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予定通り森に入り、歩くこと20分弱。
「先輩、助けて……」
まだまだ平気な俺や恋化とは逆に、紫音は完全にダウンしていた。
「情けないやつだな。20分歩くなんて、散歩と同じだろ」
「でもここ、すっごいデコボコな道じゃん……人の作った建物があるとは思えないんですけどー」
「文句言うな。ほら、こっちこい」
腰を下ろして、紫音の到着を待つ。
嫌々ながらも頷いた彼女は、覚束ない足取りで獣道を進んでいく。途中では大きな岩があったり、太い根っ子で躓きそうになったり。
遊び盛りの子供なら喜ぶかもしれない地形は、紫音の顔色を悪くさせるだけだった。
「はぁ、はぁ……」
「意外と体力ないんだなあ、お前」
「そ、そうだよ。アンドロイドだけど、思いっきり人間に近いからね。もう人造生命体っていうか、ホムンクルスっていうか」
「……すまん」
「な、何で謝るの? 別に先輩、アタシの身体気にしてるわけじゃないでしょ?」
「まあ、そうだが――」
気易く触れちゃいけない、とは思っている。
少し呼吸を落ち着かせてから、紫音は俺の背中に体重を預けた。
中身は鋼鉄の筈だが、不思議と重さは感じない。むしろ同年代の平均体重より軽いんじゃないか?
「なあ紫音、お前体重どれぐらいだ?」
「……先輩、もう少しデリカシーを感じさせる聞き方してよ。女の子にその話題は禁句だよ?」
「うっ、すまん」
「あはは、さっきから謝ってばっかりだね」
どことなく楽しそうな抑揚で、紫音は前に手を回す。
身体を完全に預けてくるので、さっそく俺は緊張していた。急がなきゃいけないってのに、情けない。
「おい、早くしろ!」
恋化にも急かされる二重苦の中、雑念を払うことだけ意識する。
ちょっと走れば、数メートルの距離は縮まった。前方に広がっている木々の壁も、徐々に本数を減らしつつある。
あるのだ、この先に。緑を裂いて作られた人工物が。
「なんか緊張するね……」
「怪しい場所だからな。隠し方も中途半端だし、罠って可能性はあるかもしれねえぞ」
「わー、怖い」
紫音はわざとらしく怯えている。お陰で、真面目な恋花は渋い表情になってしまった。
少しぐらい肩の力を抜けと言いたいが、事情が事情だ。彼女の気持ちに首を突っ込んで、言い争いになっても面倒だし。
――弱さを見せない。
ユーステスは恋花をそう評した。まるで彼女が、本来は弱い生き物だと暴くように。
「弱い犬ほどよく吠える、か……」
「?」
自分のことを知ってほしい。だから、他者に干渉する。
焦りと苛立ちを露わにしている恋花も、それを知って欲しくて吠えているんだろうか? 心に余裕があれば、もっと堂々としているのが彼女だろうし。
もちろん指摘する気はない。触らぬ神に祟りなし。噛み付かれるだけだ。
「おい、見えてきたぞ!」
恋花は態度を一転させ、小躍りしながら駆けていく。
俺達の位置からも、らしい建築物は見えていた。森の中にひっそりと建つ、自然界にはない白亜の外壁が。
進むたびに視界は開けていく。
全体像が見えた頃には、もう恋花の姿は無かった。
「凄い喜びようだね……」
「それだけ父親のことを助けたいんだろ。――さ、行くぞ」
「はーい」
紫音は俺の背中から降りようとしない。胸に回した手で、逆に強く抱き締めてくる。
「お、おい、ちょっと苦しいんだが」
「気にしないの。アタシがこうしたいだけなんだから。……先輩、なんだか寂しそうな声してたし」
「――」
女の勘は鋭いというが、まさか。
俺の脳裏には父・誠竜の姿が過っていた。憧れの対象、大好きだった広い背中。幸せな家族の光景には、必ずと言っていいほど存在していた人。
彼が死んだ日を、今も昨日のように思い出す。
「大丈夫だよー。アタシはずーっと、先輩と一緒だからね」
「このタイミングで言われると、なんか不気味だぞ」
「ああ、何とかフラグって言うしね。でもアタシに何かあったら、先輩が助けてくれるでしょ?」
「ははっ、当然」
即答で返して、俺は施設の入り口を探す。
目に入ったのは粉砕された窓ガラスだった。どこからどう見ても恋花の仕業であり、覗きこんだ先に犯人の後ろ姿も見える。
そのまま続きたいところだが、背中には紫音がいるのだ。枠には欠片も残っているし、危険性はゼロじゃない。
なので。
「紫音、ちょっと降りてくれ」
「いいけど……どうするの?」
「入り口が小さいからな、でかくしよう」
作業はものの一瞬で終わった。
窓の部分に限らず、壁一面が吹き飛んでいる。大人が三人ぐらい並んでも通れる幅だ。これで紫音の怪我を心配する必要はない。
「は、派手なことするねえ、先輩」
「思い立ったが吉日、っていうだろ? 俺はやりたい時にやる」
「ほほう。それはつまり、アタシを食べたい時に食べるって――」
耳を塞いで施設に入る。
当然だが、人の気配はまったくない。恋花の足音もいつの間にか聞こえなくなっている。
一直線に伸びている廊下には、物が一つも置かれていなかった。殺風景で、長い時間放置されているのは間違いあるまい。
「……先輩」
後ろにいる紫音は、何故か俺の袖を掴んでいる。
声まで震えて、何かに怯えていた。
「敵がいるのか?」
「分かんない。でもなんだろ、濃い魔力の流れがある。車の中で、恋花さんが怪しいって言ってた場所から」
「じゃ、まずはそこか」
俺は軽い足取りで、紫音は迷いながらも一歩踏み出す。
彼女は歩き辛いぐらいに密着してくるが、改めて注意しようとは思わせなかった。怖がっているなら、守ってやるのが俺の仕事。これぐらいの甘えは大目に見よう。
反面、こっちだって緊張はしている。
どんな事実が待っているのか――好奇心はそのまま、歩くことを急がせた。
地図の内容はうろ覚えだが、紫音が丁度いい案内役を果たしてくれる。……正直、驚きだ。俺も魔力の流れを感知する能力はあるが、今のところ何も分からない。彼女が随分と高性能なんだろう。
「――あそこ」
角を曲がって直ぐのところ。ある程度の広さがある空間だと、廊下からも確認できる。
ここにきてようやく、俺も高濃度の魔力を感じつつあった。魔力酔いを起こすほどではなさそうだが、本能的な高揚を感じさせる。
いるんだ、巨人の主が。




