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「な、なんだよ?」
「……やはり油断ならない相手だね、恋花さんは。まさに泥棒猫!」
「い、いや、あの人は何もしてないだろ。さっきの台詞だって、単なる親愛の情だろうしさ」
「へえー、さっきの台詞って、なんですか? ワタシ、キキタイナー」
見事なまでの棒読みで、本音の部分が隠せていない。
こうなった以上は無視に徹するのが一番だろう。確かに恋花の一言でいろいろ乱れたが、紫音が一番なのは本当だ。モテて嬉しい、なんて考えちゃいない。ないったら断じてない。
「ほ、ほら紫音、とっとと寝るぞ。明日遅刻したらどうすんだ」
「先輩と一日、イチャイチャしてればいいんじゃないかな?」
「もうただのサボりだろ……」
「いいじゃん別に! ここで正妻の立場をハッキリさせとかないとだね――」
「ほら、寝るぞー」
「ちょっとー! アタシ、真面目な話してるんですけど!? こうなったら添い寝か夜這いするね!」
「止めんか!」
ただでさえ理性に焦げ目がついてるってのに。
追撃が来たら焼却されそうな気がして、俺は彼女を押し戻す。よけい不機嫌な顔になったが、こればっかりは諦めてもらおう。……まあ同じ部屋で暮らし始めて以降、紫音が何もしなかった夜は無いのだが。
静かに闘志を燃やしつつ、彼女は温かい布団の中へ。
同じように眠る準備を終えた俺の脳裏には、恋花の顔が過っていた。
―――――――――
翌日。寮の一角にある食堂は、いつも通りの朝を迎えている。
生徒達の会話は様々だ。趣味の話、学校のテストが近い話。中には訓練場での成績について話す者もおり、なにかと興味を誘ってくる。
「おい、聞いたか?」
トレイを手にして歩く一年生の二人組。
驚きを交えつつ語るのは、訓練場についてだった。
「ああ、謎の地下空間だろ? 昨日いきなり見つかったっていう」
「そうなんだよ。なんでも二年生の先輩が穴を開けたとかでさ。でも直ぐに塞がったらしくて、中に何があったのかは分かんないらしいぜ」
「気になるよなあ。なんかヤバいもんでもあったのかね?」
さあ? と話を持ち出した生徒は首を傾げて、食堂の奥へと歩いていく。
……どういうことだろう。統括局が隠したい場所、ではなかったのか? 不特定多数の人間に知られるなんて、意図的に拡散させたとしか思えないが。
「なあ――」
疑問が広がる中、俺は紫音に意見を求めて振り向く。
だが。
「ね、眠いよぉ……」
彼女は、重そうな瞼と格闘していた。
「だから早く寝ろって言ったろ。漫画でも読んでたのか?」
「ううん、違うよ。先輩に夜這いを仕掛けようと思って試行錯誤してたの」
「――おいちょっと待て。全然気付かんかったし、紫音は自分のベッドで寝てたろ」
「そりゃあギブアップしたからね。いやー、寝袋みたいに布団巻いてるから、潜り込もうとしても出来なくってさ。先輩も策士だね!」
「お、おう……」
なんだそりゃ。寝てる間にそうなったのか?
もし事実だとしたら、ちょっと興味がある。何がどうなって布団を身体に巻いたのか、紫音に撮っておいてもらおうか?
