第三部 始
魔術都市を出てから、数日が経過していた。
休みながらの進行ではあったものの、目的地は未だに見えてこない。本当に機甲都市があるのか――一抹の不安を抱きたくなるほど、辺りの風景には変化がなかった。
強いて変化を上げるとすれば背後だろう。出発地点は既に見えなくなっており、茶色い地平線が見えるだけだ。
「大丈夫か? 紫音」
急な岩山を登りながら、背後にいる紫音へ語りかける。
運動神経が悪そうな彼女は、やっぱり疲れ切っていた。――まあ仕方あるまい。ここ数日は歩きっ放しで、まともな場所での休息も取れていない。むしろよく持ってる方だ。
「う、うん、大丈夫……」
「とてもそうには見えんぞ。ほら、手ぇ貸せ。もう少しで登り終わるから、それで休憩だ」
「う、うん……」
今にも倒れそうなぐらい元気に、紫音は手を伸ばした。
掴んで引き上げると、妙な音が聞こえてくる。鳥の鳴き声だ。ご丁寧なことに今日も、群れを組んでやってきたらしい。
もちろん野生の鳥ではなく、鉄の鳥とでも称すべき連中だが。
「隠れるぞ」
すっかり覇気を失った声で、紫音は山を登り終えた。
手頃な岩影を発見し、俺達はそこへ潜り込む。――少し経って、入れ違うように機殻箒の姿が見えた。頭上を旋回している辺り、何かを探しているんだろう。
それを自分達と繋げられないほど、俺と紫音は平和な生活を送っていない。
「……」
息を殺し続けること更に数秒。機殻箒は山の向こうに消えていく。
他にも数機の機殻箒が来ていたようだが、俺達に気付くことなく去っていった。もちろん、魔術都市の方向である。
「アタシ達を探してるのかな……」
「可能性は高いな。単にこの辺りを捜索しているのかもしれんけど」
「そっか、ここ機甲都市との境界線だもんね。……にしちゃあ広過ぎな気もするけど」
これまでの道のりを思い出したんだろう。紫音は、肩を大きく落として嘆息する。
さて、休息はこの辺りで終えるとしよう。まだまだ昼間、目的地までの距離を詰めるには絶好の時間だ。
しかし立ち上がったのは俺だけ。日影が差していることもあって、紫音はその場で寛ぎきっている。
「――紫音、辛いんなら俺、飛ぶぞ? 移動距離だってかなり稼げるし」
「い、いいって。先輩がそんなことしたら、向こうの人達に見つかっちゃうよ。最初に決めたでしょ? 飛ばないようにしよう、って」
「……だったら方針転換だ」
「へ?」
返事を待たず、俺は竜の器を纏う。
高くなった視点から見下ろせば、紫音は慌てて腰を上げた。
「ま、まずいってば! 下手したら、機甲都市と挟み撃ちになっちゃうよ?」
『紫音、疲れてるんだから無理すんな。元気なお前だったら、よっしゃやっちゃお! って言っている筈だぞ』
「うぐ」
だいたい、敵なんて潰せば万事解決なんだし。
手に乗るよう催促すると、彼女はしぶしぶ乗ってくれる。よし、これで一気に機甲都市まで近付ける。
翼に力を込めて、いざ天空へ。
そう思った直後だった。
「爆発……?」
俺達を狙ったものではない。が、近くで確かに、何かが爆発した。
素直な好奇心はそちらに向かえと命じている。紫音の方も似たようなもので、どうする? と首を傾げていた。
――機殻箒が事故でも起こしていない限り、そこには新しい要素の存在が考えられる。機甲都市なり、この不毛な土地で生きている誰かなり。
無視するのは、かえって不利益にしか思えなかった。
暴風を叩きつけ、一気に高度を上げる。登っていた岩山は眼下に。最初から飛んでた方が良かったか、と少しばかり後悔した。
爆発の発生源は直ぐに確認できる。俺達の進行方向、下山した先にある平地からだ。
「誰かいる?」
「いるな。性別までは分からんが」
周囲から追い立てているのは、さっき俺達の近くにも来た機殻箒だ。バイクと箒を合わせたようなシルエットで、逃げている誰かに攻撃を繰り返している。
