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「……おまえな、この前いろいろあったばっかりだろ? 少しは警戒心をだな」
「でも、先輩は警戒し過ぎじゃない?」
「う」
「アタシの味方でいてくれるのは、もちろん嬉しいよ? でも、先輩がいつも通りじゃなきゃ嫌だからね。アタシ中心に物事を考えるのだって、正直フクザツだよ?」
「負担になってやしないか、ってか? でも俺は別にだな――」
「うん、そうそう。その調子だよ、先輩っ」
「?」
肝心の答えを言わず、紫音は寮の中へ。俺も続けて入っていく。
玄関からロビーに入ってからも、頭の中ではさっきの会話が繰り返されていた。
その調子――微笑みながら紫音が言ったのは、果たしてどんな調子のことを言うんだろう? 今日一日、気分はずっと同じだったが。
わざわざ指摘されたということは、何かしらの変化があったと考えられる。
「先輩、気になってるの? さっきアタシが言ったこと」
「ん? ああ、ちょっとな。……なんか変だったのか? 俺」
「んー、変ってほどじゃないけど、やっぱり気負ってた感じはあったかな。俺がやりたいからやる! みたいな感じじゃなかったっていうか」
「……よう分からん」
「うんうん、それでいいよー。無邪気なのは子供の証拠だしね!」
ひょっとしなくても、馬鹿にされてるんだろうか?
紫音はそれだけ言った後、駆け足で部屋へと向かっていく。廊下の真ん中あたり、205、と記された扉が俺達の部屋だ。
集合時間は30分後。余裕を持って準備できる時間だが、のんびりしていて良い時間でもない。
ジャージどこに置いてたっけ、と考えつつ、一歩部屋に踏み込む。
直後。
「ぶほっ!?」
勢いよく閉まった扉が、俺の顔面を強打した。
「せ、先輩!? 大丈夫!?」
扉の向こうから、くぐもって聞こえる紫音の声。鼻の頭を押さえながら、大丈夫だ、と一言だけ返す。
「ご、ごめんね。着替えたら直ぐに開けるから」
「おう……って、そのためにドア閉めたのか!? こんなに突然やらんでもいいだろ!?」
「あはは、やっぱり? 危ないかなー、と思いつつ、つい……」
「――」
笑って誤魔化す紫音は、扉の向こうで衣擦れの音を出している。
普段から愛情表現を怠らない彼女だが、さすがに着替えを見せるレベルではないらしい。……好きな下着の色とか聞いてくる癖に、どこが境界線なんだろうか。
「……先輩、静かだね」
「? そりゃあ廊下で一人騒いでたら、おかしなやつに思われるだろ」
「アタシのお着替えシーンでも想像してみたら?」
投下された爆弾に手足が凍る。
俺が無言でいることをどう思ったのか、紫音は自慢げな抑揚で話を続けた。
「先輩のために何個かヒントあげるね。えっと、まずは肉付きからですけど、バストが85で、ウエストは――」
「は、白昼堂々と言わんでいい! 近くに人がいたらどうすんだ!?」
「え、その時は先輩が怒るんでしょ? よくも俺の女に手を出したな、って」
「やるわけないだろ!」
「えー」
それだけの台詞だったが、ふてくされている紫音を想像するには十分だった。
しばらくして扉が開くと、学校指定の青いジャージを着ている彼女が映る。足元には脱いだばかりのスカートと、ワイシャツが。
「……」
「先輩、なにジッと見てるの? もしかして匂いフェチ?」
「は? い、いや、そうじゃないっ! ……なんでドアの近くで着替えてたんだろう、って思っただけだ」
「先輩と話しながら着替えようと思ったんだけど……ダメだった? そっちの方が安心するし」
「あ、安心?」
意味を掴めなくて、俺は眉根をひそめるしかない。
だが紫音の方も、大した意味は込めなかったんだろう。気にしないで、と一言挟んだ後、俺を部屋に招き入れた。
