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「む……」
よっぽど知りたいそうで、紫音は俺の肩を揺さ振ってくる。
はて、どうしたものか。彼女一人だったらともかく、こうも人が多い場所で語るのは抵抗感がある。もちろん犯罪行為を話すわけじゃないし、これは俺自身の問題だが。
短い思案の後、よし、と俺は前置きを作る。
「別に大した話じゃないぞ? 期待するなよ?」
「え、期待なんてしてないよ? 先輩の女々しい独白を聞くだけなんだし」
「み、身も蓋もないこと言ってくれるな……」
まあいい。本当、情けない話をするんだし。
自分で分かっていることもあってか、つい辺りを見回してしまう。……よし、こっちを見てる生徒はいない。さすがにそこまで暇ではないようだ。
最後に、身体をリラックスさせるための深呼吸。
「記憶を消したいんだよ」
「誰の?」
「兄貴の。サキュバスは人の精神を弄れるって聞いたから、もしかしたらそこだけ消せるんじゃないか、って思ってさ」
「えーっと、嫌いだからいらない、ってこと?」
「……」
俺はそこで、言葉を詰まらせてしまった。
嫌い、確かにそうだろう。ヤツと血が繋がっていると考えるだけで頭に来る。だからさっき、出会い頭に殴る、という暴挙に出たのだ。
でも、少し冷静になれば分かる。
俺は単に、兄のイメージが崩れていくことに耐えられないのだ。
「ねえ先輩、嫌いなんだったら消す必要なくない? 本気でそう考えるなら、いくらだって無視できるでしょ」
「お前、結構冷たいこと言うんだな……」
「そう? 十分人間らしい反応だと思うけどなー」
まあ間違いは言っていない。
本当に邪魔なら、意識から弾くことだって出来る筈だ。自分にとって無価値なんだから、構ってやるだけの理由はない。
しかし俺にとって、兄は邪魔という価値を持った人間。
残念なことに、無視するレベルには達していない。
「ひょっとして、お兄さんとの間に複雑な問題でもあるの? 昔はすごく仲良かったでしょ。兄ちゃんがー、兄ちゃんがー、って耳にタコが出来そうなぐらい聞かされたよ?」
「そうだな。――それが問題なんだよ」
「?」
紫音は小動物のように首を傾げる。
その仕草が可愛らしくて、俺は自然と告白を続けた。
「俺と兄貴の関係がキクシャクし始めたのは、親父が死んだ頃でな。あの人が持ってた竜化の大部分を、兄貴が受け取る予定だったんだよ」
「……でも、先輩に行ったんだよね?」
「そ、親父の遺言でな。で、当然、兄貴はぶちギレた。罵詈雑言を吐いて、俺を殺そうとしやがったんだよ」
「――それで?」
「呆気なく退けたぞ? アイツ、戦いに向いた魔術師じゃなかったからな。でもそれ以降、執拗な嫌がらせとか、俺のところに刺客送り込んできやがってさ」
あの頃は本当に大変だった。数日間眠れないのがザラだったぐらいだし。
当時を思い出して、俺は重苦しい息を吐く。
一方で横にいる紫音は、ますます疑問が深まっているらしい。
「どうしてそれが問題なの? 先輩が勝ったんなら、もう終わりじゃん」
「いやまあ、そうなんだけどな? 心の整理がちょっと……」
「??」
さすがに察してはくれないか。
俺は話そうとして、また言葉を詰まらせる。
ああもう、情けないのは自分でも分かってるだろ。紫音は赤の他人ってわけじゃないんだから、気合を入れて口にするべし。
「……昔の兄貴がさ、どうしても頭を過るんだよ」
「は?」
「だから、アイツと楽しく遊んでた時期がどうしても引っ掛かるんだよ。――子供の頃は間違いなく、憧れの対象だったからな」
「で、でも今、嫌いなんでしょ?」
「おう。でも頭の中で、全部割り切れてるかどうかは別でさ。どうしてこうなったんだ、って疑問に思う自分がいるんだよ。昔のままで良かったのに、って」




