3
「今のユーステスさんは、どういう立場なんですか?」
「虎勇様との契約は先ほど切りましたので、統括局の一局員になりますね。……ですが、少々おかしな部分もありまして」
「どの辺りが?」
「局の上層部から、貴方がたに協力するよう申し付かっているのです」
妙と言えば、妙な告白だった。
「……それは、俺と虎勇さんが戦うことになろうとも、マキアスからの要求を断ることになろうとも、ですか?」
「虎勇様に手を出すな、と脅してきたことですね。……恐らく、それらの事態を許容するものではありましょう。好きにさせるように、との指示でしたから」
ますます分からない。統括局は何を考えている?
最低でもマキアスとの間に齟齬があるのは間違いあるまい。彼は単に、利用されているだけの存在ということか?
哀れというか馬鹿というか。まあ、どちらにしたって笑ってやるけど。
「では改めて、私は失礼します。何か御用でしたら、後で私の方にご連絡ください」
「えっと、メールアドレスとかは……」
「既に登録してありますので、ご心配なく」
「え」
まさかと思って携帯を開けば、電話帳に一つ新しい名前が。何やりやがったあの野郎。
しかしユーステスは悪びれた様子もなく、一礼してから退出する。さすがに鍵は閉めてくれなかったが。
「……まったく、色々と動きそうだな」
「そう、だね」
紫音の声はどこか浮かない。
朝、彼女から聞いた言葉が脳裏を過る。――でも俺には、そこまで大きな愛情表現なんて出来ない。
なのでひとまず、隣へ座ることにした。
「……」
「せ、先輩?」
不安げそうに見上げてくる、幼馴染の思い人。
昔を思い出しながら、俺は彼女の頭に手を乗せた。
「ん、どうしたの先輩? 子供扱いしちゃって」
「別にー。何でもない」
「何でもなかったら、こんな昔みたいなことしないよねえ? ……アタシも子供じゃないんだし、もっとランクアップした慰めが欲しいな」
「た、例えば?」
「熱い抱擁」
「ごめんなさい」
将来のツケにでもしてくれればいいんだが。
紫音は半分が不満のありそうな顔で、残りの半分はやっぱり嬉しそうだ。思い付きではあったが、多少の効果があったらしい。
もうちょっと、大胆になれればいいんだけど。
そんなことを思いながら綺麗な黒髪を撫で続ける。
―――――――――
紫音を守ることと、恋花を救うこと。
両方とも達成するのなら、相応のリスクは背負わなければならない。それは時間だったり安全だったり、天秤で測る代償であるべきだ。
故に、釣り合いを取るのは大切だと思う。
『よろしいのですか? 私で』
「マキアスなんぞに比べれば、よっぽど信頼してますよ」
『しかし……』
受話口の向こうにいるユーステスは、さっきからずっとこの調子。
まあ反対したところで今更ではある。時刻は深夜。俺は寮を離れて、単独行動の真っ最中なのだから。
「紫音のやつはちゃんと寝てますか?」
『ええ、今のところは。ただ、寝言で誠人様の名前を連呼しておられます。どうも幸せな夢を見ているようで』
「……そりゃ良かった」
明日の朝にでも、本人の口から聞くことになるんだろう。
その時に向けて覚悟を固めながら、俺は懐かしい道を通っていく。地陣家の屋敷へ通じる、広大な敷地の一角を。
もちろん正面から突撃するような真似はしていない。周囲に建てられた住宅の間を、縫うように歩いていく。
時折見かけるのは、地陣家に仕えていると思わしき魔術師だ。
術式甲冑を着た正式な出で立ちで、暗闇の中を注意深く見回している。
「正面突破したいところッスけど、バレたら面倒そうですね……」
『虎勇様も警戒しているでしょうからね。加えて地陣家の関係者は、量産化された始祖魔術の影響を受けている可能性もあります。多勢に無勢の状態は避けるべきかと』
「……ユーステスさんって、本当につさっきにまで向こうにいたんですね」
『一度交わした契約は、最後まで履行する性格ですから。まあ先ほど言った通り、それも今日限りです。持っている情報はすべて話しましょう』
「量産化始祖魔術の話、もうちょっと早めに知りたかったんですけど」
『はは、これは手厳しい』
そう話している間にも、警戒は怠らない。
角から向こうを覗きこめば、警備に当たっている魔術師が三名いる。その場から動く様子はなく、かといって避けて通るのは難しい。屋敷があるのは彼らの向こうだ。
無論、想定済みの態勢ではある。
俺は道を外れて、近くの空き家へと侵入した。塀に囲まれた庭の中を、ぬき足さし足で動いていく。
「確かこの辺に……」
あったあった。
草むらの中に隠れていたのは、地下通路へと通じる扉。子供のころ、存在だけは恋花から聞いていた場所である。秘密の脱出路、というやつだ。
一軒家の周囲には誰もいない。当主の家系以外、知らされてはいないんだろう。
それでも物音は出さないようにしつつ、俺は階段を下りていく。
中には、夜の風と似て冷たい空気が広がっていた。照明は低い天井にある蛍光灯だけ。奥まで真っ直ぐ続いており、屋敷の位置とも合致する。
「もしもし、ユーステスさん? 予定通り、地下通路に入れましたよ」
『ご苦労様です。……しかし、私も聞いたことがありませんでしたよ、その存在は』
「本当に最悪の場合、を想定して作ったんでしょうね。俺も恋花先輩からしか聞いてませんし」
『……お嬢様の危機意識が少し心配です』
「ま、まあ、当時は子供でしたから」
本当に遊び半分で、ここを紹介された気がする。
今になってみると重大なミスでしかない。が、過去の過ちを責めるのも的外れだ。当時は悪意の欠片もなくて、心の底から楽しんでいたのだから。
……今も、それが続いていれば良かったのに。
過去に想いを馳せながら、一人分の足音を響かせていく。余計な感傷は頭の片隅に。考えるべきことを先に考えろ。
「――やはり来たか」
ゴールの階段がある、その手前。
地陣恋花は単身、俺の前にやってきた。
「あれ? 虎勇さんは?」
「父を連れてくるわけがないだろう。君がここを使用しているのは、私が教えたからだ。自分の責任は自分で取るさ」
「なるほど」
「……」
最低限の応答。恋花も決意は固いようで、眼差しを直ぐに切り替える。
通路はさして広い作りをしていない。ここまでの狭さだと、竜化そのものに支障をきたしそうだ。
戦うのであれば小細工なし、人の器で正面衝突することになる。かなりどころか、相当厳しい一戦になりそうだ。
もっとも、俺の目的は恋花を連れ出すこと。
彼女には申し訳ないが、俺の胸中に戦意はない。
「先輩、こっちに来てください。虎勇さんが正気じゃないって、一番分かってるのは貴女でしょう?」
「ああ。父が別の誰かになってしまったのは、君が来るまでに痛感したよ。……でも、だからって見捨てていいのか? 兄を殺した君に問うべきではないかもしれないが」
「耳が痛いッスね。……俺だって、それで引く気はありませんけど」
「何故だ? 私をここから引き出して、君に何の得がある? 君には私より、守りたい女性がいる筈だ」
「確かにそうッスね。――でも結局、俺が守りたいのは俺自身の考えと趣向です。それにかなう範囲で、先輩を助けに来たわけですね」
「冗談は聞いていないぞ?」
俺はかぶりを振る。喉を振るわせたのは、本音以外の何でもないから。




