神様が叶えてくれたとても素晴らしい願い。
とても拙い文章で、短い作品ですが、よろしければ楽しんで行ってください。
ある日、いきなり神様が僕たち夫婦の前に現れてこう言った。
「お前たちの願いをひとつ叶えてあげる」と。
僕たちは、半信半疑だった。
と言うより、確実に疑っていた。
そりゃあそうだろう、だって目の前の人が「私は神だ」って言うんだ。
誰だって信じられるわけが無いだろう。
でも、願い事を叶えてくれるかもしれない人が目の前にいるんだ。
僕は、言わずにはいられなかった。
妻は「こんなの嘘だからやめておいた方が・・・」とか言ってたけど、最終的には僕と一緒に願いを言ってくれる事になった。
と言うとよりかは、最終的に「彼女の方が折れた」のだ。
僕は、その神を名乗る人物に向かって「妻である彼女と、永遠に一緒にいる事」を選んだ。
そして、その彼女は「夫である僕と、一生過ごす事」を願った。
すると、神を名乗る者は
「そんなこと、お安い御用さ」
と僕たちを指さしながら言った。
願いは正直叶ったかどうかわからなかった。
それはそうか、この願いは目に見える物じゃ無いから、今すぐにわかることじゃないのか。
てことは、叶ってるかどうかすらわからないってこと。
「それじゃ、元気でね」
と神を名乗る者は言って何処かに行こうとした。
しかし、しばらく歩いたところで立ち止まり、僕の方を振り返ってこう言った。
「特に君はね」と
その意味深な言葉は、いつしか僕に突き刺さって来るのだろうかーー
願いを言った最初の年に、僕たちの間に子どもが出来た。
妻に似た可愛い女の子だ。
その子には、僕と妻の名前を一文字ずつ取った名前をつけた。
次の年には、娘がつかまり立ちをし、しばらくすると言葉を発するようになった。
ちなみに、最初の言葉は「パパ」でも「ママ」でも、「お母さん」や「お父さん」でもなく、仲の良い隣の女性に対して「おねー」と言う事だった。
その時は、2人してとても悔しがってたのをよく覚えている。
翌年になると、娘は歩けるようになった。
僕はその時、とても喜んだのを覚えている。
この頃になると、願いの事なんて忘れていた。
その次の年に、娘を幼稚園に入園させた。
入園待ちの子が沢山いると言うのがニュースになっていて、心配だったが、この辺が田舎だと言うのが幸いしてか、入園待ち等は無かった。
その次の年は、幼稚園の運動会で、元気に走り回っていた。
その日は、大人げなく娘の名前を呼んで応援したりして・・・
次の日には声が枯れて、あんまり大きな声が出せなかったっけ。
その次の次の年には、幼稚園を卒園した。
別に何処かに行く訳でも無いのに、ちょっとウルっと来たのはどうしてだろう。
次の月に娘は、小学校に入学した。
大きな赤いランドセルは、まだ大きかったけど「いつか小さくなるんだよな」と思うとこの子も大きくなるんだなって思った。
小学校の6年間はあっと言う間で、僕が小学生だった頃よりも早く感じた。
予想通り、あんなに大きかったランドセルもとても小さくなっていた。
卒業式は、僕たちの娘は泣いていなかった。
理由は「中学生になっても、会えるじゃん」。
でも、僕たちは前日に寂しくて泣いていたのを知っていた。
だから、そう言った娘の目元が、少し赤く腫れている理由も知っていた。
中学の制服のサイズを測りに行った時に、とてもめんどくさそうな顔をしていた僕たちの娘は、入学式の前日、届いた制服を着て嬉しそうにしていた。
半分は知ってる子、半分は知らない子で構成される学校の為か、入学式後に見る顔はとても不安そうだった。
でも、1ヶ月ほど経つと不安な顔なんて一切見せなくなった。
僕たちの娘は、妻に似てかとても賢く、成績がよかった。
毎回ビリを争ってる僕とは大違いだ。
中学3年の時に受けた人生最初の入試は、合格で、僕と妻は手をとって喜んだのを覚えている。
僕たちの娘は「こんなの当たり前」と言いながら少しガッツポーズをしていた。
それがとても可愛く見えた。
そして、中学の卒業式。
娘は、また泣かなかった。
さすがの僕でも「もう二度と会えないかもしれないぞ」と声をかけた。
でも「もう泣かないって決めたの」と言ったその子は、小学校の卒業式と同じで、目元を少し赤く腫らしていた。
子どもって成長したようで、あまり成長してないんだな。
僕が頭を撫でてやると「やめて」と声を震わせながらいった。
泣きそうなのをこらえてるんだな。
高校の制服もサイズを測りに行ったときは、めんどくさそうな顔してたっけ。
