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使っているシャンプーの匂いだろうか。甘い香りが漂ってきて、俺の理性を揺らしてきた。
「アタシ、こう見えて中身は大人だから。自分が置かれてる状況は分かってるし、先輩が守ってくれることも分かってるよ」
「ま、守るって、俺はそんな大それたこと――」
「してくれないの?」
「……」
やっぱり紫音の目は俺にとって毒らしい。抜群の効果を持った、性質の悪い毒だ。
俺達は階段の手前で分かれて、湊と一緒に二年の教室へと足を向ける。
進んでいく間、話に出るのは紫音のことだった。
「ゴミ、って言ったんですってね、竜明君」
「頭に来る言い方でしたよ。……あの人は事情を知った上で言ってるわけですから、俺も我慢できなくて」
「紫音が失敗作だってことを?」
「はい」
淡白な返答が出て、俺はなぜか後悔していた。きっと、紫音に対して負い目があるからだろう。
実家の始導院家は、ドラゴンの力を代々研究してきた。
彼らは一つの結論として、自らの肉体へ竜の力を宿すことを決める。
竜明も俺も、先代である父から力を受け継ぐための器だった。兄は正当な後継者として、俺は予備の存在として魔術の教育を受けている。
だが、紫音は違った。
「……あの子は根本的に、始導院家の力が宿せないそうね」
「そうなんです、魔術師としての型が違うとか何とかで。そんな子供がいるのは恥だって、周りの大人は殺そうとしたらしいんスけど――」
「私が横槍を刺しちゃったわけだ」
俺に物心がつく前の、ごく一部の人間しか知らない事実。
紫音はお陰で、始導院家の習慣から解放された。湊には感謝をしてもしきれない。
「……最近、向こうから圧力かけてきたりしてるっスか?」
「このところはサッパリ。君のお父さんが亡くなって、あの家も力を失ったからね。大変なのはむしろ、誠人君の方じゃないの?」
「俺は大丈夫ッスよ。静かなもんです」
竜明との関係を覗いて、だが。
「君の家に仕えてた人から、連絡来たりはしないの? 始導院家を復活させましょう、とかさ」
「いえまったく。そういう話は兄貴の方に行ってるんじゃないッスかね? あの人、家名に対する執着心強いですし」
「成程なあ……」
喋っている間に、二年生の教室が並ぶ廊下にたどり着いた。
ドアに貼られたガラスの向こうには、見知った顔がいくつかある。俺が来る情報は届いているのか、意外と落ち着いた空気感があった。
「じゃ、ここで待ってて。直ぐに呼ぶから」
「了解ッス」
中に消えていく湊を見送って、俺はゆっくりと深呼吸する。すでに一度経験したことなのに、緊張感の方は拭い切れない。
「ん?」
ふと外を見れば、中庭を挟んだ先に一年生の教室がある。
紫音の姿はもちろんあった。辛うじて分かる表情は、いつのも彼女と違って堅苦しい。
なんだ。あんな風に答えておきながら、しっかり緊張してるじゃないか。せっかくお守をする必要がないと思ったのに。
「――いや」
違うか。どちらかと言えば、俺は喜んでいる。
彼女を守ってやったり、手を差し伸べなければならないことに。相手が、普通の女の子だってことに。
これは、一体どんな気持ちになるんだろう?
愛情? 友情? あるいは支配欲?
湊の呼ぶ声が聞こえるまで、頭の中はもんもんとしたままだった。