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教室での授業は、どこか落ち着きが欠けていたような気がする。
訓練場の噂が関係――しているかどうか、判断は出来ない。確かに多数の生徒が口にしている情報ではあるが、そこまで大きな影響力は持っていなかった。
本当の注目は、統括局。彼らが学園の敷地に入ってきているのだ。
教室からも伺える広い校庭。授業や部活で使われる筈の場所は今、お陰で物々しい雰囲気に満たされていた。
「まったく……」
俺は頬杖を突きながら、苛立ちを込めて彼らを睨む。席が窓際のお陰で十分に観察できた。
やってきている局員たちの中心は、どうもマキアスらしい。術式甲冑により武装した魔術師を10名ほど連れ、監視の目を光らせている。
誰を見張っているかなんて、考えるまでもない。
なので別段、監視事態は不快感に繋がらなかった。……日常に関与しない、という約束を反故にされたのも、解釈の違いとして受け入れることにしよう。
しかし不特定多数の生徒にまで影響を与えることは、いくらなんでも許容できない。
授業の内容なんて少しも耳に入れず、彼らにじっと敵意を注ぐ。
「こらー、誠人君」
どこか面倒臭そうにしている声が、静かに注意を促した。
相手が相手だ。無視することも出来ず、俺は直ぐに姿勢を起こした。
「す、すみません、新崎先生」
「分かればよろしい。あと、睨んだりするのも程々にしときなさいよ? 授業はもう終わりなんだから」
「へ?」
タイミング良く、教室中に鐘の電子音が響き渡る。
辺りの雰囲気は一瞬にして切り替わった。昼休みということもあって、授業の間に入る休み時間より解放感が強い。
紫音の母、新崎湊は次の授業について述べた後、テキパキと準備を終えて職員室へ。
教室は完全に学生達の空間となった。彼らは弁当組と食堂組に分かれ、それぞれの目的地へと動いていく。
「せんぱーい!」
「……」
まだ昼休みに入って間もないというのに。全速力で、聞き覚えのある声が近付いてきた。
「少しは落ち着け、紫音。俺は別に逃げたりしないぞ」
「でも食堂の座席は逃げるよ? ほら、いそご!」
廊下で手招きする幼馴染。朝食の時に見せた妖艶さは、完全になりを潜めている。
あの短い時間――鮮烈な印象があったのは否定できず、俺は彼女の感触を思い出していた。腕に胸、致命的なことに唇まで。
顔に熱が上っていくのは、至極当然の結果だった。
「……先輩、熱でもあるの?」
「あ、あるわけないだろ! 年がら年中健康体だぞ!」
「必死に否定するところが怪しい……ちょっとおでこ貸して」
「っ!?」
紫音の細くて柔らかい指が、俺の額に触れた。
その後で、彼女は自分の熱と比べている。異常がないと知るや否や、怪訝そうな顔つきはより明確になった。
俺も余計に心臓が早くなるもんだから、軽いループ状態である。
本当なら気にしない筈の感触。が、今はまったくの逆で、痕でもついているんじゃないかと思うぐらい、意識してしまった。
「ほ、ホントに大丈夫? 無理しちゃ駄目だよ?」
「だ、大丈夫だ。ほら、急ぐぞ」
「あ、待ってよー!」
俺達は立場を逆転させ、早足で階段を下りていく。
……本当、女ってのは分からない。厚化粧をするにしたって限度があるだろうに。
まあそのギャップに惹かれている小僧では、文句を言っても説得力皆無だが。
「ところで先輩、恋花さんとの約束はどうするの? 神闘祭のやつ」
「もちろん協力はするぞ。締め切りまで二日しかないから、急がないとまずいだろうしな……」
「あー、期限が近いんだっけ。こりゃあ難題だね」
だが不可能だとは考えていない。放課後すぐに本気でやれば、夜には5層まで突破しているだろう。
気掛かりなのは、恋花が戦える状態にあるかどうかだ。
