空は冷たく分厚い岩盤によって覆われている。


 もっとも、決して暗い空間ではなかった。

 そう、それがおかしい。建物には近代の匂いがしないのに、町の所々には街灯が立っている。暗闇なんてのは、街角に追放されただけの存在だった。


「みんな、神子様が来た!」


 奇妙な風景へ釘づけになっていると、シルヴィアが高らかに宣言する。

 するとどうだろう。町の人々が一斉に集まり始めた。……この反応だけで、彼らが神子の到着を今か今かと待っていたのが推測できる。


 口々に出てくる神子様コール。他人から持ち上げられることに慣れていない俺は、ただ立ち尽くすばかりだった。

 集まった者は子供から老人まで。いずれもシルヴィアと同じようなローブを羽織っている。彼女が持っていた白い角も、サイズは違えこそ全員が持っていた。

 なんなんだコイツらは。こっち敵視しているわけじゃなさそうだが……。


「神子様、こっち。族長に紹介する」


「あ、ああ……って紫音、大丈夫か? 休むか?」


「ん、今は大丈夫」


 無論、そんなのは口だけだ。

 でも彼女は、頑なに弱音を吐かない。きっと集まってきた人々に警戒しているんだろう。歓迎されてはいるが、どういう理由で彼らが歓迎しているか分からないのだ。身を預けるような真似は、したくても出来ないのが本音だった。


 シルヴィアの後について、俺達は何の整理もされていない岩肌を歩いていく。

 住人は全員が集まったわけではないらしい。窓から、神子様! と声を荒げて手を振る者が何人か。かなり年配の者が多かった。


「――なあ、ここにいる人たちは何なんだ? そもそも神子って……」


「族長が説明する。私達については――神子様の同族。貴方の敵じゃないから、安心して」


「同族?」


 始祖魔術の使い手、ということか?

 想像して、俺は直ぐに首を振る。始祖魔術は本来、量産不可能なオーダーメイドだ。術を伝え続ける家の頂点に立つ者、ただ一人が継承できる。


 ここにいる全員が同族だとすれば、彼らは何かしらの方法で始祖魔術を量産していることになる。

 ……有り得ない、と否定できる根拠はない。俺達は少し前、量産化された始祖魔術を目にしている。もしかしたらここでも、同じ技術が流通しているかもしれない。


 でも、あの角は?

 それだけが解釈できなかった。身内にだって、あんな角を生やしている魔術師は見たことがないし。


「ここ」


 考えている間に、大きな家が目の前にあった。

 他の家すべてが平屋なのに対し、ここだけが二階建てだった。町の中で一番権力を持っている人物だと、住宅から表現している。

 シルヴィアはそのまま中に入っていった。横に立つ紫音は、俺にしがみ付く力を一層強くする。


「神子様、早く」


 なかなか入ってこない俺達を気にして、シルヴィアが催促した。

 今度こそ、俺は家の中に踏み込んでいく。でも、警戒心が一番大きくなっているのは紫音だろう。しがみ付いたまま、落ち着きのない様子で内部を見回している。


 中には玄関らしい玄関がなかった。居間とキッチン、あとは二階に通じる階段があるだけ。

 シルヴィアはその階段を上っている。途中で止まってこちらに振り向き、早く、と髪のように紅い瞳が呼び掛けていた。

 岩を削っただけの単純な階段を、俺と紫音は進んでいく。


「よくぞ参った、神子殿」


 登りきる少し前で、数度目になる歓迎の言葉を聞く。

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