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『な――』
凄まじい速度で移動したとか、そういう次元の話じゃない。一切の脈絡もなく、巨人は忽然と消えてしまった。
周囲を見回すが、魔力の流れに変化はない。空中にも、建物の影にも潜んでいない。
《先輩、下!》
『!?』
念話に従えば、確かなものが見えてくる。
真下。闇に染まっている筈の場所から、一直線に神槍が浮かんでくる……!
『ちっ!』
完全な不意打ちだったが、躱すのは造作もない。その後に続いて出現する柱も、余裕をもって捌くことが可能だ。
攻撃された地点に目を戻せば、やはり虎勇の姿はなかった。先ほどと同じ、原因不明の消失を果たしている。
《……さっきの槍、暗闇の中から飛び出してきたね》
『ああ。どこかに隠れてるんだとは思うが、サッパリだな』
《いやそうじゃなくて。本当に暗闇の中から、槍が出てきたんだよ》
『? どういう――』
ことだ、と繋がる筈の台詞は、襲いかかる殺意に掻き消された。
再び、三又の槍が攻撃してくる。
回避した直後、俺は即座に敵の位置を探った。武器を投擲したのでもなければ、隠れるより先に発見できる筈。
だが見つからない。
代わりにあるのは、空中に浮かんだままの槍だった。
動かしているであろう虎勇の手は見えない。長い柄の大半すら隠して、巨人の得物は存在している。
――確かに紫音の言う通り、暗闇から出現したような。
それを証拠付けるように、槍は闇の中へと戻っていく。魔力の反応が残ることもない。姿は完全に消失し、辺りに静寂だけを残していく。
《多分だけど、影とか……それに類似する場所を移動してるんじゃないかな?》
『ど、どういうことだ?』
《暗闇そのものと同化してるんじゃないか、ってこと。いきなり現れたり消えたりするのは、実体化するか、しないかじゃない? 多分、着てる黒衣の効果だと思う》
『って言われてもな――』
話している間に、また死角からの一撃が来た。
難なく回避するものの、これではラチが開かない。向こうが気分を変えて、紫音や恋花を狙い始める可能性もある。
少しでも早く、叩き潰さなければならない。
だったら対策は一つだ。
動かない。
黙して、ただ敵の攻撃を待つ。
《せ、先輩?》
『……』
紫音の呼びかけも無視して、俺は一瞬の反撃に身構える。
瞬間。
真後ろから、頭蓋を砕く一撃が飛んできた。
回避は小さく最低限に。あとは槍の柄目がけて、自慢の爪を振り下ろす。
両断した。
模倣品ということもあってか、神の槍は根元から二つに割れる。――これで虎勇が攻撃する場合。本体が実体化せざるを得ない筈だ。
それは案の定聞こえてきた。
竜の身を砕かんと、岩のような拳が発射される。
肉体の一部を実体化した時点で、勝敗は決まったも同然だ。巨人の指はあっけなく裂けて、趨勢は俺の方へ傾き始める。
もっとも。
向こうだって、簡単に勝ちを譲る気は無かったようだが。
『二本目……!?』
俺が反撃を叩き込んだ直後。再び闇の中から、折れた筈の神槍が突き出される。
疑問するまでもなく、俺は同じように対処した。向こうに死角へ回るほどの冷静さは残っていないようにみえる。あるいは、あくまでもこの方法で勝利をもぎ取る気か。
まあ破壊には成功したのだ。これでまた、本体は出ざるを得ない。
だが。
次に見えたのは、雨だった。
『な――』
地下空間の空。全体を覆うように、神槍の群が形成されている。
紫音も恋花も、巻き込む規模で。
『っ――!』
許された時間で先輩の姿を探るが、見当たらない。
……こうなったら彼女を信じるだけだ。紫音は戦う術すら持っていないんだから、こっちで守ってやらないといけない。
空間そのものを揺るがすような、轟音。
贋作なり誇りを示すため、無差別な攻撃が飛来する――!
『紫音!』
彼女の声を聞く前に移動する。
後を追うように降り注ぐ神槍。その攻撃は留まるところを知らない。地面に突き刺さった瞬間から、柱を打ち上げるために魔力を放出している。
刹那の間に被害は広まった。俺達が最初に捜索した建物も、哀れな残骸となるしかない。
「せ、先輩!」
『暴れるなよ……!』
着地から彼女を抱き上げるまで、一秒も時間の無駄は許されない。
神槍から逃れるタイミングは、結構ギリギリだった。が、後は加速の一本。力の限り翼を振るう。
『――』
果たして恋花は無事なのか。
頭の中に過る不安を、しかし今は無視するしかなかった。危機的な状態にあるのは俺と紫音も同じだ。気を緩めれば、神槍で串刺しになってしまう。
『く……っ』
翼が止まった。
正面、壁のように立つ柱がある。道を塞ぐように、何本も。
「先輩、後ろ!」
一瞬の迷いが命取り。
打ち落とすのも、回避も防御も不可能な神槍の群れが、風を裂いて落ちてくる。
「任せろ!」
『!?』
間に割り込んだのは恋花だった。両手に剣を握り、降り注ぐ神槍と対峙する。
圧倒的な力の本流を前にしているのに、その背中は怯まない。
「ふ――!」
飛びかかる恋花。
後の展開は、一方的なものでしかなかった。
聞こえるのは金属音の連打のみ。――彼女が、降ってきた神槍をすべて叩き落としているのだ。
小細工も何もない、力と力の激突だった。剣の動きは常軌を逸しており、美しい舞のようにすら見えてくる。
だが万全だ。通過させることがあったとしても、こちらに当たらないのを見越したている。退路を塞いでいた柱が勝手に削れていく始末。
「これで……!」
最後の一本が弾かれる。
わずか数秒の死闘。痕跡は力強く刻まれており、長い戦いを連想させるほどだった。
「無事か? 二人とも」
『え、ええ。――にしても、凄いッスね』
「大したことじゃないさ。さ、父の動きを探ろう。まだあの人を退かせられるほど、傷を負わせてはいないしな」
恋花はまったく消耗した様子がない。確かな足取りで、俺達の先頭に立っている。
俺は紫音を抱き上げることにした。他の大部分と同じで、辺りは視界が悪い。そんな中に一人放置するなんて、いくらなんでも酷だろう。
もっとも。
「動くな!」
無数のライトが、一気に闇を払った。
現れたのは武装した魔術師達。甲冑をつけるなんて魔術師らしからぬ格好の彼らは、胸にお揃いの紋章を刻んでいる。
統括局だ。
二つある都市の支配者の一角であり、父のノートにも記されていた組織。




