episode8:喫茶店
「おー」
店内にまばらな拍手が響く。店員さんはもちろん、店内にいた他のお客さん数名も、トウコさんの演奏に拍手を送っていた。
「うん、やっぱり良いね! ……ってあれ? ど、どうした?」
店員さんがトウコさんの顔を覗きこんでいる。トウコさんは慌てて顔に手をやった。
私もピアノの前まで来た。トウコさんは涙を拭っているようだった。
「わかりません……」
震える声でそう言って、トウコさんはまた手で顔を覆って泣きだした。店員さんは慌ててキッチンに入り、清潔なタオルを一枚持ってきてくれた。トウコさんはそれを受け取って、濡れた顔を拭う。
「すいません、ありがとうございます」
「いや、いいけど……あなたなんか変わったね」
店員さんは不思議そうにトウコさんを見る。
「……変わった?」
「なんていうか、前はもっとこう……言い方悪いかもしれないけど高圧的なイメージだった。ピアノも凄く激しかったし」
これは記憶を失う前のトウコさんの情報だ。
どうしよう、この人に聞けば私たちのことが何かわかるかもしれない。すぐに通報されたりしていない時点で、私が過去に悪いことをしていたとしても、この店員さんにとっては普通の客だったはずだ。
私は意を決して店員さんに聞いてみることにした。
「あの――」
「で、君たちうちで働かない?」
「え?」
私の質問は店員さんの提案によって打ち消された。
「バイト探してるんでしょ? この店、私とじいちゃんでやってるんだけど、じいちゃんも歳だからさ。そろそろ一人で厨房回すのも辛そうでね。あんまり給料は高くないかもしれないけど、美味い賄い出すから!」
と、店員さんはまくし立てた。
提案自体は願っても無い条件だったが、私は言おうとしたことが口の中で行き場を失ってしまい、茫然としてしまった。
「あ、ごめん。申し遅れたけど、私宮野アズサっていいます。好きに呼んでね。で、どうかな?」
「あの、えっと……」
私が困ってトウコさんの方を見ると、すっかりさっぱりした様子でこくこくと頷いた。
「じゃあ、よろしければ……」
「よっし、決まり! 君は厨房、彼女はホール。じいちゃんも紹介するね! あとここ夜はバーになるから――」
「ちょ、ちょっと待ってください。面接とか履歴書とかいいんですか?」
「あ、履歴書あるの?」
「一応、ありますけど」
「はい」
宮野さんが手を差し出してきたので、私はテーブルの上のバイト情報誌に挟まった履歴書を持ってきて、
「はい」
と渡した。宮野さんは数秒で目を通して、
「はい、採用」
と言ってのけた。
「そんな適当でいいんですか……」
「喫茶店に学歴とか関係ないし」
いや、そうかもしれませんけども。
「……わかりました。実は凄くありがたいです。でも一つ、説明しておきたいことが」