「とにかくさっさと飯食うぞ。いつまでものんびりしてたら大変だ」
「……先輩、そこらへん真面目だね。授業中も寝ないで起きてるの?」
「いや、寝るぞ?」
常識じゃないか、それぐらい。
だよねー、と紫音の返答を聞きつつ、俺は箸を進めていく。しかし隣の彼女は今も眠かけで、ふとした拍子に皿をひっくり返しそうだ。
「うう、先輩と眠れればこうはならなかったのに……」
「何事も諦めが肝心だぞ。きちんと一人で寝ろ」
「えー、先輩は嬉しくないの? アタシと一緒に寝られてさ」
「――」
嫌な筈がない。意中の相手ではあるんだし。
しかし実の妹であることも事実だ。彼女はアンドロイドで、血の繋がり、なんて厳密なものはないかもしれないが――
って、止めだ止め。自分の気持ちと向き合う、って決めたばかりだぞ。言い訳を思い浮かべる必要はない。
「先輩が初心のヘタレなのは知ってるけどさ、それはアタシの感じてることですし? きちんと本人の自覚を聞きたいなー」
「こ、こんな場所で言えるか! ってほら、視線が集まってるぞ!」
「そんなに大きな声で話すからだよ。……ねえ、アタシにしか聞こえないぐらいの声でいいからさ。これまで添い寝した感想、聞かせてほしいな」
「う……」
周囲の反応も構わず、紫音は完全に密着してくる。
制服越しでも、その女性らしい感触が伝わってきた。頬を撫でてくる柔らかい指先、豊満な胸。見上げる眼差しは子供のような期待と、大人びた妖艶さを帯びている。
「ふふ。先輩、顔真っ赤だよ? これじゃあ皆に隠せないね」
「わ、分かってんなら離れろよ……」
「やーだ。だってアタシと先輩が仲良くしてれば、お邪魔虫は寄り付かないでしょ? 他の女の子に興味津々だ、っていうなら止めるけど」
「お、お前、ワザとやってるだろ?」
「んー? 当然でしょ?」
そうこうしている間に、紫音は腰にまで手を回してくる。
――これだけの行動を起こして、注目を浴びないなんてのは不可能だ。凝視してくる生徒こそいないものの、チラチラと横目を使ってくる者は多い。
紫音もほんのりと顔を赤くしているが、余計に魅力を感じさせるだけだ。
「先輩? 早く答えないと、この前みたいに凄いことしちゃうよ?」
「こ、この前?」
「やだなあ、アタシに言わせるつもり? ま、いいけどさ」
紫音はそのまま、更に顔を近づけてくる。色気のある悩ましい瞳が、俺に直視することを許さなかった。
だからだろう。彼女はゆっくりと、耳元に唇を近付けて、
「ほっぺに、キス」
静かに。吐息を混ぜながら、いつかの不意打ちを口にした。
頭の芯が痺れるようなささやき。全身が熱くなって、背中には鳥肌が走っている。
骨抜きにされる、とはまさにこういう感触を指すんだろう。雑念はすべて消し飛んで、真横にある黒真珠の瞳しか意識することが出来ない。
「ほら先輩、教えて?」
その一言で、少しばかり平常心が戻ってくる。
お陰でようやく、荒くなっている呼吸を整える機会が来た。目立たない程度に深呼吸して、心臓に落ち着けとメッセージを送る。
「わ、笑うなよ?」
「うん、大丈夫だよ。先輩の性格は知ってるから」
「……」
なんか、怪しい。
だが抵抗する気分にはなれなかった。いつの間にか魅了されてしまったからだろう、そういう判断すら浮かんでこない。
「は、恥ずかしいんだよ」
「本当に? それだけだったら先輩、何だかんだって我慢できるんじゃない?」
「う」
確かに、気持ち次第では出来るかもしれない。
なので紫音は追及する姿勢を緩めなかった。艶然とした笑みを浮かべて、こっちの目を射抜いてくる。
しかし正直、これ以上の心境なんて俺には出せない。
恥ずかしいのは事実で、自覚できる範囲なら他に理由は無いはずだ。
「当てて上げよっか?」
「あ、ああ、どうぞ」
「先輩、アタシに手を出しちゃいそうで怖いんでしょ?」
「!?」
骨抜きとか何もかもすっ飛ばして、驚くしかない。
「ふふ、自覚はなし、かな?」
「……」
「あはは、反論しないんじゃ肯定と一緒だよ? ――だから先輩、これだけは覚えておいて」
「な、何を?」
紫音はもう一度急接近。さっきと同じように、耳元へ口を近付ける。
「女の子はね、愛されてる証拠が欲しいの。特に先輩は、アタシよりずっと凄い人だからさ。好きなら好きで、ちゃんと行動に移してくれないと困るよ?」
「……わ、分かった。分かったからそろそろだな」
「ふふ、期待してるね?」
「っ」
離れる直前、彼女は耳に口付けした。
俺は反射的に、辺り様子を確認する。が、見えたもの、聞こえたことは同じだった。どうやら決定的なシーンを見られたりはしてないらしい。
まあ密着されたり耳元でささやかれた時点で、大差はないかもしれないが。
「って、先輩、急ご! イチャイチャしすぎた!」
「あ、ああ……」
紫音はもう、いつも通りの騒がしい美少女に戻っている。
大人びた色気がある彼女とは、雰囲気があまりにも似ていない。もし声だけを聞いたら、同一人物だと判断するのは難しいんじゃなかろうか?
一体何が、そんな曲芸を作り上げるんだろう?
異性に対する疑問を深めながら、朝の時間は進んでいった。