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「誠人様、私は紫音様を連れて外へ」
「……分かった、頼む」
どこまで信頼を置けばいいのか不明だが、今は猫の手も借りたい気分だった。
紫音は進まない気持ちのようだが、仕方なくユーステスと共に廊下へと移動する。――当然、虎勇が逃す筈はないのだが。
俺から目を反らして、荒々しい叫びと共に突貫する。
『アンタの相手はこっちだけどな……!』
『ガッ!?』
人体を打ったとは思えない、鈍い音。それでも手応えは明確で、巨人は恋花を囲う神槍へと叩きつけられた。
虎勇は直ぐに立ち上がり、黒衣が翻る。
例の高速移動はしてこない。手に神槍を練成し、真っ向から突っ込んでくる。
そうなれば、後は打ち合いが待っていた。
回避と反撃の応酬。敵に命中せずとも、圧倒的のエネルギーは機材を次々に巻き込んでいく。
『オオアアアァァァ!!』
『っ!』
最上段からの一撃を受け止めれば、それだけで足元の板が破裂した。
もちろん俺自身に異常はない。全身を巡る魔力は勢いを増し、誰も介入できない戦場だけを求めていく。
恋花の悲痛な叫びも聞こえない。
ただ、敵だけが存在していた。
『ふ――!』
空中。加速の混じった蹴りが、巨人の顎を打ち上げる。
よろめいて後退する虎勇。まだまだ気力は十分で、一瞬ふらつくものの直ぐに姿勢を整える。
『オオ……!』
彼はより獣らしく、力任せに両腕を振るう。
神槍は二本に増えていた。片方は投擲に、もう片方は接近戦に用いている。投げた先から槍は補充されており、在庫切れの心配はなさそうだ。
もはや何かを恐れるように。攻撃はより隙を小さく、呵責を無くしていく。
――竜砲のために集まり始めた魔力は、足掻いたところで止められるものではないが。
『これで……!』
攻防の間隙を埋める、一点の光。
迎え撃つために投じられた神槍は、その時点で役を成さない。
消える。
竜の放った極太の光が、槍ごと巨人を吹き飛ばす……!
『――!?』
虎勇には悲鳴すらなかった。竜砲の直撃を受け、奥の壁ごと吹き飛ばされるだけ。
直撃を逃れた場所でも、建物はその骨格を露出させていた。魔獣が保管されているビーカーにも、大きなヒビが入っている。
それでも、視界の奥。
黒衣を纏ったまま、巨人はよろめきながら立ち上がった。
「ち、父上!」
『あの黒衣、何なんだ? 無傷じゃねえか……』
「ほ、本人の方は無事じゃないぞ! 誠人、もうこの辺りで――」
『それは向こうに言ってください……!』
痛みを振り払うような咆哮のあと、虎勇は間合いを一瞬で詰めてきた。
再演される激闘。しかし竜砲の直撃により、彼の動きは明らかに悪くなっている。徐々に後退し、反撃の回数も少なくなりつつあった。
本人の方にも自覚はあるんだろう。俺から視線を反らさないまま、森の中へと下がっていく。
――足場がどれだけ悪いか、こっちは既に体験済みだ。
『っ!?』
姿勢を崩す虎勇。
行ける。
そう思った、直後だった。
『!?』
消えている。
地下空間の時と同じだ。突如として、虎勇の姿が消失している。
気配は真横。
最適の間合いで、神槍の切っ先が迫る――!
『っ……!』
紙一重で回避するものの、反撃までは行えない。
彼はまた消えている。紫音が言ったように、闇から闇へ――影から影に移動しているんだろう。
まだ夕暮れ時だが、辺りに乱立した太い幹は影を作っている。一面に暗闇があった地下空間に比べればマシだが、厄介なことに変わりはない。
もっとも、こちらには空がある。
逃げるつもりがなければ、やることは一つだ。
『吹き飛ばしてやる……!』
体内に凝縮される、確かな力。
森を眼下に置く俺が見たのは、迎撃しようとする神槍の群れ。
矛先すべてが、余すことなく俺を捉えていた。
『――!』
竜砲の発射より先に、神の槍が殺到する。
魔力を蓄えたまま、俺は全速力で回避に徹した。
向こうの弾丸はなかなか尽きない。狙いは正確で、両腕を使って叩き落とさねばならない程だ。
それでも、地上は確かに見えている。
『終わりだ!!』
解放される魔の光。
直撃コースだった神槍は薙ぎ払われ、森は力尽くで衣装を剥がされた。朱色の光は掻き消され、影を作ることすら許さない。
舞い上がった煙の向こう。隕石でも落ちたようなクレーターが、かつての森に刻まれている。
虎勇は、その中央に立っていた。
三発目の竜砲を用意する。今度こそ、防がせないし、避けさせない。
「お待ちください」
『っ!?』
虎勇とは別の方向から聞こえる、若い男の声。耳を澄ませば女性のものも混じっている。
『マキアス……!?』
「攻撃されると困ります。僕の手に何があるか、見えていますか?」
頭にくるぐらい冷たい声の少年は、拳銃を持っていた。
突き付けているのは、紫音の頭。
――感情が沸点に到達するものの、迂闊には動けない。やつがやろうとしていることなんて、見れば分かる。
「彼女を殺されたくなければ、攻撃を控えてください。これは魔術都市のためです」
『……綺麗事を言うんだな。人質を取っておきながら』
「人質を取るのは美しいことです。特に貴方のような、乱暴な人間に対しては」
『……』
言い返してやりたい気持ちで一杯だが、紫音の安全を考えるとそうもいかない。
竜砲の痕跡が残っている場所では、既に虎勇が撤退を開始していた。あれだけ暴れ回っておきながら、妙な退きの良さである。
「では始導院さん、こちらに来てください。貴方にお話があります」
『――その前に銃口を下ろして、紫音から離れろ』
「分かりました」
こちらも意外な物分かりの良さで、物騒な物をしまってくれた。
俺は肩の力を抜きながら地上に降りる。一方、周囲には統括局の局員が次々に現れ始めていた。ユーステスの姿こそ見当たらないが、地下空間の再現と言ってもいい。
まさか、二日連続で連中に捕まるなんて。
蹴散らしてやりたいという暴力的な本音を抑えつつ、半壊した施設の方を見る。
壊れた壁の向こうに、恋花の姿はない。
「……」
敵対が決定的になったな、と。
俺は冷めた頭で、他人事のように考えていた。