でも、入学式の前日に着てはしゃいで、うるさくて妻に叱られて・・・
入学式が終わると、不安そうな顔をして。
またしばらく経つと、楽しそうに学校に行く。
確実に進んでいるようで、同じ事の繰り返し。
そんな毎日を楽しそうに過ごす。
そんな家族を見て、僕はとても幸せな気分になった。
僕たちの娘が、高校2年生の時の夏に「私、警察官になる」と言って、勉強し始めた。
僕たちは、警察は危ないからと反対したが、「やるったら、やるの!!」と言って聞かないものだから、僕たちが先に折れてしまった。
こう言ったところは僕に似たのだろう。
その翌年、高校の卒業式があった。
僕は、どうせ家で泣くんだろうな。と思っていたが、娘は卒業式に友達と一緒に泣いていた。
僕と妻は驚いた。
家に帰った後、僕はからかうように「あれ? もう泣かないって決めたんじゃないの?」と言ったら、鼻をすすりながら
「今日は特別」と言った。
この時僕は、娘の成長を実感した。
その次の年くらいになると、警察学校を卒業して、警察として働いていた。
修学旅行とかで家を空ける時はあったけど、長い間居ないとなると、家がとても静かで、誰も住んでいないかのようだった。
たまに元気な顔を見せに帰って来た時は、嬉しさのあまりに涙が出そうだった。
そんな生活が5,6年ほど続いたある日。
僕たちの娘は、彼氏を連れて来た。
その時は、とても驚いて僕は反対したけど、とても優しそうな人で、彼になら子どもを任せられると思った。
2年後、僕たちの娘はその彼と結婚した。
とても実感が無かったが、ドレス姿を見てたら、涙が溢れてきた。
結婚式の料理は美味しく無かったけど、久しぶりに食べる娘との食事は、味云々ではない美味しさがあったような気がした。
次の年に、僕たちに孫ができた。
しばらくの間娘は、子育ての為か僕たちのところへ帰って来てくれなかったが、2年ほどしたら、ちょくちょく孫を連れて顔を出しに来てくれた。
そんな生活が30年ほど続いた。
孫の入学式や卒園式、入学式に卒業式等に出たけど、実の子ほどの感動は無かった。
その代わり、娘は、本人よりも涙を流してた。
その度に「もう泣かないって決めたんじゃないのか?」と聞く。
すると「嬉しい時に泣いたっていいじゃん」と言う娘は、もう立派な親の様だった。
孫が就職をして、しばらく経つと、僕の妻が死んだ。
死因は老衰。
娘は、とても泣いていたが、僕はそれほど泣かなかった。
人間、本当に悲しいと涙すら出ないんだな。
数日経つとようやく実感が湧き、体中の水が目から出てるんじゃ無いかと錯覚するほど、涙が出た。
そして僕は、あの神を名乗る人物が僕に向けて言った事の真実を知ることになる。
まず、彼女の遺体は、燃えないし、腐らなくなった。
なぜこんな事がと考えていた時に、僕はあの願いを思い出した。
彼女の願いは『僕と一生過ごす』こと。
これは言うまでもなく叶った。
では、僕の願いは?
僕の願いは『彼女と永遠に一緒に過ごす』こと。
これが、本当に叶ってたとしたら?
僕は彼女と『永遠』の時を過ごす事になる。
彼女が例え死んでいたとしても、だ。
つまり、僕は死なないし、彼女の肉体も消えない・・・
僕の願ったことは、途轍も無い物だった。
年を取り、シワが増え、老いるのに死なない。
地球が滅びるとしても、死なない。
もし手足がもげ、目や耳が使えなくなったら・・・
僕は、そう考えると怖くなった。
僕は、『不死』と言う人類の夢を神様に送って頂いた、途轍もなく『不幸』な者だ・・・
ーーー
ーー
今日、娘が死んだ。
孫はその時は泣かなかったが、しばらく経つとようやく実感が湧いてきたのか、部屋に閉じこもって泣いていた。
僕も、悲しくなって泣いた。
曾孫の入園式と卒園式、入学式、卒業式と出たが、ほとんど他の子の変わらなくみてしまう。
ーーー
ーー
今日、孫が死んだ。
まさか、孫の葬式に出ることになるとは・・・
気づいてくれ、昔の僕。
君が願っていることは、後悔しか産まない。
それを伝える手段があれば、僕は娘の死を見なくて済んだのだろうか?
ーーー
ーー
曾孫の孫が生まれた。
もう、ほとんど他人としか見れなかった・・・
もう、家族の死を何回見てきただろうか・・・
もう、殺してくれ・・・
そう思いながら、僕は何度目かわからない葬式へと足を運ぶのだった。
僕が主役となる事のない式場へと・・・
とても時間がかかりました・・・
普段地の文書いてる人の、凄さを実感したような気がします。
それでは、またどこかでお会いいたしましょう。