ユーステスの依頼は断ると言っていた。が、それで父親に対する問題が消えるわけじゃない。
「どうすんだかねえ、あの人は」
「焦らせない方がいいんじゃない? お父さんが本当に正気を失ってたとしても、簡単に決められることじゃないし」
「じゃあ、せめて実験の内容でも調べるか。……方法が分かんねえけど」
「心当たりを教えるか?」
食堂の手前に差し掛かったのと、同時。
気力に満ち溢れた声が、俺と紫音を呼びとめた。
「先輩……」
「昨夜ぶりだな。デート中のところ悪いが、食事を一緒にしても構わないか?」
「いいッスよ」
紫音は思いっきりかぶりを振っているが、無視する。
恋花の妙な鈍さも手伝って、俺は三人分の席を探すことになった。食券の販売機に並ぶのは美少女達の仕事。注文内容については既に伝えてある。
「よし」
席を確保して、座っている間。俺は暇つぶしにテレビを眺める。
扱っている内容は、これといって珍しいものでもなかった。神闘祭の予選が近いこと、機竜の解析が進んでいること――関係ある出来事とは言え、関心を引くかどうかは別だろう。
「そら、持ってきたぞ」
声に引かれて横目を向けると、トレイを持った恋花がいる。しかも二つ。
どうやら俺の分と、自分の分をまとめて持ってきたらしい。途中で迎えに行く予定だったのに、申し訳ないことをしてしまった。
同行していた紫音は、彼女の後ろで悔しそうに歯を食い縛っている。
「詳細は食べながらにしよう。――大声で話せる内容じゃないが、周りは適度にうるさいからな。問題あるまい」
と、注文していたカツカレーが正面に置かれる。
二人も席に座って、準備は万端だ。時計の針にも余裕はたっぷり。どちらの作業をするにも、落ち着いて取りかかれる。
定型的な挨拶の後、スプーンや箸が動き始めた。
「――で、どんな心当たりがあるんスか?」
「昨日、家の者を総動員して調べてな。統括局がかつて、何かの実験に使っていた施設が判明した」
「い、いつの間に……」
「夜中と朝のうちだよ。――まあともかく、そこへ向かってみないか? 放課後、直ぐに」
「いいんスか? 神闘祭の――」
「分かりました!」
疑問を遮ったのは紫音だった。
「私も先輩も、責任もって協力しますね!」
「……そうか、ありがとう。でも紫音、君は少し遠慮した方がいいぞ? 現地で何が起こるか分からないしな」
「むう……」
もっともな指摘に、彼女は眉を潜めている。どうせ我儘を言ってくるんだろうけど。
しかし恋花相手には不利だと感じたらしく、素直に頷きを返していた。
「では誠人、授業が終わり次第、直ぐ校門に来てくれ。昨日と同じく、ジャージ姿で構わないからな。……い、いいか?」
「はい、問題ないッスよ?」
「そ、そうか」
望み通りの返答だろうに、恋花は不安を隠せていない。
らしくない態度に、俺は首を傾げるだけだ。本人は食事の方へ集中しだしたので、心配するような内容ではないんだろうか?
「恋花さん、自信ないんじゃない?」
「な、なんだよ紫音」
「だって、お父さんの件には関わらない、って言ってたんでしょ? 個人的に調べるなんて真逆の行為だよ」
「……それを自信がないって言うか? 普通、未練があるとかさ」
「んー、アタシは前者で合ってると思うよ」
だってさ、と前置きを作る紫音。スプーン片手に、無言で俺のカレーをつまみ食いする。こら止めろ。
「恋花さんは、自分なりのやり方でお父さんを助けたいんじゃない? でも正解かどうか、自信がない。もしかしたら、ユーステスさんに従う方が正しいかもしれない、って思ってる」
「……先輩はそういう人じゃないぞ」
「えー、アタシの言葉よりも信じちゃうの? 罰としてカツ、ちょっと貰うねっ」
「ああっ!」
皿を動かすよりも、フォークの動きが先だった。
彼女は満足げに肉を咀嚼しつつ、じっと恋花を見つめている。対する向こうは視線に気付いた様子がない。




