episode3:顔
次に僕たちがしたのは、お風呂場に行くことだった。
僕たちは二人とも自分がどういう顔をしているのか知らなかった。お風呂場にある小さな鏡を二人で覗きこんで、初めて自分の顔を認識する。なんとも奇妙な感覚だった。
僕は――いや、鏡の中のその顔を見て、僕という一人称は相応しくないことがわかった。鏡の中にいたのは無精髭を生やした青年だったからだ。
顔には疲労感が浮かび、髪は肩近くまで伸び放題になっていて、一見すると浮浪者に見えなくもない。おまわりさんが僕、いや、私を追いかけてきたのは単に不審者だと思ったからではないか。そう思えるほどだった。
私は鏡の中に映る彼女を見た。彼女は不思議そうに自分の顔をぺたぺたと触っている。歳は二十代中頃だろうか。背は少し低いが、凛々しく整った顔立ちは大人のものだ。
不意に鏡の中で目が合って、私は気恥ずかしくなって顔を逸らし、風呂場を出た。
風呂場を出て、部屋全体をぐるっと見てみた。そして気になるものを見つける。壁に貼られた新聞記事だ。私は壁の前まで来て、記事を見ていく。
「どうしました?」
風呂場から出てきた彼女が声をかけてきた。私は記事を見たままで答える。
「新聞記事です。何か手掛かりがあるかも」
それを聞いて、彼女も私の隣へとやってきて記事を覗きこむ。
「……外国の新聞もありますね」
切り抜かれた新聞記事の中には異国の新聞も混じっていた。ぱっと見る限りでは英語、ロシア語、アラビア語等がある。
「どれも中東やロシア周辺の内戦についての記事みたいだ」
「読めるんですか?」
「なんとなく……」
言われて、私自身もその記事を読めることに驚いた。
「ついでですから、このままちょっと家探しをさせてもらいましょう」
私の提案に彼女は頷き、手分けをして部屋を探る。
私はまず洋服箪笥を調べた。それでこの部屋の主の性別が特定できる。
適当に一段引きだしてみると、中から古い衣類の匂いがした。入っていたのは少し年代を感じるパーカーやスウェットで、サイズからすると男物のようだった。どうやらこの部屋の主は男らしい。
他の段を開けていくと、やはり男物の下着やシャツが出てきた。しかしそれらは持ち主が男性であるということ以外の情報をもたらしてはくれなかった。
「あ」
ベッドの下を覗きこんでいた彼女が声を上げる。
「これ、なんでしょう」
そう言って、彼女はベッドの下から段ボール箱を引っぱりだしてきた。少し動かしただけで埃が舞う。
私は窓を開けて、ベランダに出すように彼女に促した。
彼女が息を吹きかけると、ベランダに埃が舞った。彼女は煙たそうに顔の前を手で仰ぐと、箱をゆっくりと開けた。
「カメラ……でしょうか」
中にはカメラと、いくつかのレンズが収められていた。かなり古いタイプのフィルムカメラのようだった。この部屋の主のものだろうか。二人で段ボールを漁ってみたが、カメラにフィルムは残されていなかったし、特に手掛かりになるようなものもなかった。
結局そこはなんの変哲もない部屋だった。が、やはり奇妙なのは、誰かの名前を示す物が一切無かったことだった。
私たちはまたソファとパイプ椅子に腰かけ、溜め息をついた。と、静まった部屋に「ぐう」というコミカルな音が響く。
「あ、ごめんなさい……」
彼女が恥ずかしそうにお腹を抑えている。そういえばもう夜だ。私も空腹を感じていることに気が付いた。
「何か食べましょうか……。さっき駅の方へ向かった時にコンビニがありましたし」
彼女は恥ずかしそうに笑みを浮かべて頷いた。