「――先輩。一応聞くけど、本当に嗅がなくていい? 脱ぎたてだよ?」
「お、俺はそこまで変態じゃねえよ! さっさと片付けろ!」
「あー! それは匂いフェチの人に失礼だよっ! 断るなら、もっとやんわり断らないと」
「あ、はい」
「大体ね、いい? 先輩はもう少し性欲ってものを大切に――」
いつの間にか説教される側になって、時間は確実に過ぎていく。
でも、まあ。
日常の光景なんだし、少しぐらいは大目に見よう。
――――――――――
俺達が通う霧月魔術学園は、地下に巨大な空洞がある。
しかし、それは特別なことじゃない。大抵の魔術学園に、訓練場という名目で設けられている施設だ。授業で使うことも多く、生徒にとってはお馴染の場所でもある。
「へえ、ここがね……」
一年生なのもあってか、紫音は初見のようだった。
地下ということもあり、周囲は薄い闇で覆われている。頼りになるのは天井にある蛍光灯だけ。等間隔で置かれているが、一帯を光で満たすほどの強さは無い。
「……なんていうか、訓練場じゃなくて迷宮みたいだよね。ゲームに出てくるダンジョンっていうか」
「まあそう呼んでる人はいるしな。魔獣だって出てくるんだから、逆に似合うかもしれんし」
といっても、仮想の一言で済ませられる領域ではない。
俺達が立っている訓練場の入り口は、紫音が言ったような雰囲気を催している。真っ直ぐ伸びた通路と、左右にあるレンガの壁。幅は狭く、学校の廊下とそう変わらない。
単純な話、この通路は戦闘を行う場所ではないからだ。
下層に行けば話も違ってくるが、訓練はいくつかある広間で行われる。俺達の現在地は魔獣が入りにくい、比較的安全な場所だ。
もちろん絶対ではないので、警戒は怠れないが。
「では行くとしよう。……ところで紫音君は、どのような魔術をお持ちなのかな?」
「アタシですか? えっとサキュバスなので、念話っていうか、テレパシーっていうか? そういうのなら出来ますよ」
「ふむ、では支援型か。私と誠人は前衛だから、バランスは取れているな」
一人頷いて、恋花は早足で先に行く。
俺と紫音は数歩離れた位置で彼女を追った。それなりに焦っているようで、こちらとの距離は徐々に開きつつある。
「……ねえ先輩、恋花さんって何か事情あるの?」
「――神闘祭については分からんな。まあ俺と同じで始祖魔術を継承してる家の子だから、実家のゴタゴタはあるかもしれない。神闘祭では有名どころの家系だしな」
「へえ……なら尚更、手伝って上げないとだね」
「ああ」
まあ協力したいと言ったのは、紫音が最初なわけだけど。
最初の角を曲がると、奥には戦場となる大広間が見えていた。先客が来ている様子はない。これなら待たされることなく、最初の試練に突入できそうだ。
「ところで誠人、訓練場を授業以外で使うのは初めてか?」
「そうッスね。神闘祭の学生枠に挑んだことないッスから」
「では、これからすることを軽く説明しておこう。――神闘祭の学生枠へ入るには、訓練場を第五層ま突破する必要がある。期限は締め切りの三日後までだ」
「一日で五層まで行くんスか?」
「いや、締め切りまでに到達すればいい。攻略した階層は、訓練場に仕込んである魔術によって保存されるからな」
話しながら恋花は、大広間の出入り口にある円形の模様を指差す。
人一人分が入れる魔術陣だ。脈打つように小さな光を放っており、絶えず何かしらの魔術を発動させていると分かる。
「あれは転移装置も兼ねている。生徒が攻略した階層を記憶し、最前線まで送り届けてくれるわけだ」
「……ちなみに恋花さんは、どこまで攻略したんですか?」
「私か? 私は八層まで攻略済みだ。といっても単独での挑戦だから、団体で挑む場合は適用されないよ」
「えー、勿体ない……」
そんな紫音の愚痴を聞きつつ、俺達は大広間へと踏み込んだ。




