2
マキアスなんて想定外が来たお陰で、食事は少々遅くなる――
そんな連絡を知人から受けたので、今は部屋で待機するしかなかった。こっちに持ち込んできた本を片手に、時間を潰すことにする。
と言っても、あまり読書に集中できる状態ではなかった。
「えへへー」
少し視線を上げれば、ニヤケきった顔付きの紫音がいる。
俺の本音がよっぽど気に入ったのか、彼女は部屋に戻ってからずっとアレだ。時には枕をかかえ、ベッドの上をのた打ち回っていたりする。
反面、こっちは思い出すだけで恥ずかしい。
頭に血が上ってつい言ってしまったが、あんな小僧の前で話す必要はなかった気もしてくる。まあ確かに、改めて気持ちを固めるにはちょうど良かったかもしれないが。
「はあ、青春、青春だねえ」
「……」
あんな恥ずかしすぎることを言うのが青春だったら、俺は遠慮しておきたい。
――この辺り、俺はまだまだ子供なんだろう。勢い任せに喋ることが出来ても、冷静になると迷ってしまう。
あるいは、大人だから迷うのか。
「なあ紫音」
「うん?」
「……いや、何でもない」
これからも宜しくな、って言おうと思ったけど、やっぱ恥ずかしいや。
小首を傾げる紫音だったが、一秒も立たないうちに笑顔を浮かべる。何か企んでいるようなその顔、絶対こっちの心理を見透かした顔だ。
「なになにー? 告白だったらいつでも聞くよ」
「――」
「ちょ、ちょっと、真顔で黙んないでよ先輩。なんか恥ずかしいって……」
顔を赤らめて、わずかに俯く紫音。――うわ、ダメだこれ。さっさと話題を変えないと、脳か心臓が爆発しそうだ。
「そ、そういや、先輩は神闘祭どうするんだろうな?」
「で、出ないんじゃないかな? お父さんがあんなこと言ってたし」
「だ、だよなあ」
見事なまでにワザとらしい会話である。
お陰で直ぐに沈黙は帰ってきた。まるで付き合い始めたばかりのカップルが、始めてデート行くときのような空気――かもしれない。
「――ああ、すみません、お取り込み中のところ」
「!?」
二人揃って目を見開いた先に、一人の青年が立っている。ユーステスだ。以前と同じスーツ姿で、さも当然なように立っている。
というか。
部屋は鍵がかかっている筈なのに、何でここにいるんだ……!?
「ああ、ご安心ください。こんなこともあろうかと、ピッキングを習得しておりまして」
「犯罪! 犯罪じゃないッスかね!?」
「魔術都市に外の法律は適用しません。……本当にお邪魔なのでしたら、また時間を改めますが?」
「……」
確かに邪魔と言えば邪魔だが、彼がやってきた理由も気になる。
ため息一つで、俺はユーステスの暴走を飲み込んだ。
「で、何の話ッスか?」
「お嬢様と虎勇様のお話です。もちろん、神闘祭についてもいくつか伝えておきたいことが」
「……紫音がいてもいいですか?」
ユーステスは間をおかず、二つ返事で了解した。
俺と紫音はそれぞれのベッドに座ったまま、来客は立ったまま、部屋の空気感が切り替る。
「今回の事件ですが、複数の意思が関わっていることを教えておきましょう。一つは虎勇様を始めとする地陣家。もう一つは統括局です」
「それぞれの思惑は?」
「地陣家については、誠人様が耳にした通りです。……統括局については、申し訳ないことに掴み切れていません。始祖魔術の量産が関係しているのは間違いなさそうですが」
「あの、アタシが計画に必要、っていうのは……?」
正気を失ったように見えた、虎勇の言葉。それでも確かに彼は、紫音が計画に必要だと言っていた。
果たして、どちらの計画を差しているんだろう?
「紫音様にはどうも、始祖魔術を統御する機能が備わっているようです。ああ、機能自体は魔術都市にいるだけで発生するので、攫われる心配はございません」
「と、統御?」
「文字通り、まとめ役ですね。量産化した始祖魔術が暴走しないよう、コントールする機能が付与されているようです」
「ちょ、ちょっと待ってください。じゃあ――」
ユーステスが、紫音をアンドロイドだと知っているのかどうか、よりも。
間接的に意味していることの方が、衝撃的だった。
「はい、虎勇様は統括局に自我を奪われています。普段通りに振る舞うこともありますが、それは機能的なもののようですね。……紫音様を攫おうとしてのは、恐らく最後の抵抗でしょう」
「……知ってて、俺達を連れていったんスか?」
「はい。虎勇様の命令ということもありますが、私自身、お嬢様に希望を感じていたもので。……巻き込んでしまい、まことに申し訳ありません」
彼は誠意をこめて、下げられるだけ頭を下げる。
俺は黙ってそれを見ていた。利用されたことへの怒りはないが、許したところでユーステス自身は納得すまい。彼が罪悪感を持っているなら、尊重してやるのも一つだ。
もっとも。
「べ、別にいいって、ユーステスさん」
紫音は、我慢ならなかったらしい。
「ユーステスさんは、恋花さんに何かあった時のため、先輩に来て欲しかったんでしょ?」
「……その通りです。しかし、私が真実をお話しなかったことは事実で――」
「嘘の方便、って諺が日本にはあるじゃん。ああいや、ユーステスさんは外国人さんだから知らないかな?」
「いえ。ここで暮らすようになってから長いので、存じております」
「そっか。なら、そういうことで」
ね、と最後に押して、和解の言葉は終了した。
ユーステスはしばらく唖然としていたが、紫音の意図を良しとしたらしい。身体を起こし、改めて俺達を見る。
「恐らく、お嬢様の説得は功を奏さないでしょう。統括局による洗脳は完成度が高い。既に虎勇様は、中身をすげ替えられているような状態です」
「……やはり、殺してくれと」
「それが私の本意ですし、正気だった旦那様の遺言です。――もちろん、誠人様に強要は致しません。これ以降、話す機会もないでしょう」
「? じゃあ――」
もう要件は終わりなのか。
尋ねようとした時、向こうの方から先手を打ってきた。
「私からお頼みしたいのは、お嬢様のことです」
「先輩の?」
「はい。……あの方は、ずっと地陣家のために生きてきました。ご自身の将来についても、夫を迎えるだけの身で構わない、と」
「……自由恋愛はしない、ってことッスか」
「ええっ!?」
案の定、紫音は全力で反応を示した。が、今はそれを掘り下げるタイミングでもないので、口に手を当てて黙らせる。
「誠人様に、お嬢様を開放して頂きたいのです」
「……虎勇さんと戦えって、間接的に言ってる気がするんスけど? 上手く丸めこもうとしてませんか?」
「否定はしません。が、万が一そうなっても、虎勇様にトドメを差す必要はありません。――地陣家の幕は、我々で下ろします」
何か、危うさを孕ませている宣言だった。
問い質すべきなんだろうが、適当に回避される光景が目蓋に浮かぶ。
「……分かりました。恋花先輩のこと、出来る範囲で何とかしてみませす」
「ありがとうございます。――では、私はこれで」
「あ、すみません、もう一つ」
「?」
俺は紫音を一瞥する。始祖魔術の統御装置、なんて言われて、案外と平気な顔をしている彼女を。
正直、内心についてはサッパリだ。俺の方は方針に変化なんてないから、そこまで気にしちゃいないけれど。