彼らにとっては、危険な相手というわけだ。
攫うような暴挙に走らないのは、向こうが反撃をしているからだろう。回数こそ少ないが、チャンスを見出しては攻撃に移っている。
「とにかく助けようよ! 統括局の局員ってわけでもないんでしょ?」
「ああ……!」
重心の切り替え、視界の急激な変化は同時だ。
向こうはこちらに気付いていない。目前の獲物に群がってばかりで、背後から迫る驚異はどこ吹く風だ。
かわいそうに。
まあ、手加減なんて出来っこないが。
「ぐおっ!?」
機殻箒の後部を、爪の一撃で爆砕する。
バランスを崩した箒は、パイロットを乗せたまま地面を二度三度と転がった。緊急時の結界が発動し、その中でパイロットはシェイクされている。
お陰で彼は生存していたが、表情を恐怖に染めることからは逃れられなかった。
――それについては、仲間達も同じだが。
「こ、こいつ……!」
「報告にあった黒竜か!?」
いつの間にか有名人の仲間入りを果たしていたらしい。
それでも反撃は即座だった。
魔弾の展開、応援の要請、負傷者の回収――彼らは淀みない、ある種の機械じみた動きで行っていく。
だが一時しのぎ。
顔を合わせた時点で、敗北は必定だ。
「ぐっ……!」
片手で紫音を支えながらも、黒竜に弱さは無い。
圧倒。
ただそれだけのため、黒銀の爪が振るわれる。魔弾は弾け、最低限の役割すら果たせない。それでもと撃ち続けたところで、無駄を増やすだけだった。
「っ、撤退するぞ!」
判断は速やかに。機殻箒が使えない一人は同僚の後ろに乗り、あっという間に青空へ消える。
となれば俺達も、ここに長い出来る状態ではない。彼らは連絡を飛ばしていたのだ。襲われていた誰かさんと一緒に、この一帯から脱出しなければ。
『……さて』
どんな奴を助けたのか。それぐらいは落ち着いて確認しよう、と敵意を引っ込めて振り返る。
突然の展開に呆然としているのは、一人の少女だった。
彼女は色のない顔付きでこちらを見ている。それは、始めて見るものに困惑している獣もようでもあった。
服装は端が切れ始めているローブ一枚。竜化で身長が高くなっているため、靴を履いているのかどうか、俺からは確認できない。
『えっと、君』
「っ」
喋ると思っていなかったのか、少女はビクリと肩を震わせる。
警戒しているような雰囲気はない。逆に興味があるようで、こっちのことをジッと見つめている。……心なしか、目が子供のように光っていた。
改めて見ると、きちんとした美少女である。
体格から考えるに、俺達と年齢は変わらないように思う。といっても無表情なこともあり、少女には二つか三つは年上の雰囲気があった。
肩まで伸びた紅い髪は実に見事で、見るものに鮮烈な印象を与える。
もっとも当人に自覚は無いのか、あまり手入れはされてなさそうだった。髪はあらぬ方向に跳ねており、勿体ない、という感想を誰にでも抱かせる。
そしてもう一つ、彼女には特徴があった。
角。
竜に生えていそうな、30センチほどの立派な白い角。それが、彼女の額から伸びている。
――ともあれ、いい加減もとに戻ろう。
紫音を下ろしてから、俺は竜化を解除する。あ、と声を漏らす紅髪の美少女。そこには驚きではなく、別種の感動が混じっている。
内心で首を捻りながら、改めて少女と向き合った。
「――神子様」
「?」
聞き覚えのない単語を、紅い少女は口にして。
「神子様っ!」
紫音の目をはばかることなく、抱き付いてきた。
「神子様! 神子様だっ! やっと会えた……!」
「は、はあ!? ちょっとま――痛い痛い痛い! 抓るな紫音!」
しかし言い訳の余地はなし。抱きしめる力も、抓る力も強くなる。
なんだか、厄介なことになってきた――
魔術都市を出て数日、新しい事件に巻き込まれそうな予感があった。




