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「父上……!」
もう恋花は部屋に入っているらしい。
彼女の声には、誰かの返答がついてきた。他者を威圧する、威厳のこもった声が。
どういうことなんだろう? まあ、直に尋ねれば分かる筈だ。――ユーステスについても、いくつか疑問をぶつけてみよう。
「行くぞ」
掴んでくる手を払うことなく、毅然とした態度で前を向く。
――電気で隅々まで照らされている部屋には、様々な機材が置かれていた。
いくつも並ぶ巨大なビーカー。中には異常に鋭い牙を持った犬や、巨大な鳥まで。魔術師なら一目で、野生の獣ではないと分かる。
「ま、魔獣?」
魔力を取り込み、変異した野獣達。
彼らは重度の魔力酔いを起こして、肉体が変化した野生動物だ。魔術都市では数多くが生殖していると言われている。
しかしこうやってビーカーに入っている姿は、俺も見たことがない。やはり何かの実験か?
「おお、よく来たな誠人」
記憶を揺さぶる声に振り向く。
部屋の中央。無数のケーブルが繋がった椅子に、独眼の男性が座っていた。
年齢は50と60の間ぐらい。男性としては大柄で、着物を羽織っているところが完成した人物像を示している。
地陣虎勇。父・誠竜の親友であり、恋花の実父だ。
「久しぶりに会えてうれしいぞ。元気じゃったか?」
蓄えた髭を撫でながら、虎勇は嬉々として問いかける。
俺は冷や汗を流しながらも、冷静を装って首肯した。……膝を叩いて喜んでいる辺り、こっちの警戒は読まれなかったらしい。
お陰で余計に力が入る。
虎勇は息を吸うような自然体で、辺りに敵意を振り撒いていた。地下空間の時とは比較にならない。あんなものはぬるま湯どころか、常温の水じゃないか。
「……」
目を反らせば殺される。
本人の口から聞くまでもない。戦いに携わったことがない者でも、同じように判断できる明確な意思がある。
なお紫音の方は、今にも泣き出しそうな顔へランクアップしていた。許せ、俺だって逃げたい。
「そちらのベッピンさんは……なるほどのう。あの子か」
「っ……」
虎勇が向けた一瞥で、紫音は震え上がっている。
俺はさり気なく、庇うような位置に立った。効果があるとは思えないので、やるだけマシ、の精神だ。
「父上、生きていたのですね……」
「はっ、ワシを誰だと思っておる? 20年前の内乱で最後まで抵抗し、何千という模倣品を屠った武の巨人よ」
「模倣品……ですか?」
「左様。――ワシらの力を真似ることしか出来ん、下等な血筋の魔術師を言っておるのだ」
虎勇の瞳に、老いを感じさせない意思が灯る。
20年前、支配階級にあった魔術師――貴族が敗れた戦いを思い出しているんだろう。
地陣家は内乱の折、もっとも激しい抵抗を行った貴族だ。その中で当時の当主だった虎勇の父、つまり恋花の祖父は死亡。他にも多くの者が死亡したと言われている。
「恋花、誠人、ワシの要件は分かっていような?」
「ち、父上? まさか――」
「そのまさかよ。ワシはこれより、魔術都市を開放すべく戦いを挑む。統括局を討ち、貴族の血が統べる魔術師の世界を作るのだ」
「ば、馬鹿な考えはお止め下さい!」
「なに?」
その一瞥。
直後に起こったのは、地下空間で見た神槍の一撃だった。
もちろん直接当てるような真似はしない。娘の周囲を完全に包囲するだけに留めている。
「我らは戦に生き、戦に死ぬ種族。そのような弱音を吐くのでは、次期党首として不安になるぞ」
「し、しかし父上!」
「くどい!」
もう一撃。今度は、余波で恋花を吹き飛ばすほどの至近距離だった。
彼女は立ち上がって父親を睨むものの、気圧されている感じは否めない。
虎勇は本気だ。本気で魔術都市に戦いを挑もうとしている。
彼が地上で暴れ始めれば、どれだけの被害が出るか分かったものではない。貴族の系列にある者も、そうでない者も巻き添えを喰うだろう。
「――さて誠人、次はお主じゃ。ワシと共に、父の誠竜と同じように、戦場で肩を並べる気はないか?」
「……」
友人の息子という距離感からか、虎勇の口調は少し柔らかい。
しかし根本的な部分では変化なしだ。逆らえば命は無いと、歪な笑みを浮かべていた。
対し俺の本心はというと、興味がない、の一言に尽きる。
間違って口にでもすれば、攻撃されるのは必定だ。が、嘘をつき通せる相手でもない。……相手を格上だと測っている時点で、この交渉で俺の自由は無いも同然だ。
故に。
「興味ないッス」
本音を、そのままぶつけることにした。
虎勇は沈黙したまま、恋花は大きく目を見開いてこちらを見ている。馬鹿なことを言うな! と叱責するような表情でもあった。
竜化の用意はぬかりない。攻撃の呼び動作をみせれば、その瞬間に紫音を連れて逃げる。
「くく……」
だが。
虎勇の口から出てきたのは、聞くも愉快な笑い声。
「くく、ははははは! あはははは!!」
「ち、父上?」
「っ――す、すまんすまん。随分と笑えることを言ってくれたものでな、くく……」
ド壺に入ったらしく、虎勇は腹がねじ曲がりそうな勢いで笑っている。
こんな反応はさすがに考えてもみなかった。加えて意外なのは、笑いの内容が嘲笑に聞こえないところ。むしろ歓迎するような清々しさで、彼は本心から喜んでいる。
「はぁ、は――」
一通り感情を発散させて、虎勇は少しずつ呼吸を整える。
短い動作で以前の敵意は戻っていた。……向けられる側にとっては、同じような緊張感で受け取れないのだが。
「いやはや、失礼をした。お主にとっては嘘偽りない決断だったろうに」
「な、何が面白かったんスか?」
「面白かったわけではない。――昔、同じ返答を寄越してきた、お主によく似た男がおってな。血は争えんというやつか」
「と、父さんが?」
「うむ。20年前のことになるな。あやつ、ワシの提案を蹴りおった。お陰で殺し合い発展したわけじゃが……有意義な時間には間違いなかったぞ。記念撮影もしたぐらいじゃからな」
ひょっとすると、あの写真か?
当時がどんな状況だったのか、少し興味が湧いてくる。父も虎勇も、遊び半分で戦っていたわけじゃないんだろうし。写真なんて撮るか? 普通。
「故に誠人よ、お主の決定は尊重しよう。さあ、帰るがよい」
「は、はい?」
「? 何を驚いておる。お主にとっては喜ばしいことじゃろう?」
「そ、そりゃそうッスけど」
ここまでサッパリしていると、拍子抜けだ。
しかし虎勇にとっては自然な対応のようで、棒立ちしている俺を不思議そうに眺めている。
「……よいか誠人。男は戦士でなければならぬ」
「は?」
「ワシとお主の主義主張、噛み合わぬならそれで良い。あとは拳を交えるだけよ。――融和も理解も、ワシらには必要のない事柄じゃ」
「……」
確固とした、拒絶。
口調には淀みがない。虎勇はずっと、そういう生き方をしてきたんだろう。
別段、悲しいとは思わなかった。人間は分かりあえる――なんてコト、綺麗事でしかない。意見を交えた先にあるのは妥協点であって、相互理解なんてのは幻想だ。
虎勇はきちんと分かっている。気高く個体にして、群を避ける人間の生き方を。




