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医者に見せることも出来ず、紫音は寝室で横になっている。
原因についてはまったくだ。しかし今は眠っているだけのようで、熱を始めとした問題は起こっていないらしい。――それどころか、体温が逆に下がっているとか。
「何か知っているんじゃないか? 誠人」
居間の中。テーブル越しに向かい合う紫音が、真剣な眼差しで尋ねてくる。
――事実を語るべきかと思ったが、さすがに本人の承諾無しで語れるものではない。ここには母だっているのだ。今でこそ寝室で看病に当たっているが、間には薄い壁が一枚あるだけで。
「すみません、俺からは何も」
「それは知らない、ということか? それとも、話すことが出来ないのか?」
「……」
「いいか誠人、私は彼女のために聞いているんだぞ。もし重い病気なら、専門家に診てもらう必要がある。……まあ実質的に内乱中だからな、直ぐには無理だろうが」
俺は内心で首を横に振った。
彼女を医者に見せても仕方ないし、医者に見せるわけにはいかない。
「まあまあお嬢様、誠人様にも事情がありますから。貴女はそれとも、他人の秘密を暴くことに快楽を覚える方なのですか?」
「な、何を言う!? そんな悪趣味は、お前の方がお似合いだろ!」
「おや、これは痛いところを突かれましたね。さすがお嬢様、私のことを良く分かっておいでだ」
「全然嬉しくないけどな!」
ふんっ、と勢いよく立ちあがって、恋花は寝室へと消えていく。
思わぬ援護射撃に、俺は感謝の念を示すだけだ。彼は事情を知っているようだから、気を遣って場の空気を誘導してくれたんだろう。
「お気になさらず。お節介な性格は、お嬢様の悪いところですから」
「そんな、責任があるように言わなくても……」
「いえいえ、私はあの方にずっと仕えてきましたからね。どこかで道を治す機会は、あったように思うのです」
「……機会なんて、これからいくらでもありますよ」
「はて、本当にそうでしょうか?」
慰めるつもりで言った綺麗事。
にも関わらず、ユーステスの真剣な反撃がやってくる。
「人間というのは、歳を重ねるほど頑固になっていきます。それは性格という問題ではありません。積み重ねた生き方、人生という土台が、人間の価値観を生成していくからです」
「……恋花先輩は、それが既に強固だよ?」
「はい。まあお嬢様に限った話ではないでしょう。私も誠人様も、これまで培ってきた自分を壊すことは簡単に出来ません。相応の衝撃を持たない限りは、ね」
「そういうもん、ですかね?」
「ええ、そういうもんです。誠人様だって、紫音様を嫌うなんてこと、考えられないでしょう?」
そりゃそうだ。今は彼女に夢中で、本来ある血の繋がりなんて希薄になりつつある。
妹だから手は出せないと、そう思っていたことはあった。
しかしここ最近、意識する機会は減っている。それは自分の心持ちもあるし、彼女が厳密な意味では妹の別人だからだ。……かといって好意へ素直に応じられないのは、俺が情けないだけなんだろう。
「駄目ですかね? そういうのって」
「まさか。過去を否定してしまっては、その人物も否定することに繋がります。大切なのはそれらを自覚し、糧としていくことですよ」
「糧、ですか」
「見方を変える、と言ってもいいですね。例えば誠人様なら、世間体など関係なく妹様を愛している、ということになります。お嬢様でしたら、過去に束縛されているのではなく、それだけ父や地陣家を大切に思っている」
「……なんだか、簡単に訳してきましたね」
「実際がそうだからですよ。物事を難しく考え過ぎるのは良くありません」
単純に、やりたいことを。
紫音も同じように背中を押してくれる。――なら、彼女は分かっていたんだろうか? 人間として最も単純な生き方、欲望に沿うということを。
「さて、紫音様の話に戻りましょう。誠人様、彼女の体調を預けても問題ない方は?」
「どうでしょう……紫音の母親なら、何か分かるかもしれませんけど。元技術者ですし」
「とすると、学園の方にいる可能性が高いですね……ふむ」
腕を組んでいる彼は、どう見たって悩んでいる。
ここから学園まで、距離はもちろん危険だって伴うだろう。無策のまま突撃することは控えたい。
「……そもそも、紫音はどうして倒れたんですかね?」
「――誠人様、ちょっと」
「?」
一瞬、ユーステスは閉まっている寝室の扉に目を向けていた。
直後。
《ヒソヒソ話でもしようかと思いましたが、こちらの方が楽ですね》
「ね、念話ですか?」
《はい。私、紫音様と同じく夢魔の能力がありまして。まあ男性に対してこういうことを行ったのは、あまり経験がないのですが》
「へえ……」
とはいえ、俺の音量は抑えなければならない。こっちも念話が使えれば良かったんだが、残念なことに種族がら不可能だ。
《紫音様の症状ですが……恐らく以前お伝えした、始祖魔術の統御機能で起きている負担かと》
「じゃあ、衝突が終われば――」
《症状は回復するでしょう。しかし先ほども申しましたが、統括局の抵抗は激化しています。……反統括局が、紫音様を始末する可能性も否定できません》
「……体調を治すより、戦いを止める方が優先ですか」
《はい》
さて、どうするべきか。
一番簡単なのは、統括局を倒し切ってしまうことだろう。が、それだと紫音を危険視する流れが止まるかどうか分からない。
奇跡的に統括局が勝利しようと、状況は似通ってしまうだろう。彼女が兵力の中心になる以上、以前通りの振る舞いが約束される根拠はない。
もし、方法があるとすれば――
「誠人」
「? どうした母さん」
寝室の扉をいきなり開けた彼女の背後。意識のない紫音を背負っている恋花がいる。
「何者かに結界が解除さ始めています。何やら、機械の兵士でした」
「くそ、そっちから来たか……」
「とにかく脱出するしかありません。彼ら、とてつもない勢いで迫ってきます。こちらに戦闘を仕掛ける気かと」
狙いは紫音か。いや、全員という可能性もある。
なら戦うまでだ。意地にかけて、仲間には指一本触れさせない。
「ユーステスさん、母さん達をお願いします」
「お任せを。誠人様の方こそ、あまり夢中になり過ぎないよう注意してください」
「はは、胆に命じときます」
急ぎ用意を整え、俺達は二手に分かれた。
密集する木々の中を駆け抜ける。頼りにするのは、辺りに残っている結界の残滓だ。粉雪のように舞い散っているソレは、今も結界が解かれていることを示している。
残滓が濃くなれば必然、その方向から破壊が始まったということで。
「いた……!」
喜びに似た声を漏らしながら、竜化する。




